さりげに軍事政権が権力を掌握しちゃったミャンマー。
誰も大して驚いてないし流血の事態でもないので、おとなしく見ていたらいいだろうと思う。
また、クーデターだ!軍が掌握した!とかいうとその語だけで反応する人たちが多数いるわけだけど、国軍がクーデターを起こすのと、バンデラ主義者が外国軍と組んでクーデターを起こすのとどちらが流血を避けられるオッズが高いかというと、前者でしょう。
したがって、バンデラ主義者の親元がインチキ選挙で政権を取ったアメリカは、まずは、すっこんでろ、といった趣(笑)。
なんで国軍が1年間権力掌握するのでよろしく、と言った事態になったかというと、多分、カラー革命派による騒乱を避けるためなのではなかろうか?
つまり、何かされる前に軍がコントロールすることにした、ってところではないの?
ベラルーシがなぜウクライナにならなかったかといえば、まぁ焦げ付いた人間の数が少ないってのもあるけど、カラー革命派が国内で暴れ始める前に、ロシアとの国家連合を盾に、治安機関が活動してたからでしょう。つまり、騒乱デモが来るなら来い、という体制にしてから事態を迎えるという形。
ヤヌコビッチの失敗に懲りたとも言えますね。アサドの失敗もこのへんにある。
騒乱にされてしまうと、西側の主流メディアが話を作って、仕込みで入れた暴徒を「フリーダムファイター」にして、そこにフォーカスを置き、フリーダムファイターを抑制しようとする当該国の治安機関、政府が悪者になる。
考えてみれば、ハンガリー動乱だってそう。ロシア帝国に対する騒乱もそう。歴史は長いね、思えば。
ということで、その前に先手を打って、「フリーダムファイター」の跋扈を防ぐというのは、流血の惨事を望まないのだったら、そこに限っていえば良い手としか言いようがないと思う。問題は先々ではあるにせよ。
■ さりげない話題
で、さりげない話題なんですけど(笑)、さりげなく、10日ぐらい前、ロシア国防大臣のショイグおじさんが、ミャンマーを訪問してた。そこで、ミャンマーはロシア製の防空設備を買うことにしていた。
Russian defense minister arrives in Myanmar on official visit
https://tass.com/defense/1247577
https://tass.com/defense/1247577
https://twitter.com/PatilSushmit/status/1352517939782688769
(右がロシアのショイグ国防大臣、左がミャンマーのミン・アウン・フライン上級大将)
ミャンマー空軍は基本的にMIG系統の飛行機を持ってるんだけど、概ね中国製が多いような多くないような、というところ。だけど、中国製といってもこのあたりに売ってるのは、ソ連のMigを勝手にリバースしたり、ライセンスしてリバースエンジニアリングして中国が作ったものなので、なんというか、どこまでどうだかわからない代物というべきでしょう。
だって、ソ連が輸出したモデルのパチモンってことは、最高に行っても輸出モデルなわけだから、最悪モンキーモデルのモンキーモデルになる・・・。
ということなので本家から新しくMig-29を仕入れて、さらにSu-30の系統も入れるようにしたのは、安心材料ではなかろうか。
さらに、それを含めてPantsir-S1をここで買うそうだ。ということは、防空体制を整えますという話なんだろうと思う。
さりげない話ですが。
■ 日本の立ち位置はそもそも微妙
さてそこで、奇妙な論説を発見。
ロイターに載ってた署名記事。
アングル:目算狂う日本の安全保障、ミャンマーが軍政回帰
[東京 1日 ロイター] - 日本政府は、ミャンマーで再び政権を掌握した国軍とかねてから防衛当局間の関係強化を進めていた。インド洋や南シナ海で影響力を拡大する中国をけん制するためだが、アウン・サン・スー・チー国家顧問らを拘束した軍事政権への批判を欧米諸国が強める中、日本は戦略の見直しを迫られる可能性がある。
日本はミャンマーの軍事政権とよしみを通じていた。
転機となったのは、ミャンマーが民政移管した2011年。日本の防衛大学校は2015年から同国の留学生を受け入れ始め、これまでに10人が来日。大学校に入学することが前提の日本語研修生を含め、現在は8人が神奈川県横須賀市で学んでいる。
他方、欧州+米は、アウンサン将軍の娘を通した支配を望んでたし、今も切り札はそこらへんしかない。
そこで、軍事政権ががんばっちゃった。
それに対して、この著者の久保さんという人は、日本は戦略を見直す必要があるかもな、と書いているが、それはつまり、軍事政権と手を切れという意味なのだろうか?
