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北朝鮮:平和と繁栄への期待は悪夢の内に消えた

2020-06-14 18:16:31 | WW1&2

書き半端にしていて2日ほど遅れてしまったけど、12日、北朝鮮の外相が、トランプ・金のシンガポール会談から2年を経て、平和への期待は悪夢に変わった、といったことを言った。

ブルームバーグはこんな感じの見出しを付けてた。

北朝鮮は米国の軍事的威嚇に対応できる力育てる-外相談話

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-06-11/QBS6XMT0G1KX01

 

去年までトランプと金ちゃんが会談を繰り返し、一つずつ相手を確かめるような動きを金ちゃんたちはしたわけだけど(テスト施設を爆破した、とか)、アメリカは答えなかったわけですよね。

北朝鮮は一部の制裁の解除を求めたわけだけど、それにも答えなかった。

米朝会談決裂:引かないアメリカ・誰のアメリカ?

 

要するにアメリカってそんなもの、といったところではあった。現在の一極妄想にまみれたアメリカには約束という概念はない。約束は他人が守るもので自分が守るものではないという発想。

そこで、なのか、別の理由かは知りませんが、北朝鮮は今年1月、去年までトランプと金さんの会談とかプーチン、習近平との会談を上首尾でこなしていた李容浩外相を解任した。

新しい外務大臣李善権さんは、職業外交官ではなくて軍人バックグラウンドから来た人。これは方針変更へのシグナルだったのではないのかと思われる。

その人が今般、

2018年のシンガポール会議での希望は、絶望へと代わり、朝鮮半島の平和と繁栄に対する一筋の楽観も暗い悪夢の内に消えていった

と語った。

The hopes of the 2018 Singapore summit “shifted into despair” and “even a slim ray of optimism for peace and prosperity on the Korean peninsula has faded away into a dark nightmare,” the minister said in a statement relayed by state news agency KCNA.

https://www.rt.com/news/491602-pyongyang-despair-singapore-summit/

 

李さんは具体的な方針の変更などを語ったわけではないが、「米国からの長きにわたる軍事的脅威に対応するためにより信頼できる戦力を構築すること」を国の戦略的目標として語ってる。

his country’s strategic goal is “to build up more reliable force to cope with the long-term military threats from the US.”

 

 

で、上述した通り、李容浩さんが解任されたことそのものが戦略の変更を示していて、それが時機を得て(何かきっかけがあって?)、さらにその変更を表明することとなった、みたいな感じではなかろうかと私は思ってる。

前任者李容浩さんは日本を含めた多数の国のリベラル派外交官みたいな感じだったんじゃないのかな。話をちゃんと詰めれば必ず道は開けるという考えがあった。

だけど、アメリカは外交をする国ではないし(お前が従え、というスタイルしかない)、そもそも日米が北朝鮮を国家承認していないという事情から考えれば、現在のフェーズは外交ではない。国の承認を得るか否か、あるいは北朝鮮の存続を認めるか否か、みたいなもんですからね。そこで、今般ある意味正常に、潜在的に軍事が含まれる交渉を担当する体制となったというところではないのだろうか。

 

で、さらにもう1発。東亜日報に出ていた記事では、北朝鮮が文さんを批判している模様。

北朝鮮メディア、「前任者よりひどい」と文大統領を批判

労働新聞は11日付の論説で、「今敵は表向きではまるで良くないことが起こったかのように恥じ知らずにも騒いでいるが、一時もわが共和国を倒そうとする凶悪な心を捨てていない」とし、「(北朝鮮へのビラは)私たちに対する挑戦であり宣戦布告だ」と強調した。また「後でどんなことになろうと、北南関係が総破産されるとしても、南朝鮮当局者に相応の報復を加えなければならないというのが、私たち人民の鉄の意志」と強調した。政府が、金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党第1副部長の談話が出た6日後に、ビラを散布した脱北者団体2ヵ所を告発したことを「恥じ知らずにも騒いでいる」と嘲り、「総破産」を警告したのだ。

 

