以下は、「待合室」の第348回として2010年2月5日から13日まで掲載した記事です。写真の撮影日は2009年8月3日です。内容については一切修正を施しておりませんので、御注意ください。
「しらやま商店街」を離れ、南へ向かいます。狭い幅の道路で、飲食店が並んでいます。
完全な飲み屋街という印象を受けるこの通りは、時間のためなのか、人通りがほとんどありません。夜になると多くなるのでしょうか。大分市の歓楽街と言えば都町で、その裏通りを歩いているような気分になります。東京でも、駅の裏道でこのような通りがあります。私は、このような通りをあまり歩きませんし、外で飲むこともあまりありません(それほど好きではないからです)。
それにしても、「しらやま商店街」が衰退したからなのか、それとも単に夏の暑い昼間であるからなのか、人が歩いていません。いくら飲み屋ばかりが並んでいる通りでも、もう少し人通りがあるような気がします。しかし、それはもはや追憶の世界なのでしょうか。
既に閉店しているヒートアイランドのビルが見えます。私はこのビルの北側を歩いていたのでした。この道路から見ると、かつてダイエー佐賀店があったという事実が容易に理解できます。いかにも大型スーパーマーケットらしい建物であるからです。ビルの手前に空き地が見えるのも気になります。このビルの中で営業しているサイバック佐賀店の看板が目立ちます。
佐賀市の中心街は、私が予想していた以上に高層建築物が少ないという印象を受けますが、それは空き地のせいでしょうか。
不思議に思われるかもしれませんが、今回、佐賀市内を歩いていて一番強い印象を受けた場所です。手前に更地があります。その後に木造の家屋があり、古いコンクリートのビルがあり、奥に高層マンションがあります。建築物の変化を一度に見たような気分になったのです。このような光景を、他の市町村で目にした記憶がないのです。ありそうだけど意外に見かけない、そんなところでしょうか。
歩き続けると、堀がありました。澄んでいない水ですが、魚が生息しているのでしょうか。石の配置が庭園を意識したようなものとなっています。苔が蒸した石には風情があるものです。
別の角度から堀の様子を撮影しました。夏らしい濃い緑と、白い道、そして影が微妙なコントラストをなしています。
歩いている間に、どうして大分時代に佐賀市の中心街を歩かなかったのか、と思いました。大分市、福岡市、長崎市、熊本市、宮崎市および鹿児島市の中心街は、大分時代に歩いているからです(北九州市の小倉と黒崎も歩いています)。私は、どの市町村であれ、そしてとくに県庁所在都市などを訪れたらまず中心街を歩きますが、佐賀市だけは例外だったのです。もし大分時代に佐賀市の中心街を歩いていたら、また違った印象を受けたかもしれません。
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