DEEPLY JAPAN

古い話も今の話も、それでもやっぱり、ずっと日本!
Truly, honestly, DEEPLY JAPAN!

大日本帝国 vs 1947日本

2017-12-21 18:55:02 | 参考資料-昭和(後期)

現在の日本の中で、頭をもちあげてきていて、なにか見過ごせない感じがするのは、すべての不具合を誰か他の人や勢力のせいにするという思考の傾向だと思ってる。

ユダヤのせい、アメリカのせい、統一教会のせい、あるいは逆に、コミンテルンのせい、共産主義のせい、といったところがその最大手か。そして、そこが「壊滅」させられれば自分たちもよくなる、という思考の流れに無意識のうちに乗せられている傾向がある、少なくともそういう人がネット上にはかなり見られるように思う。

もちろん、ユダヤもアメリカも統一教会もコミンテルンもそれぞれに、実際大問題ではあるわけですよ。

しかし、日本国にとって重要なのは、それらすべての外因ではなくて、大日本帝国 vs 1947憲法下の日本の対立だろうと思う。

といっても大方の日本人で、どちらを選択するかといわれて決然と大日本帝国と答える人は、よほど大日本帝国に思い入れのある人か、半端な情報を与えられてぽわ~んと賛成しちゃう人たちしかいないだろうと思う。

だからこそ、これら大日本帝国を復活させたい派は、それを「日本」と呼び、対比的に現在の日本を、GHQに洗脳された、自虐的な日本、本当の日本でない日本、と呼ぶわけです。

日本会議などを主体する人たちが復活させたいのは、室町に幕府のあった時代やら頼朝が闊歩していた時代を含めた日本のことではなくて、明治維新から1945年までの「日本」のこと。

このへんは、様々な方が語ってらっしゃるけど、この動画はかなり適切かつ網羅的に、一体全体どういうわけで1947年憲法をここまで嫌う人たちがいるのか、その嫌う人たちは何を語っているのかを紹介している。評論家の山崎雅弘さんの講演。ちょっと長いけど御覧になることを推奨します。

第39回メディアを考える市民のつどい「安倍政権と日本会議はなぜ『日本国憲法』を敵視するのか」山崎雅弘氏講演 2016.12.18

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/352893

この本を書かれた方ですね。

日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)
山崎 雅弘
集英社

 

■ 靖国神社の話は放置できない

で、今日なんでこんな話を思いついたかというと、ひさびさにこの人の時代にフォーカスがあたったから。

中曽根首相、中韓国交へ仲介試み=胡総書記、北朝鮮反発を懸念-外交文書公開

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122000374&g=prk

外務省は20日、1980年代半ばまでの外交文書ファイル25冊を公開した。それによると、中曽根康弘首相が86年に中国を訪問した際、胡耀邦共産党総書記との首脳会談で中韓両国の国交正常化に向けた仲介を試みる一方、胡氏が北朝鮮の反発を強く懸念し、消極的な姿勢を示したことが分かった。(肩書は当時)

韓国、中国との関係の問題はあとで考えるとして、靖国神社が問題になったのはこの中曽根氏の時代だというのも思い出しておくべきでしょう。といっても、実際にはもう少し前からなんですが。

成り行きとしては、コトババンクの記述を借りるとこうなる。

その後、神社の国営化を求める諸団体は、「終戦記念日」の8月15日に首相が公式参拝を行うことを求めるようになり、公式参拝の実現を通じて、靖国神社を国家的追悼施設として認知させようとした。これを受けて、1982年に発足した中曽根康弘(やすひろ)内閣は、公式参拝に熱意を示し、私的諮問機関である「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」を設置して、この報告に基づくかたちで、85年8月15日に靖国神社への公式参拝を行った。このときの公式参拝は、「政教分離」規定を意識して宗教色を薄めるかたちをとり、神殿での拝礼は略式となった。

https://kotobank.jp/word/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C-1602079

 