要するに、今になって騒いでいるけど、脱北者の動向を収拾したこともなければ、今後どうするかを考えたこともないくせに、何を言っているんだ、ってことなんでしょうか。

この件に関しては私は北朝鮮の言ってることを理解しますね。

そもそも、韓国は、北を潰して統一するという、ドイツモデルを否定できているのか?というと、かなり怪しいから。平和そうに言ってても、これは結局北の存続を有無を言わさず犠牲にするプラン。東ドイツの成り行きを見ればわかる。

 

そこが、前から北が言っている通り、盧武鉉と文は違うってことになるんでしょう。

トランプ板門店超えを見て盧武鉉を思い出してみる

で、

「ろうそく民心のおかげで政権に就いたので、以前の当局者とは多少は違うだろうと思ったが、今見るとむしろ先任者たちよりひどい」と非難した。

 

というのもなかなか辛辣ですね。

しかし、ちょっとわかる。前任者というのは、李明博、朴槿恵なわけで、アキヒロはよくわからないけど、朴さんは実際1つ目覚ましいことをしている。前にも書いたけど、

2015年の「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の時に、こういう具合に、この2人と並んで北京で行われた式典に出席した。

 

しかも、ちゃんと抗日組織の人たちを招いた式典だった。

さらに、1931年の満洲事変以降は、満洲を取られたことからチャイニーズとコリアンが満洲あたりで、抗日組織、いわゆる東北抗日聯軍を作っていく。これをソ連が支援し、関係し、利用し云々で、日本が倒れた後の中国北東部+朝鮮北部に深く関与する人材はここから出てきた。

そう考えると、2015年に戦後70周年の記念式典を中国でやった時に、習、プーチン、韓国の朴が並び、さらに、抗日軍に参加してた人の子孫が北朝鮮を代表して出ていたのは重要な出来事だったとあらためて思う。

再び歴史的なモメントを迎えた中露 by 習

 

これがつまり、朝鮮の独立への一里塚なわけですよ、実際。

こういう明日をも知れぬ満洲で朝鮮人、中国人の喧嘩やら協調やらがあって、この人たちの一部がソ連にくっついたので、1945年にソ連が満洲に入ってきて、日本人を追い出し、同時に朝鮮北部からも日本人が出て行くことになった時に、朝鮮人がそこにいるという形ができた。総じていえば、朝鮮を主体として、ソ連の手を借りて日本人を追い出した、という解放物語ができるわけです。

このへんでまとめた通り。

朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム

嫌だろうがなんだろうが、実際そうでしかないんだから、そう語ることが、この動きの中で命をかけて死んだり、傷ついたりした人たちへのはなむけであり、敬意である、ってことになると私なんかは思うな。

戦後10年とか20年ではいろいろ立場があるかもしれないが、75年も経って、もう生き残ってる人たちはごくごく少数なんだから、これらの式典をきっかけとしてホントのところを語ることには意味があると思う。

 

そこで、5月にロシアが、

「1945年に、日本の支配から朝鮮半島を解放した時に死んだソビエト兵士」(米ニューズウィークの表現)

を覚えていて、記念してくれている北朝鮮の金さんと当時戦った人たちにメダルを贈ったということの意味もはっきりするわけです。

ロシア、北朝鮮に「よく覚えていてくれました」賞

 

北朝鮮でメダルもらった超がつくほど高齢であろう人たちは、あらためて、若かりし頃朝鮮復活のために身を投げ出したことを顕彰してもらって、さぞや嬉しかったと思う。

 

で、南の方はこの話から外れっぱなし。今でも。

進歩陣営は、1919年の臨時政府樹立が建国という無茶な話をしてるし、

保守陣営は1948年の李承晩の時が建国だと語ってる。

進歩陣営は1919年4月13日臨時政府樹立日を建国日としてみている。一方、保守陣営は48年李承晩(イ・スンマン)政府樹立を建国の基点として捉えている。このため、李明博(イ・ミョンバク)元大統領は2008年光復節行事を「大韓民国建国60周年および光復63周年慶祝式」に定め、朴槿恵(パク・クネ)前大統領は2016年光復節祝辞で「光復71周年、建国68周年」とした。 

http://japanese.joins.com/article/062/244062.html

 

