今日は長崎の日。
今年は、翁長さんが亡くなられたことに衝撃をうけつつ迎える長崎の日。沖縄については私はあまり書いていないが、どうしてあまり書かないかというと、大抵の人と多分フォーカスがあわないから(笑)。
そもそも根本的に沖縄戦はまったくの不要、というよりするべきでなかった行為であり、このようなことをしでかした大日本帝国の1945年に至る戦争終結方法問題は、もっとバッサリと語られ、批難され、以て、このようなことを二度と起こしてはならない、と国民各位がどっからどうもっていってもそう結論づけられるようにすべきである、という考えを持っている。
そういうことを考えるから6月の慰霊の日も、なんだかこう、慰霊している場合ではなかろう、とか言いたくなってしまうので自重してる。
そんな中長崎関係で、ハフィントンポストに興味深い記事が載っていた。
「幻の世界遺産」浦上天主堂は、なぜ撤去されたのか。長崎原爆の日に振り返る。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/08/urakami-church-history_a_23498823/
この記事の下敷きは、数年前に出たこの本。
ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 (文春文庫) | |
高瀬 毅 | |
文藝春秋 |
要するに、なんで長崎には広島の原爆ドームにあたるような、被害を伝えるシンボリックな建物がないのか、いやあったんだ、それは浦上天主堂。ところが、それを保存しようとする長崎市議会に反して、市長とカトリックの司教さんがアメリカに行く中で(あるいはその前後にかわからないけど)、これを残す必要はないと言い出し、結局取り壊しになり、1959年に再建されてしまう。
著者の推論としては、原爆の無残な様を残したくない etc.のアメリカの影響があっただろう、って話。
多分、その推論は正しいのでしょう、と誰しも思うわけですが、しかし、しかし、この本でも弱かったなぁと私が思うのは、当時のアメリカは、核兵器を極悪兵器で、こんなもんでいきなり無辜の市民に核攻撃するのは間違いだ、みたいな流れで批判されることを恐れていたという点。
この間書いた、ストックホルム・アピールの問題も、微妙以上に横たわっていたはず。
広島、原爆、朝鮮戦争
かいつまんでいうと、原爆を今や降伏しようとしている国の市民の上に投下したという点が、ソ連やら欧州各国の人たちに非常に不評だった(軽い書き方だが)。
だからアメリカとしては、(不毛な話だが)これは仕方がなかったんだ、という線で押してる。原爆落とさな日本が降伏せんじゃった、とか、原爆落とさな米兵100万人が犠牲になった、とかとか。
そのため、広島が復興に向けて集会をした時にも、平岡敬氏のお話によれば、2年目あたりの会にも米か英の将校が来て見張ってたり、いいかわかったか、お前らが悪いからこうなったんだからな、という趣旨を英将校が発言した文言がしっかり残ってる。広島の人は原爆をくらい、その上説教を食らっていた。
広島側としては(あるいは日本側としては)なんせ占領下なので、言われるままになり、その上今度は、アメリカについて再軍備だ!という日本国内の派閥が実は隠然と力はあったらしく、朝鮮戦争の年には、広島の復興のための集会(後の平和記念祭)は中止させられた。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/1/1.html
ということで、アメさん(または西側連合軍)としては、原爆は「仕方がない」に収斂される受け取り方で、すなわち、政治問題化しない言い方でしか認めない、というガイドラインを持っていたとみえる。
ついでにいえば、昭和天皇も、終戦時の国民への呼びかけ時点から、基本的には仕方がない路線を取っている。
別の言い方をすれば、原爆の投下を問題視したり、平和運動的に捉えることが、危険思想視されていく。
長崎でも、有名な永井博士が、「神の摂理」の方向で原爆を捉えていることから、占領軍的にはOKみたいな感じだったと言われている。このへんが、祈りの長崎とかいう、妙なスローガンと共にすっかり定着してる感じですね。
といったことを思い起こしながら、上のハフィントンポストを読むと感慨深い。
