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靖国:難きを忍んで敢て提言す by 石橋湛山

2018-10-15 19:00:05 | 参考資料-昭和(後期)

今日の宗純さんのところの記事を読みながら、いやしかし、日本ってこの先この糞な問題をどう処理していくんだろうかと暗澹たる気持ちにさせられた。

ゾルレンのためにザインの天皇を殺す偽右翼

https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/1182b4a17b290a72e504ecf4be26ba0d

 

もともと作った時からヤバい思想を抱えていたのはわかっていたんだから、1945年の敗北にあわせて、いろいろ断腸の思いをしたついでに清算すべきだったんだろうなとしみじみ思いますね。結局、この際靖国神社を解体すべきだと意見を公表した石橋湛山の勇気を支援する人間が少なすぎた。

これが全文。

靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す

昭和20年10月に出したもの。

解体を決意すべきだという主たるロジックはここらへんか。

 又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神社は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神社の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭ふ能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭つて最早「靖国」とは称し難きに至つた。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであらう。唯だ屈辱と怨恨との紀念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しさうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。

 

まるめて超簡単に読解すると、

20年の敗戦によって、その大東亜戦争は国家を亡国のふちに陥れた。

ということは、戦没者を祭って「靖国」にはならなくなった。

であれば今後人々はこの神社を屈辱と怨恨の象徴とみるだろう。そんなことは良いことじゃない。だからここで解体しよう。

というロジック。

「聖戦」を煽った戦いに敗れたんだから、確かにこれは理解できるし、当時の人としたらリアルだったでしょう。

 

で、氏は、「靖国」ロジックを存続させることには危険性があることに気づいている。戦争神社となるのもやむを得ないロジックが埋められていることに。

つまり、この施設の本義は、慰霊、なぐさめ、じゃなくて、顕彰だということ。

死して尚国を護っている神に対して、靖国を訪れる人は、素晴らしい、素晴らしい、ありがとうごさいます、といった調子で向き合わないとならない。

ということは、あの戦争は敗北でした、負けました、惨敗でした、などという心情をここには持ち込めない、許せないということ。あなたは正しかった、という向き合い方が求められる。

 

このことは、怨霊信仰というキータームから行っても同じですね。

崇徳天皇とか菅原道真は、この世の巡り合わせで悪い者扱いされたが、あなたは悪くありません、そうじゃないです、あなたこそ素晴らしい、と祭ることによって、現世に災いをもたらさないようにしている、と。



これは、下士官以下の主に兵と呼ばれるクラスの人たちに向ける感情としては、私は別にいいと思う。

が、問題はそこに、そのような悲劇を招く原因となった人々がその「護国」のポジションをゲットしているということ

別の言い方をすれば、大きな戦争をもたらした人々の戦争責任の問題だということ。


昭和20年の石橋湛山は既にそこに気づいていると思しき一文がある。最後の最後で、

首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に議論の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ら軽重の差が無ければならぬ

首相宮殿下というのは、東久邇宮さんのことで、この人が、「一億総懺悔」などと言った。ここで皇族を首相にしていたというのも、今にしておもえばホントに汚い指導者層だなとか思うけど、ともあれ、そこに正面から食ってかからず、石橋はしかしながら、戦争を指導した人と連れていかれた人の中には、責任の軽重は問われなければならない、と言う。

ここには、上の流れからいって、靖国に全員祭るようなことがあれば、全員無罪放免みたいに「神」に祭り上げられることになる、という危惧があったのではあるまいかなど思う。

 

で、事態は彼が危惧した通りとなり、1978年にはA級戦犯という公式に訴追された人たちが祭られ、その上最近では、全員、国のために戦った人たちじゃないか、その人たちに感謝しないとは何ごとだ、みたいな風潮が普通化している、と。

 

なんというか、石橋湛山が首相になった時に、岸が勃興したのは因縁すぎるし、巷間言われているような何か怪しい話もあったんだろうなと思わずにはいられない巡り合わせだなとあらためて思う。

