湯浅の隣町 広川町。
湯浅千軒広千軒 同じ千なら広がよい♪とうたわれた広村(現広川町)は、昔は湯浅と同じように醤油業が盛んでした。
現在、醤油業の本拠地は千葉県の銚子に移ってしまい、広川町に醤油屋さんはなく、もっぱら「稲村の火の館」が観光の目玉になっているそうです。
宿屋のご主人が、「稲村の火の館」まで車で送ってあげる というので、喜んでミニドライブを楽しむことに・・・。
みかん畑の山を下って海沿いを走ると、道と平行に土手が築かれています。これは、津波除けの堤防。
堤防の途中に、赤い鉄門があって、これをくぐるともう「稲村の館」。あっという間につきました。湯浅と広は本当に近い。
館でじっくりと津波と「稲村の火」のモデル濱口梧陵について学びました。梧陵さんの生涯や安政津浪のドキュメントドラマも流してあってなかなか面白い。
梧陵さんは、幕末から明治の人。広村の醤油屋の旦那で、安政の津波の時は命を賭けて村民を救ったという村の偉人。小泉八雲の「生ける神」の題材になったり、国語教科書にも取り上げられている有名人です。
さっき見た堤防もこの梧陵さんが私財をなげうち、4年の歳月をかけて村中総出で築いたものだったのでした。
後に明治の官僚となって活躍したり、今でいう県人会のようなものもつくって地域に貢献した梧陵さんは、老いても意気盛ん。家族の反対を押し切って、一人アメリカ行きの船に乗り込んだのです。1年後病を得てニューヨークで客死。
館には、ナイアガラの滝をバックに岩に腰かけた洋装の梧陵さんの写真とそれをもとに描いた絵も飾ってありました。
ふうむ、と感心していると、にこにこ笑いかけてくる男性が。それとなく梧陵さんのことを教えてくれたり・・・・。おやと思っていると、この方が今日の案内ボランティアの方でした。
あらら、よろしくお願いしまーす。
というわけで、いよいよ館の外に出て、いざ、堤防へ!(続く、のか?)
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