靖国神社を再び国の神社にしようという運動があって、自民党は法案をまとめたが、最終的にはその法案を通せなかった。

神社本庁および日本遺族会が中心となって「靖国神社を国家護持による慰霊施設とする」運動が展開された。

1964年、自由民主党内閣部会に「靖国神社国家護持に関する小委員会」が設置され、靖国神社国家管理について議論される。1969年から1972年にかけて議員立法案として自民党から毎年提出されるも、いずれも廃案となる。1973年に提出された法案は審議凍結などを経て、1974年に衆議院で可決されたが、参議院では審議未了となり廃案となった。

靖国神社法案 (wiki)

最近有名になってる日本会議はこの続きをやっている。

 

■ 半端な議論でしのいできた

では、なぜ「靖国神社を国家護持による慰霊施設とする」運動を日本国は受け入れられなかったのか。

日本会議的には、それは人々がGHQ由来の自虐史観にとらわれているからだ、なんでしょうが、率直にいって、70年代、80年年年代の日本国民およびその代表者たる国会議員も、この動きを先途として、1945年以前の日本の体制に戻したいなどとは思っていなかったからでしょう。

しかし、この時の議論の処理の仕方が問題だったと思うんですよね、私は。

この議論を、当時の人たちはおおむね政教分離の問題として処理したわけですね。そして、さらに悪いことには、靖国神社護持法案に反対するのは「左派」であるといった安易なことをした。しかし、事はそれ以上の問題だったと思うわけですよ。日本を破滅の淵まで追い込んだ当の勢力が、そこにもう一度戻せといっているのだから、そんな反動勢力の言うことを聞く気はないというなんらかの国民的意思表示が必要だっただろうに、と今から思えばそう思うわけですよ。

つまりですね、日本というのは1945年の敗戦によって、自分では処理できなかった問題の多い戦前の体制を、アメリカによって処分してもらった、ってことなんだと思うわけです。

負けたことは悔しいんだが、負けなかったら自分であの体制を変えられたかというとそれもできなかったであろう確率が高い、というのが日本の姿ってところですね。

これはドイツもそう。ドイツも負けるまでナチ体制下の著しいファシストレジームを壊せなかった。しかし、イタリアは違いますね。紆余曲折あったけど自分でファシストレジームを抜けていった。(多分、だからこそ戦後、ドイツを参照する人はいてもイタリアを参照することは稀だったのかもしれない。自ら出来た可能性を見せたくないから)

しかし、適当になぁなぁで、いやまぁ占領軍もいることだし、仕方ないですとアメリカのせいにしながら体制を大変革させた。ここに欺瞞が残るという話でしょうね。

 

■ 戦前の国家体制の重要な一翼

で、戦前の国家体制に戻そうとしている人たちがいるらしいと、ようやく多くの人たちが気が付いたのがつい最近なわけですが、ここまで一体どうしてちゃんと気づかせてくれなかったんでしょうという気はしますよ、ほんと。

時代が変わっていくうちに、「あの時代」の肌感覚が失われていったことも大きかったと思う。例えば、60年代、70年代に子ども時代を送った世代などは、イデオロギー統治時代だった日本を知らないから、肌身についた「あそこに戻してはいけない」という決然たる覚悟を持ちえない。だから、そういう人たちもいてもいいけど、とか簡単に言って、多様性の原理の方に魅力を感じてしまう。ま、私自身もその傾向は大ですが、しかし、ことこの問題に関していえばこの態度では足らなかったのではないかと思う。

このことは、70年代、80年代に書かれた、日本帝国の失敗に関する書物の著者たちの態度との違いによって気づかされる。1945年に20歳の人は、1975年には50歳、30歳の人は60歳なので、このあたりで著作をものにした人々は、自分の体験を下敷きにして、当時の国家体制をもう一度よみがえらせるなどあるべきではない、という確固たる思いがあった。

