メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書) 船木 亨 (著)を読んで(その2)
前回は「心理学的欺瞞」を基にして愛を考察した。
まとめると、大抵の場合、「とりあえず付き合ってみて、嫌なら別れちゃおう。結婚せまられたらとっとと別れよう」というような出会いと付き合いが多い。その場合、相手の気持ちとか傷つけるとかそういうことは考えない。愛しているフリをすることはある。
その時の心理状態を「心理学的欺瞞」で説明した。
今回は、「形而上学的欺瞞」について。
いざというときには捨てようという心理状況でつきあっているにもかかわらず、それで終わりにはならず、奇妙なことが生じる。状況を操作して感情を造り出していたつもりが、ときとして、自分自身、「自分が作り出した状況のなかに固定されてしまう」ことがある。
支配しているつもりの状況に身を任せた途端、状況はいよいよ、そのひとの意志をからめ取って、ついには、望みもしない感情のなかで、意志を麻痺させてしまう。自分の方が状況によって支配され、状況を変えようとの意志が生じなくなってしまう。
つまり、「騙していたつもりが騙された…いや、騙されていない!これは自分の意志なんだ!結婚するぞ!」というようなことだ。「ミイラ取りがミイラ」になる。いや、自らミイラになるという決意をした(していた)状況を、「形而上学的欺瞞」を基に考察してみた。
時として、「軽く付きあおう」と考えていたにもかかわらず、なぜか本気になってしまっている…ということがあろう。ある…のだろう…ある気がする。
でも、思うのです。
幸せならば、よいではないですか。
次回は、最終回。「自由」について。
前回は「心理学的欺瞞」を基にして愛を考察した。
まとめると、大抵の場合、「とりあえず付き合ってみて、嫌なら別れちゃおう。結婚せまられたらとっとと別れよう」というような出会いと付き合いが多い。その場合、相手の気持ちとか傷つけるとかそういうことは考えない。愛しているフリをすることはある。
その時の心理状態を「心理学的欺瞞」で説明した。
今回は、「形而上学的欺瞞」について。
いざというときには捨てようという心理状況でつきあっているにもかかわらず、それで終わりにはならず、奇妙なことが生じる。状況を操作して感情を造り出していたつもりが、ときとして、自分自身、「自分が作り出した状況のなかに固定されてしまう」ことがある。
支配しているつもりの状況に身を任せた途端、状況はいよいよ、そのひとの意志をからめ取って、ついには、望みもしない感情のなかで、意志を麻痺させてしまう。自分の方が状況によって支配され、状況を変えようとの意志が生じなくなってしまう。
つまり、「騙していたつもりが騙された…いや、騙されていない!これは自分の意志なんだ!結婚するぞ!」というようなことだ。「ミイラ取りがミイラ」になる。いや、自らミイラになるという決意をした(していた)状況を、「形而上学的欺瞞」を基に考察してみた。
時として、「軽く付きあおう」と考えていたにもかかわらず、なぜか本気になってしまっている…ということがあろう。ある…のだろう…ある気がする。
でも、思うのです。
幸せならば、よいではないですか。
次回は、最終回。「自由」について。