金環蝕 [DVD] | |
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金環蝕は、1966年(昭和41年)に発表された石川達三の日本の小説を下に、1975年(昭和50年)山本薩夫監督によって映画化されたもの。
● 古い映画だけど、基本的には政治の後ろのお金がらみの動きとしては特に現在でも変わらないのではなかろうかという気がする。
総裁選を頂点とする政界の活動にはお金がかかる、そのお金をどこから持ってくるかといえば実業界、最近の言い方だとビジネス界で、ビジネス界は政治の決定に関与することで利益を得て、それをキックバックとして政界に渡す、と。
70年代から90年代というのはこういう構造的な汚職についてのドラマがたくさんあった。それがあるのはもちろん汚職はいけないという認識が世間にあったからだろう。
では最近どうなのか・・・? あることはあるんだけど、最近はむしろそれが恒常化していて、もはや誰も止められないという感じになっているような気もする。
なにしろ、明らかに事業に利益のある人たちが政府内で「民間議員」なる妙な仕組みを作っていることは誰の目にも明らかだが、主要メディアがそれを問題にする気配さえない。汚職という概念ではおいつかないようなことなのだが・・・。(談合や話し合い、業界内の落としどころといったことは悪いことばかりではないのに、そっちを悪いものとして叩くことはあれほど熱心だったマスコミは、民間議員なる議会制民主主義をぶち壊すような構造的問題にはまったく興味がないらしい。おかしいというより危険な状況だ)
さらにいえば、外国からの影響が深く疑われる案件(例えば郵政民営化)などというのもあるし、そもそもの日本の経済の仕組みを変えろと外国(アメリカだが)から指示され続けてきたことも知られてしまっている。今もあるだろう。そういう世の中になってしまった。
ということをいろいろ考えてくると、この映画は、要するにある程度閉じられた系の中にあった、かなり活気ある日本国の政治経済活動の一場面を活写したものと言えるんじゃないかと思う。そして、その中では、国民が国家の政府のやり方についていろいろ文句をつけ、それを主要メディアが公正とか公平とかいった観点から横やりを入れるというある種の、今となっては真っ当な習慣があったことの記録かもしれない(しかし、ドラマの中では現在と同様その正義感は敗れるのだが)。
なぜそういう社会がなくなったのか。まぁグローバリズムとかいう問題なんだろうなぁと改めて思う。
●この映画は要するに70年代頃の高度経済成長期の話だ、それは古い話だ、といった構えで見る人が多いと思うんだけど、でも、そこじゃなくて、2000年代以降とは本質的に違う世界がと思ってみるといいのじゃないかとも思う。
最大の違いは、上でも書いた通り、ここには外国人がいない。外国の証券会社だの外国の要人の動きに気を払ってる人は誰もいない。カタカナの銀行名もない。
もちろん当時だって本当は国際金融こそが問題だったと思う。ニクソン・ショックのあった前後の話なのだし。しかし、それにも拘わらず人々の意識も実際のお金の動きも、実にまったく殆ど完全に閉じられた世界だった。そして、それが出来た。日本には日本の内需とそれを賄うだけの資金があってそれを第一義的に日本国内に投資して回収することになんの疑問もなかった。
この違いは大きい。
先月、宮崎正弘氏が、チャンネル桜の討論会の中で、昔はこれこれといった相場師がいて、その後野村がネットワークを生かして相場を作っていった、今誰がやってるんですか(日本の株式相場は6割が外国人投資家ですよ、と田村氏)、といったことをおっしゃっていたけど、まさにその違いこそが重要だと思うのよね。金融が国内を中心にがっつり生きていた時代があった、と。
2/3【討論!】世界を動かすものの正体?![桜H26/8/9]
●魑魅魍魎の世界とこちら側がそれなりに上手く分離していた時代だったんだな、という点も重要。官僚は官僚らしく、政治家は政治家らしく、そしてその周囲にいる怪し気な人々は思いっきりあやしい。
そう、昔は金融業界というのは、表できれいに見える銀行と裏を繋ぐ結節点だったんだなとあらためて思う。また、ブンヤという業界人もいた。これもまた、本当は出所も目的もわからない情報をあたかも正しいかのように、それしかないかのようにして表に出すという意味で金融屋さんに似てる。
証券とかブンヤが、あたかも正義であるかのように、あたかも真っ当な職業であるかのように扱われるようになったときから(要するに嘘なんだが)、世の中っておかしくなったのかもなとも思った。
●日本人の佇まいの変化も興味深い。特に女性がそうだけど、このへんまでの人たちは、洋服を着ていようと、それ以前かある(つまりそれが日本の伝統的な、ということだけど)、着物を着た時にかわいい、いい感じだと考えられた立居振舞をしていた。日本女性は一体に歩き方が踵からがっしり歩かないのが特徴。
また、かなり多くの場面で、人々は畳に座って食べたり飲んだりしている。特に、家庭内はそうだ。会社や職場、議会といった建物、内装は70年代ともなれば現在とそう変わらないのだが、家庭の居住環境はずいぶん違う。
超マイナーな話だけど、石原参吉(宇野重吉)が夏場に着てるシャツとステテコ姿は、今はどうなんでしょう? いる? おじいさんでさえユニクロとか着てるからなぁ・・・。どうなんでしょう。
この素材はチヂミ、ちじみ、チジミとか呼ばれる素材。夏場の衣類としてはとりわけ好まれていたと思う。今じゃチヂミといえば韓国の食べ物だけど、そうじゃない、楊柳とかクレープとか言われる素材のことを「ちぢみ」とか呼び習わしていた。今だっていいけど、そういえばあんまり見ないかも。なんででしょうね。
宇野重吉が演じる石原参吉(金融王)の部屋の様子
石原参吉(宇野重吉)、石原参吉の妾(長谷川待子)、古垣常太郎(高橋悦史)