 

そして、その後にもいろいろチャンスはあったのに、はっきりとした態度を取れずについに今日まで、爛熟というより腐乱するまで来ちゃったなといったところ。

前にも書いた通り、靖国神社が問題化してもこれをずっと整理できなかったことは、日本という国、あるいは自己を日本人ととらえる人々の集合体の知的な弱さを示していると思う。

大日本帝国 vs 1947日本

2017-12-21 18:55:02 | 参考資料-昭和(後期)

 

■ ぶっちゃけて言えば

要するに、とどのつまり、ぶっちゃけて言えば、1945年に敗戦した戦争指導者を是が非でも正しいと言いたい人たちが存在し、その人たちが一般の、徴兵で行かされた、昭和の人たちの言い方にならえば、「兵隊に取られた」人たちを盾にして、自らの安全を図っている、というお話なわけで、よくよく聞かされればそうそう多くの人が納得するわけもない話だと私は信じます。

ということはつまり、国民的によく議論すれば整理できたはずの問題だったということですね。


 

 

 


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5 コメント

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英霊は、死後も戦犯の弾除けにされる。 (ローレライ)
2018-10-15 20:40:41
イスラム国の人間の盾みたいに、英霊は死後も戦犯の弾除けにされる靖国カルトシステム。
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原爆で亡くなった義兄のこと (和久希世)
2018-10-16 09:52:26
私の夫の兄は長崎に原爆が投下された時、爆心地の工場で徴用工として働いていたので、戦死者として靖国神社に祭ってもらっているそうです。

夫は戦後、母を連れてお参りしたことがあるそうですが、
東条たちが合祀されてからは行った事がないと言っています。

戦死者の遺族にとっては、
亡国の戦争を始めた人間は、
親族を無理やり犬死させた許せざる仇、
と感じている人は少なくないのではないかと思います。

憲法で信教の自由が認められている以上、靖国神社を公権力で潰す事は出来ないとしても、
閣僚が身分を名乗って参拝(代参を含む)する事は、絶対に許してはいけないことだと思います。
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靖国の危機は今 (ローシャン)
2018-10-16 13:02:03
父は「満蒙開拓青少年義勇軍」で満州に行く前、靖国神社に参ったそうですが、引率の教官は「死んだらお前らはここで神になって国を守るのだ。死ぬことを恐れてはならん」と言われた。少年たちはびっくり仰天、その日はシュンとなって帰ったそうです。

戦後、未亡人になった伯母は遺族会のツァーで靖国神社にたびたび行きましたが、批判的な父は「近くに墓があってホトケさんがおるのに、二重にまいることはない」と言っていました。

知人が幼いとき祖母に連れられ軍恩連(恩給の団体)の旅行で靖国にいったことがある。そのとき地元選出の自民党の国会議員がついてきて「今日は特別に神さんに会わしたろ」と言って、社殿にあがり奥の部屋に通された。薄暗い部屋でこんなところにおじいちゃんはいるのかとワクワクドキドキ。ボンヤリと目が慣れてきてよく見ると、そこには神ならぬ鏡があったという。

恩給を受ける人がなくなると靖国は衰弱する。次の一手は英霊を作って盛り返す。徴兵制まですぐそこ。
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エピソードありがとうございました (ブログ主)
2018-10-17 21:24:08
和久さん、ローシャンさん、

ご家族のお話しを書いてくださってありがとうございました。

軍恩連の話はいつか書きたいと思ってます。戦間期、戦争中だけでなく戦後の見直しも必要だなと改めて思いました。

またどうぞ宜しくお願いします。
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つまり (蔵権)
2018-10-17 21:37:29
何がなんだかよくわからんようになってるけど、かつての国体はそのまんま生き残ってるし、満州鉄道も生き残ってる(←これ、本当なんですよ)そして、東インド会社も生き残ってると考えるとクリアにみえる。
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