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1980年モスクワ五輪とムジャヒディーン協賛諸国

2020-08-03 20:29:36 | アジア情勢複雑怪奇

40年前の1980年の今日8月3日は、モスクワ五輪が終わった日であるそうだ。

 

 

動画は小熊のミーシャとお別れしている閉会式の一部であるらしい。

モスクワオリンピックをwikiで見ると、

ボイコット決定前 - 日本では決定前からモスクワオリンピック参加確定をほぼ疑わない空気が醸成されており、オリンピック協賛企業のテレビCMでは「頑張れニッポン!モスクワは近い!」と煽るフレーズが盛り込まれていたほか、後述の『めざせモスクワ』リリースや日本アニメーション製作の『こぐまのミーシャ』が放映されるなど、プレイベントが各媒体で大々的に行なわれていた。

とあった。

そうなんだと思いますね。だって私も小熊のミーシャを記憶してるもの。

そして、それにもかかわらず何か大騒ぎでボイコットが来る。私の母が腹を立ててやまないボイコット問題。柔道の山下選手が出場できないことを受け止めつつ涙を流した姿がテレビで報じられ、おそらく多数の日本人に記憶されているもとの思う。

 

日本人が自発的にそんな判断をしたわけではなく、南部バプテスト初の大統領であるカーターの指示によって、50カ国ぐらいの国がボイコットをさせられた。

冷戦でソ連と対立するアメリカ合衆国のカーター大統領が1980年1月にボイコットを主唱し、日本、分断国家の西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会 (IOC) 理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていたが、1960年代以降ソ連と対立関係にあった中華人民共和国やイラン、サウジアラビア、パキスタン、エジプトなどといったアフガニスタンでムジャヒディンを支援するイスラム教諸国、および反共的立場の強い諸国など50カ国近くがボイコットを決めた[1]。 

これがボイコットした国のマップ。まぁ、率直にいって、アメリカ、中国、サウジアラビアなどのムジャヒディーン支持派が中心になってボイコットしたと思ってみるととてもよくわかる。

 

しかし欧州は西ドイツはともかく、他の多くは出場した。

一方で西欧・オセアニアの西側諸国の大半、すなわちイギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した[1]。イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。 

 

イギリスは国の中がてんやわんやになって政府は絶対出ないと頑張るけど、選手を統括するオリンピック委員会が主張を通して選手を派遣するという非常に珍しい恰好になったのは結構知られている。

ここからわかるのは何か。

これはいわゆる冷戦仕様じゃないね、ってことではなかろうか。

いや、冷戦時代にもいろんなフェーズがありました、といってもいいけど。

でもむしろ、ムジャヒディーンを走らせろ作戦の協賛者による反ソのボイコット作戦みたいにも見える。カーターが仕切ってるんだし。中国、パキスタン、イランが続いているところが非常に象徴的ですね。

 

また、こうなる上で、中国の場合は、対ソ連だけがしばしば取りざたされるけど、実際には戦後一貫してインドと揉めていることが常に非常に重要なポイントだと思う。

特に、1971年は重要でしょう。

第3次印パ戦争に至る過程で、国境周辺が大混乱になる中インドはまったく孤立した状態におかれ、そこでソ連に支援を求め、それが、1971年8月の印ソ平和友好協力条約となる。

同年12月の戦争をパキスタンはアメリカと中国を背に、インドはソ連を背にしながら戦った。そしてインドが勝ち、パキスタンは敗北し、同時に東パキスタン(現在のバングラディッシュ)を失った。

この成り行きは、アメリカが中国を抱き込もうとしている中で行われた。

ニクソン訪中という事件はすぐその後の1972年2月で、ニクソン・ショックという、ニクソンが中国に行くぞという発表はその前年1971年8月15日。

 