だから、70年代、80年代の著作には、妥協の余地なく、あっちへ行ってはいけないという態度が貫かれている。このへんが、今読むと、「左っぽい」とか教条的と見えるのかもしれない。

代表的なものをあげろといわれれば、このへんですかね。

国家神道 (岩波新書)
村上 重良
岩波書店

 

靖国神社 (岩波新書)
大江 志乃夫
岩波書店

 

私も最近思い立って読み返したのだが、いやよくできてる。このへんの本を左翼だと考える人たちの左右感覚ってどうなっているんだろうか。しかし、私が思うに、多分、そういうことを言いふらしている人たちの多くは、実際にはこれらの書物を読んだことがないだろうとも思った。特に、村上氏の本は読むのが大変な一冊だと思う。宗教学的な議論もさることながら、日本史の知識がないとまず引用文を読めない。

また、大江志乃夫氏の方は、知ってる人はみんな知ってる話だろうけど、本職の軍人さんの息子さんでご本人も陸軍航空士官学校に入学している中で敗戦を迎えた歴史家の方。この本などが特に有名な気がするし、重要でもありましょう。

日本の参謀本部 (中公新書 (765))
大江 志乃夫
中央公論社

 

上の「靖国神社」という本は、昔拾い読みした記憶はあるし中身も一部覚えていたんだが、今回最後まで読み通して、私は半分も読んでなかったことに気づいた(こんなんばっかりですが)。

で、通して最後まで読んで、それまでとトーンの違う「おわりに」を読んで泣いてしまった。多分、このあとがきの部分はもっと知られるべきだろうと思う。そして、どうして靖国神社を国家のものにしたり、国家の祭祀にしたりすることをすべきではないのかのエッセンスはここに詰まっているとも思った。

一言でいえば、国家の「祭神」であるとは、死してなお個人を認めないということなのだということ。誰かの息子であり、夫であり兄であるよりも前に国家の民でなければならないメカニズムこそ1945年以前の体制だったということと言えるでしょう。貧困と隣り合わせの逃げ場のない宗教支配以上に絶望的な支配体制などあるだろうか?

私は、この体制が終わったことは、鎌倉時代もあれば室町時代もある、結構な長い歴史を持った日本の人々にとって良かったと思ってる。しかし、これを言えば、お前は負けてよかったというつもりなのかと難詰されたであろうことも理解する。そして、このへんを上手に説明してこなかったことが現在の日本に見られる浮ついた右派ブームを招来してしまった原因だと思う。

 

■ まとめ

というわけで、冒頭に戻って、日本の不都合を外にのみ要因を求めようとするのは間違っていると思う。

そして、日本の問題は実に日本にある、と多くの日本人が考え始めたら困ると考える人たちが、そういう風に誘導しているともいえるかもしれない。繰り返しますが、外部要因がないといっているんじゃないです。しかし、それに触発されつつも尚日本固有の要因がじゃーんとデカク存在しているって話。

でまぁ、それにもかかわらずこのへんを放置して、最終的に日本会議内閣を作って憲法改正をもくろむあたりまで来てしまったわけですが、この帳尻はどうなるのか。

単純にいって、周辺諸国は、日本がアメリカに統治されている方が安全保障的にやりやすいので、それならそのように対応しようという方向に行くだけでしょう。これまでもそうだったけど、猶更そうなる。

宮台風にいえば、アメリカのケツをなめている限り、お子ちゃま風の国粋主義が跋扈できる、ただそれだけとも言えますね。


 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウーマンラッシュアワーの漫... | トップ | UN:米のエルサレム大使館決... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『人権と民主主義と科学が親の仇扱いの上級国民』 (ローレライ)
2017-12-22 07:54:46
『人権と民主主義と科学が親の仇扱いの上級国民』が『敗戦した事』を忘れたがっているが『ポツダム宣言破棄が不可能』なので『ガラパゴス空間』を日本列島に『旧関東軍系マスメディア』が作っている。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

参考資料-昭和(後期)」カテゴリの最新記事