はっきり言って、居座ってた日本は1919年の朝鮮の臨時政府なんかに鼻もひっかけてないので、この件に関していえば進歩陣営の方がより空想的なことを言ってると言える。

保守陣営は、アメリカ命、アメリカ様が下さった建国だという態度なので、これはこれで多少は現実味がある。しかし、じゃあ、アメリカが満洲から日本軍を追い出せたのかよ、と考えると、こっちもどうして解放できたのかを見てないという意味でとっても弱い。空想的であることに変わりはない。

 

こうやってよく考えてみると、朝鮮族の将来を慮った若い朝鮮人を思いやれない南の半島部の人たちは、朝鮮とかコリアとか名乗るのを止めるべきだな。余計なお世話なのは百も承知だが。

そういえば、韓国は、そもそも朝鮮ではなくて、「韓」こそ名称だと言っているようなので、朝鮮なんかどうでもいいということなのだろうか?

しかし、じゃあその「韓」はどこから来たの? 

結局、誰かが血を流さないと達成できなかったことにはいささかの違いもないわけです、はい。

 

ということで、コリアとしての正統な物語を持ってる、語れてるのは北の方だと私は前から言ってるけど、あらためて強く主張する。

南は、結局日本と一緒で、嘘だっていいだろ、金持ちなんだからという路線を歩んでるし、今後もそうするつもりであるように見える。それはそれで生き方の問題なので、私としては、ああそうですかと思って見るしかない。

 

■ オマケ:渤海と新羅、魏と呉

この先どうなるのかわかりませんが、まったく個人的には、北は北で行くというのもありだろうと思ってみたりもする。

もともと朝鮮と呼ばれる地域の半島部と大陸部は、かなり別の歴史をたどっていることから考えれば、今のような南北が分かれた状態が何がなんでも不正常というものでもないという考えも成り立つでしょう。

いや、1945年の終結として一度全部が一緒になったままになるべき、という理屈は多いに理解するし、私もそうすべきだとは思う。そこは誤解なきよう。

だがしかし、文化的に考えれば、渤海・高句麗と新羅だと思えば南北に分かれるのも不思議なしって気がするわけですよ。

そして、高句麗の末裔で楽浪郡があったところだって方が、新羅、百済より比較にならないほど断然カッコいいと思ってる私がいる。いやマジで(笑)。

 

また、魏呉蜀の魏は北の方の遊牧民系と何か共通したものがあると思えば、現在のロシア、モンゴル、北京中国、北朝鮮に密な交流があることにはなんの不思議もないではないか、と大風呂敷を広げてみたい気もする。やっぱ、ユーラシア側の動乱に連動する地域だな、みたいな。

南の半島部は、西南日本、対岸の中国沿岸部と同じく東シナ海文化圏の人。あるいは呉とか宋の影響が色濃いところって感じ。

どうなるのかわかりませんが、私は北の方が好立地と思ってる方なので、多分大抵の人と考えていることが違うことは自覚しつつ、成り行きを楽しみにしてる。

 

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関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦

朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム

 


 

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6 コメント

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満州の丘に立ちて (ミール)
2020-06-14 20:47:59
COVID-19 のおかげで大忙しの 2 カ月でした.

いろいろ書きたいことがありますが,まずは今回の記事について思い出したのはニキータ・ミハルコフの「ウルガ」で,セルゲイが内モンゴル(すなわち一部は旧満州)のクラブで歌う「満州の丘に立ちて」.バンドに曲名を言ってもメロディーを口ずさんでも伝わらない.とうとう背中の刺青の楽譜を見せて演奏をさせた.恍惚として歌っている途中でスタッフに連れ去られて行くのだが,その時に「知らないのか!君たちのために命を落とした兵士たちをしのぶ歌なんだ!」と叫ぶ.
 これは 1991 年の作品です.その時に比べたら露中の関係は実に良くなりました.中国が特に習近平になってから正しく歴史を見つめるようになったからでしょう.
 なお,「満州の丘に立ちて」はもともとは 1905 年の奉天会戦で斃れた兵士たちをしのぶ曲としてイリヤ・シャトロフが作曲したものですが,ソ連時代に今歌われている歌詞が一般的になりました.その歌詞には明示的に1945年の戦いが描かれているわけではないのですが,ソ連の人々の認識はセルゲイの言った通りだったのでしょう.
ありがとうございます (名無しの在日)
2020-06-14 21:42:00
ここ最近の北側の対南強硬姿勢、正直私も何を見据えてのものなのかと首をひねっていたのですが、本エントリでのブログ主さんのご主張によって疑問が氷解するような思いです。