つまり、ニクソン・ショックの真裏では、アメリカ&中国&パキスタン vs ソ連&インド という形が出来ていたってことなんでしょうね。

当時を知らないからわからないですけど、なんかすごくダイナミックなことが起きてると思った人たちはいたんでしょうね。

 

■ SEATO

インドとソ連の関係はしかし、もう少し遡って、根本的にインドがソ連に力を借りないとだわ、と思い出すのは、1954年に東南アジア条約機構(SEATO)という軍事同盟をアメリカが作りはじめたあたりと考えられている。

Map of SEATO member countries - en.svg

これは、基本的には共産中国を封じ込めるための軍事同盟だと言われているんだけど、インドにとっても、東西からパキスタンに挟まれる格好になるんだから、そりゃもう落ち着けと言われても落ち着けない。

この同盟は、日米安保などと同様、ダラスとかジョージ・ケナンあたりが考えたらしいんだけど、そうであるなら当然にそれは対ソを念頭に置いていると見るべきかも。ってことは、まずパキスタンからアフガニスタン、そこからソ連の中央アジアに入り込む、圧力かける、というプランだったのではなかろうか。実際そうなっていくわけだしね。

 

SEATOはその後、ベトナム戦争の終結によって木っ端みじんになって、現在は既に忘れ去られている感じ。wikiにはこうある

ベトナム戦争からアメリカ軍が撤退した1973年以降は、南ベトナム政府からの度重なる軍事支援の要請を加盟国が黙殺し、首脳会議も行われなくなったことから、軍事同盟として機能していなかった。

1973年に、パキスタンのズルフィカール・アリー・ブットー政権が、SEATOが軍事同盟として機能していないことを理由に脱退し、翌1974年にフランスが脱退している。機構自体も1977年6月30日に解散した。 

 

■ サイクロン作戦

で、そんなこんなで中国とアメリカはパキスタンを共通の利益として協力関係となり、そこから、よーし、イスラム教過激派というか、なんというか、いろいろな人が混じってるんだけど、ともあれ「ムジャヒディーンをばらまけばいいんだな」作戦が来る。

いわゆるサイクロン作戦。

ちゃんと日本語版があってちょっと感激。

サイクロン作戦 (Operation Cyclone) とは、アフガニスタン紛争中の1979年から1989年にかけてムジャヒディンに武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) の計画に対するコードネーム。 

米のアフガニスタン支援というのは、陰謀論でもなんでもなくしっかりとした、そして巨大な作戦だったという点はもっと今日知られてもいいでしょう。

しかし、このwiki、中身がとても興味深い(笑)。

1979年半ばまでにはアメリカ合衆国がムジャヒディンへの資金提供を開始[5]。カーター政権下で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、後に計画の目的を「ソビエトの軍事介入を誘発すること」と述べているが[6][7]、ソビエトの侵攻は合衆国がソビエトの覇権主義を食い止められなかったために発生したことが後年明らかとなった[8][9]。 

前半は今日通説となってるものなのに、後半の言い訳がふるってる。明らかになったって、単なる論文2個を付けてるだけじゃん(笑)。

ここも強烈。

当時ソビエトが中東に足場を築くため、南方へと領土を広げようとしたと考えていた者が一部に存在。ソ連は長らく不凍港の不足に喘いでおり、南進により東部でパキスタンと、西部ではイランと対峙するように思えたためである。

アメリカの政治家は共和党も民主党も、ソビエトが中東の石油の掌握を目論んでいることに危機感を表明。ソ連がイラン革命やアフガニスタンのイスラム化が国内の数100万人ものムスリムにも及ぶことを懸念していたとする者もいた。 

文章が非常に混乱していて発言の主体が誰だかわからない文がいっぱいあるけど、ともあれ、あくまで、ソ連が拡張政策を取っているので、やむを得ず「ムジャヒディーンをばらまけばいいんだな」作戦をやったと言いたいらしい。

不凍港って、この当時黒海はまったくソ連の海みたいなものなので、いくらでも不凍港あるでしょう(笑)。トルコはNATOだけどそんなに強烈に反ソではなかったし。

ソ連が中東の石油の掌握を目論んでいるって、ソ連は黒海とカスピ海あたりがぐるりと自国領なので、普通に石油に困ってない。

むしろ、カスピ海周辺のアゼルバイジャンとかトルクメニスタンの天然資源を取りたいがために、ソ連を潰したかったのがアメリカだという説が今日濃厚だと思う。実際、ソ連崩壊後真っ先に手を付けたのはここらへんじゃん?