当時、浦上天主堂の保存を訴えていた岩口夏夫・元市議は、ノンフィクション作家の高瀬毅さんの取材に以下のように振り返っている。
「本当にいま残っておったら世界遺産だったはずです。悔やまれてならんと、ほんとうに。あれは二十世紀の十字架です。人類の愚かさを教えてくれるものだった。キリスト教を信じとる国が、おなじカトリックの信者のおる浦上の真上に原爆を落とした。まるで作り話のような物語性をもった世界遺産になったとではないですか」
https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/08/urakami-church-history_a_23498823/
世界遺産になったはずなのに、っていう入りにまず、へ?なわけだけど、どこまでいっても、まずそれが惜しい模様。こういう兵器を使用したことへの、あるいはこんなことを二度と起こさせてはいけないといった切り立った感情がない。
カトリック信者なのになんで救われなかったのか、みたいに読めるんだけど、なんでそんなに話を矮小化せんとならんの? と、思わず引いてしまう。
昔の広島、あるいは広島、長崎の人たちは、人であれば当然に持つであろう怒りの矛先を奪われ、こんな兵器を使うべきではない、これは間違いである、といった考えすら平和思想として危険視されるという、ほとんど人道的な迫害だろ、これ、といった時代を過ごさねばならなかった。
しかし、人々は、上に睨まれないようにしつつ、危険な道に逸れないようにしつつも、それでも、多分ずっと、どうやっても日本人の多数は核兵器の使用に心から反発していたように思う。
世界遺産を言う人にはこの緊張感はない。
タブーが解けないどころか、タブー領域を回避しすぎてあられもない方向に行ってしまったような恰好に見える。
■ オマケ 1
日本人の精神の健全性を復活させるためには、是非とも朝鮮戦争は終結させるべきだとますます強固にそう思う今日この頃。
結局このスキームの中にいると、いい加減なゲームの中のプレーヤーみたいに、特定の機能しかもたされない人形めいた人間になってしまう。
「特定自由民主化ギブス」みたいなの嵌められて、アメさんを褒める方、おもねる方にはめっぽう自由に動くが、状況を観察して、核兵器は不要でしたね、ソ連や中国の言い分にも聞くべきところあたりでギギっとバネがしまり、正しいと言い出すと強力に締まる、みたいなギブスが私たち一人ひとりに嵌められてる感じ。
ギブスを捨てて町に出よう!(笑)
■ オマケ 2
第二次世界大戦におけるカトリックは、少なくともバルカンにおいてはナチと随伴して、とてつもない犯罪者集団にしか見えないので、カトリックならだいたい穏健みたいなざっくりとした印象をお持ちの人は最低でもこの時期に関しては改めた方がいいと思う。
ウクライナのナチ問題と似てて、そして両方とも解決してない。
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カトリックは新しい米に対して、戦々恐々だったところはあるはずですよね。
だってカトリックはナチにくっついてたから。
で、ディープステートはそれはOKだとしても、一般米英はそんなの知らないですから、穏便にと忖度してても不思議でない。
こちらも生身の人間ですからやはり限度があります。怖いですし。
私の大好きなロカンダデッレファーテがこれに関連した唄を唄ってますね。
「Locanda delle Fate - I giardini di Hiroshima」
ロカンダのセカンドアルバムの最後を飾る曲ですが、なんでかわからないですが彼らのセカンドアルバムってあまり評判良くないんですよね。(私は寧ろセカンドこそ彼らの真骨頂だと高く評価しているのですが)
イタリア人の方が的確に堂々と核兵器の非人道性を唄えるって本当はおかしな話。
それはキリスト教徒にとってまずいことでしょう。
迫害されてもずっとキリスト教の教えを信じてきた。
なのに最後はキリスト教徒の投下した原子爆弾によって、数十秒で死亡しちゃったなんて・・・
浦上天主堂は意図的に隠されてきたんだと思います。
でも、あの輪っかは、悪いことをすると締まる、でしょ?
NNNさん、
浦上自体はよく知られてますよ。カトリックの人たちは長崎で何があったか知ってるし、被爆からいくばくもない時から「エライ」人たちが永井博士を訪問してるのも有名。