>2015年に戦後70周年の記念式典を中国でやった時に、習、プーチン、韓国の朴が並び、さらに、抗日軍に参加してた人の子孫が北朝鮮を代表して出ていた

この時、朴クネ前大統領がどこまで考えて出席していたのかは私のような凡人には量りかねますが、彼女の出自を考えたとき、この件にオフィシャルで関わるのは、国内政治としては相当に薄氷を踏むような選択だったとは思います。

そして

>進歩陣営は、1919年の臨時政府樹立が建国という無茶な話をしてるし、
保守陣営は1948年の李承晩の時が建国だと語ってる

というのも、南側国家の正統性を訴えるには果たした役割としてやはりあまりにも心許ない。これこそが「神話」だと個人的には思います。
なぜなら、コミュニストの立場を選択し満州で恒常的に活動していた抗日武装組織に比べ、彼らがせいぜいできたことは単発のテロリズムくらいしかなかったから。

いくら「自由民主主義」政体であろうと、その延長線上にある経済発展で「勝ち組」に加われたのであろうと、それで「歴史の審判に対して責任ある応答を行なったか」と言えるかは、また別次元の話でしょう。

以下蛇足。
現在南側社会では自らのアイデンティティを指す語として「韓」の語が広範かつ深く浸透していますが、この語が旧「大韓帝国」あるいは「大韓民国臨時政府」の看板にのみ基づくものとは到底思えません。
解放後の南において「韓」という語と概念がどのように導入され浸透していったのか、私はそれなりに経緯を検証してきたつもりですが、いまだにはっきりしないなあと感じています。
よろしければ、ブログ主さんにも一考していただきたい問題です。
メモリーがリストアされた (ブログ主)
2020-06-14 22:03:39
ミールさん、

良いお話ありがとうございます。
「ウルガ」をみたことがないので機会を見つけてみてみたいと思います。

ふと思い出したのは、数カ月前、別の映画監督のシャフナザーロフが、大祖国戦争のことだけでなく全体としてロシアのメモリーがリストアされてきた、メモリーのない人間は守備兵のない要塞のようなもの(by ナポレオン)というではないか、といったことを言っていたのを思い出します。

その後に、ソ連は西部からだけ攻められていたのではない、全方位敵だらけだったのだ、と言ってました。これは当然「メモリー」を持たない私たちに言ってるな、と私は咄嗟に思いましたが、韓国も、ついこの間までの中国も入ってますね。


朴さんはすごい決意だったと思う (ブログ主)
2020-06-14 22:49:25
名無しの在日さん、

おっしゃるように、朴さんのこの決断は、ほんとのことを言えば危険だらけの極東においてスゴイと思います。

その結果が刑務所だったという可能性だってあると思ってます。だってへんでしょう、朴さんの失脚の仕方。

となると文さんは、太平洋側主導に戻すための人選だったとなる。通常これは納得しづらいところですが結果的にはそうだったのかもしれない、と今日現在では思えます。

韓については私こそ教えていただきたいと思いますが、いずれ下手の横好きで何か書きたいと思います。
Unknown (ローレライ)
2020-06-17 08:35:14
南とは合併しないカリーニングラードの道もある。
Unknown (にゃんこ)
2020-06-18 10:12:19
朴槿恵さんの逮捕は憲法違反であると、どこかで読んだ事があります。この写真で理解出来ました。これは誰かの逆鱗に触れますね。ありがとうございます。

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