昨日は休みだったのであいかわらず温泉に行きましたが、露天の籐のリクライニングチェアー
で寝転んでいても、すぐ寒くなってしまいました。
その割にはなぜか、真夏の昼間に登場する一番うるさいセミがたまに鳴いていて、季節はずれなカンジでしたが。
さて昨日、まるの日さんのユーストリ-ムの講座でF10の説明をされていたので、
私もマネして昨夜は寝る前に久しぶりにF10を聞いてみました。初心に返って・・・
最近ずっと、このあたりをすっ飛ばして、F15とかばっかりだったので。
やっぱり寝落ちです。

でも、最近いくら寝落ちでも、最後のカウントダウウンの所ではなぜか不思議と目覚めます。
以前はそれでも目覚めず、ひどい時には朝までヘッドフォンつけっぱだったということも
ありましたから。(ってことは、朝まで一度も寝返りも打たなかったってことで、それも
それですごいなー。寝相良すぎ!

相変わらず、ヘミシンクが始まると涙が分泌して来るのは変わりません。
でも、これも記録ですから。
体がかゆくなるという反応も正常だそうで・・・
肉体と意識が離れようとする時に、肉体の方がそれを食い止めようとして、そういう反応
になるとかで。かゆくなれば、掻きたくなりますし、そうすると集中できなくなるし、
そうするとやはり体脱なんて起きにくくなりますので。
私、たまに回転(振動)が始まると必ず、どこかかゆくなりますから。それで掻くと
振動は止まってしまう。
私の場合も体が「行かないでくれー」って引きとめてるのかしらね。
ふーん。
ってことは、私の魂の緒は(つまり体につながる意識)肉体とだいぶ堅い絆で結ばれて
いるんだねー。まだまだ人生終わんなそうだやねぇ。大変だね、こりゃ。
まだ人生、やることがあるのかねー。ってか、あるんだろうなー。
転換期迎えたばっかだもんなー
昔は私は、自殺企図者っぽいとこがあったんだけど(って、一回も未遂ですらもやったこと
ありませんよ、実際。ただ考えたことが何度もあったってことだけです。)でも、こう
いうのを考えると 考えがちょっと変わるね。
肉体と意識、どっちが自分なんでしょうか。
意識の方でしょうか。
肉体はまぁ、よく乗り物に喩えられるけど。だから、肉体は自分そのものではないのかな?
いや、どっちも自分なんだけど、意識の方が「自分1」で肉体が「自分2」?
どっちも自分なんだけど、優先順位で行くと意識の方が優勢?
でもさ、意識が肉体から離れようとした時に、そうやってかゆくなったり、
「行かないでくれ。」と体が意識を引き止めるだなんて、なんかちょっと愛おしく感じ
ませんか?
例えば、飼っているネコ

「行かないで」とばかりに寂しそうな顔でこっちを見つめる時のような・・・
それとか、2歳とかのかわいい姪っ子

私の後を追って大泣きする時とか・・・・
あー、すっごいかわいいなー、こんな私にすがって来てくれるなんてー、と
すごい愛おしく

そういう風に必死に懇願されているんだから、そのネコや犬を殺しちゃダメでしょ。
つまり、肉体が「自分」という意識を慕ってくれているんだから、つまり、必死に生きよう
としてるんだから、やっぱりそのカラダさんを殺しちゃダメだよね。
つまり、自殺したらダメだよね。この比喩がわかりますでしょうか。
なーーんて、ちょっと思ったりしました。
イヤー。難しい話してしまった

もちろんヘミシンクで仮に体と意識が離れてもそれで死ぬことはありませんので。)
でも、いちおう「哲学・スピリチュアル」なカテゴリーのブログだからこういいう話を
あえて書いてるだけで 普段は絶対しませんからね。そもそもこういう話をわかる
人ってのがいないし。(Yちゃん以外は)
まぁ、普通はドン引きだろうな。わかってんだけどさ。
で、けっこうまるの日さんのあの講座を見ていると、私も順調な経過を辿っているようで
けっこう自信がついて来ました。
何も体験的なことができないと多くの人が諦めてしまうという話でしたけど、
私はまぁ、その時は何もなくても、後で何かが起きるということがけっこうあって
それが面白いので けっこう続けられています。