他のことはともかく、私はこれは素直にうれしい。
ロシア側からは安倍首相に、石炭で水を沸かす1870年製のサモワールとイーゴリ・ラズジヴィン作の絵画「コローメンスコエのロシアのトロイカ」が贈られた。
安倍首相からはプーチン大統領に、6メートルにおよぶ「プチャーチン上陸」絵巻の複製が贈られた。 1855年に下田でエフィーミイ・プチャーチン提督と役人の川路聖謨氏が交渉を行い、その結果、露日和親条約に調印され、国交が樹立された。絵巻には日本とロシアの友好の歴史の場面が描かれており、複製は日本の最新技術を用いて作成された。
https://jp.sputniknews.com/world/201612163140083/
この間、プチャーチンと川路についてこんなことを書いたばかりだっただけに、さらにうれしい。
川路聖謨や岩瀬忠震の時代を想像してしまう。あの人たちが快活に振る舞えた日本のままであったなら、と思わずにはいられないのが歴史好きの私の本音ですね。
幕末、日本との交渉にあたったプチャーチンに随伴していた作家のゴンチャロフは、川路の聡明さを愛でる快活な文章を残している。そこからわずか50年の後、日露戦争の仲介人として英米がついたとわかった途端、なんの脈絡もなく樺太を攻めて占領する我らの日本軍がそこにいた。同じ民族とはとうてい思えないぐらいの変化をしたのは、ロシアではなく日本の方だと私は思う。
ロシア破壊願望をやめられない日本
言いたいことは、明治朝日本(明治政府からこちらの日本は、日本の歴史全部ではないということ)の対ロシア感情だけにとらわれるべきではないし、私たちは確かにあまり幸福ではないつきあいをその後150年ぐらい続けているわけだけど、でもそれでも隣人なのだということに立ち返って、ものごとを考えていくべきだということです。
これからは、明治政府というクーデーター政体が私たちに押し付けた史観を解き解すために努力しよう。怒ってみても嘆いてみてもはじまらないんだから。
今インターネットで拾ったものだけど、多分このへんのものですね。本などでは見たことがあります。
川路聖謨とプチャーチン (今蘚える幕末の日露外交史) | |
匂坂ゆり | |
桜美林大学北東アジア総合研究所 |
プチャーチン(新人物往来社2010年刊行) | |
白石 仁章 | |
中経出版 |
朝鮮は日本が欲しかったというよりなによりポートアーサーをロシアに取られるのは困ると思ったアングロ勢に押し込まれたんだと思いますけどね。もちろん、欲があるから乗ったわけですから、ここで誰かのせいにしても始まらないですね、はい。