 

あとはもう、どうでもいいけど、要するに日本語版のwikiの執筆者は、「ムジャヒディーンをばらまけばいいんだな」作戦は正しいという立場を今も堅持したいんでしょうね。

これは、ムジャヒディーン変じてアルカイダetc.のイスラム過激派集団と一緒に21世紀を歩むわけいかないだろう、と考えるアメリカ人とは立場を異にしているようだ。

で、要するにこれらのテロリストと共に歩む21世紀のアメリカをトランプは「終わりのない戦争」の時代と呼んで、これを終わらせて、世界一の戦車、世界一のミサイル、世界一のなんちゃらかんちゃら・・・に2兆ドル投資して、世界一のアメリカを敵に見せつけてやるのだ、と言ってるわけですね。

トラちゃんが士官学校卒業生に語るアメリカのビジョンのようなもの。

トランプ:終わりのない戦争時代を終わらせてるの!

 

■ 奇妙な時代の始まり

「ムジャヒディーンをばらまけばいいんだな」作戦というのは、軍事作戦と呼ばないですよ、こんなの。テロリストを作ってそれを追っかければ永久に戦争をしていられる!みたいな、とてつもなく阿呆ではた迷惑な行動です。

その一方で、「みんなのものを特定の会社のものにすると良いことがあるのだ」思想が大流行りになったわけで、並べてみると、ムジャヒディーンの帰結としてのモスクワ五輪ボイコットあたりからこっちが、世の中の大半の人たちにとっての、なんだかへんな時代の始まりだったと考えてみたらいいと思うな。

中曽根元首相死去:みんなのものを売っぱらった人


 


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3 コメント

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G.Kennanに導かれた (И.Симомура)
2020-08-03 21:15:54
私の最初の仕事場の図書館にはジョージ・ケナン(記事の中のケナン氏の大叔父)の"Tent Life in Siberia"と"Siberia and the Exile System"の初版本がありました.私をシベリア民族学に向けてくれた書物であります.アメリカにもこのような誠実な方がいるのに驚きました.
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アルカイダ同盟がモスクワオリンピックボイコットした時代 (ローレライ)
2020-08-03 21:24:57
アルカイダ同盟がモスクワオリンピックボイコットしたのが頂点で後は馬糞の河流れで解体してロシア側にイランと中國が移転した。
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アメリカ大統領選の1980年 (宗純)
2020-08-04 14:23:59
NATOのアジア版のSEATOの参加国ですが旧宗主国の英仏が入っている植民地維持同盟なのですから、実はNATOの意味も同じ可能性がたかい。

南部バイブルベルトのカーター大統領の再選の1980年11月
その3カ月前の8月のモスクワ五輪ボイコットで国民世論の右傾化を煽って当選するつもりが10ポイントの大差でぼろ負けする。
実は1980年2月にアメリカのニューヨーク州のレークプラシッドで行われた冬季オリンピックニューヨーク州のレークプラシッドで行われた冬季オリンピックが平和裏に大成功。
その半年後が夏季オリンピックのモスクワなので、直前まではアメリカがボイコットするとは誰も思っていなかった。
たぶんカーター自身が思っていなかったが、負けそうなので大博打を打ったのでしょう。結果的にアメリカは泥沼のアルカイダなどのイスラム教テロを支援する羽目に陥ってしまう。
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