ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

坂本龍一氏が死去

2023年04月03日 00時00分00秒 | 音楽

 2023年4月2日、NHKのクラシック音楽館を見ている最中に速報が入りました。テレビではなく、朝日新聞社の速報です。

 坂本龍一氏が死去したのは3月28日のことでした。今年の1月11日には高橋幸宏氏が死去、ということで、イエロー・マジック・オーケストラのメンバーとしては2人目ということになります。このお二人とバンドを組んだ細野晴臣氏はやはり凄い人である、ということですね。

 1970年代後半から1980年代前半にかけての、イエロー・マジック・オーケストラの活躍を知っている人にとっては、立て続けという感じでショックを受けることでしょう。私も、1979年に、朝のテレビ朝日の番組でイエロー・マジック・オーケストラの「テクノポリス」を知り(この曲は坂本龍一氏によります)、程なく「ライディーン」を知りました(この曲は高橋幸宏氏によります)。1979年の世界ツアーの様子はテレビ神奈川で中継されており、私も見ていました。

 1981年の「BGM」と「テクノデリック」まではよく聴いていましたが、その頃にジャズやフュージョンに移ってしまったので、散開の頃(1983年)のイエロー・マジック・オーケストラは知りません。ただ、それぞれのメンバーの活躍は、よく知られるところでしょう。

 そのイエロー・マジック・オーケストラの音楽の、或る意味で土台となったのが、坂本氏の「千のナイフ」です。Roland MC-8、Moog Ⅲ-c、Arp Odyssey、Korg VC-10などが駆使されたサウンドは、当時小学生であった私も衝撃を受けました。それ以上に「千のナイフ」のライナー・ノーツに、ということも付け加えておきます。子どもながらに「何と尖った人だろう」に思ったものです。一方で渡辺香津美氏らとKYLYN BAND、カクトウギ・セッションを組んでフュージョンもやっています。1979年に六本木ピット・インで録音された「KYLYN LIVE」も、これまで一体何回聴き返したことか……。

 私は、坂本氏のアルバムというと「千のナイフ」、「B-2ユニット」および「左うでの夢」しか聴いたことがないので(あとはカクトウギ・セッションの「サマー・ナーヴス」くらい)、あまり語ることも書くこともできませんが、イエロー・マジック・オーケストラの曲をよく聴いた世代として、ここで少しばかり記しておこうと思った次第です。

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