私が思うに、1940年代ならいざ知らず、今の日本が防衛大学にミャンマーから軍人を入れたところで、日本が主体的にミャンマーの防衛戦略を作れるわけではないのだから、日本がミャンマーの軍事政権とよしみを通じさせようというのは、むしろ、日本を先兵につかって、軍事政権内に亀裂を入れさせようという、アメリカのコントロールではなかろうか?
インド向けもそうでしょ。日本から経済協力という名で大量に商売を持って行ってインド人を持ち上げて、最後にアメリカがインドを取り込むという寸法。
ということなので、「戦略の見直し」って何を言っているのだろうか?
なんでこんなことを言うのか・・・。
考えてみるに、これはつまり、八つ当たり、憤慨、という奴か?
欧州+米(民主)がやりたがる、「フリーダムファイター」路線に失敗してるので、癪に触って八つ当たりして、日本が軍事政権と仲がいいのが悪いのだと言ってるとか?
あるいは、日本の中で、勝手に、日本が軍事政権を抑えられるとか、紐がついているのだとかいう、馬鹿な触れ込みがあったのか? しかし、全然寝耳に水でクーデターを迎えたために、腹が立ったとか?
わかりません。
わかるのは、この記事は意味不明だということ。
しかし、実際問題日本の東南アジア関係というのは、確かにアンビバレンツだ、ということを思い出させてくれる。
■ イギリスと合わせていけるのか?
日本と東南アジアの関係は、大昔はともかく1930年代からの戦争時代に関しては、基本的に、日本軍は英の植民地になっていた場所を取り返してやろう、という恰好なので、戦略として反英路線を現地に吹き込んだ。
で、日本が敗戦した後、各地でいろいろ悶着があった末に、基本的に独立の方に動いた。そこから、日本が独立の先駆けを作ったのだという主張が生まれる。
完全に間違いとまでは言わないけど、しかしそれ以上に、そもそもルーズベルト政権というのはイギリス、オランダなどの植民地をコントロールする旧勢力に対して非常なアンチだったわけですよ。それが重要。
だから、ソ連と共闘できた。つか、むしろスターリンとは仲がいいが、チャーチルには説教しちゃう、みたいな感じでしょう。
日本が嫌いというのも、これで並べてみると理解できると思う。日本は、ベルサイユ会議の時にウィルソンの顔をつぶして、イギリス、フランスの旧態依然勢力に接近して、中国の山東半島利権をゲットした。
関東軍は部分的に反英路線を取るけど、日本の支配層全体を見ればイギリスの動向を見ながら動いている。というか、英米独仏にまたがるド金持ち支配層と同じリーグにいたというだけでしょうが。
そういえば、去年プーチンが第二次世界大戦についての論文でそこを指摘していたのだった。
つまり、イギリスのチェンバレン政権は、欧州でミュンヘンの「融和」を作ったことと全く同様に、同時期、極東でも「融和」を外交として演じていたんだよな、と。
プーチンの第二次大戦論文:東西がつながった
で、思うに、日本の少なからぬ人たちにとっては、現在の日本が英米の植民地勢力の21世紀版として、大西洋と太平洋をNATO化して、それに入ってるといることは、自らのよてったってきたナラティブを否定することになるのではなかろうか? 気づいているかどうかすら怪しいですが。
■ 関連記事
①国軍は、国会の25%を無条件で獲得する
②憲法改正には、75%超の賛成が必要
③外国籍の配偶者をもつ者は国家元首になれない
を民政移管の条件とした。
つまり、NLD(スーチー党)が選挙で如何に地滑り的な勝利をおさめたところで、国軍の意思は国政に反映される。
しかも、安全保障に関わる重要省庁(国防省、内務省、国境省)の大臣は国軍総司令官により指名されるため、NLD出身の大統領の命令系統ではない。
これらを鑑みるに、「不正選挙」というクーデターの理由は表向きであって、他に理由があると考えるのが自然だと思う。
国軍にとって、スーチー氏を政治の舞台から排除することに全くメリットはない。ロヒンギャで国際社会への対応という汚れ仕事をできるのは彼女しかいないし、彼女を矢面にたたせておくことで対テロから国を守ることができた。
カンボジアやラオスのように、中国の保護下に入り、経済的恩恵にあやかりたい軍の意向なのではとの憶測も成り立つが、中国にとっても隣国のミャンマーがこのような形で動乱におちいるのは好ましくないはず。
私としては、アメリカの政権交代から1週間でこのようなことがアジアの要所で起きたことが気になってしかたない。国軍を故意に暴走させておきるであろうコンシークエンスを期待しているのではと。
ASEANの中で唯一、中東化しそうなミャンマーだが、ミャンマー人はそこまでバカじゃない。ウクライナのようにはならない。
ただ、ひとつ心配なのは、齢75歳のスーチー氏に拘束中に何かあったら、それこそカオス。「コロナで死去」とか言って、もう一つのプロパガンダに利用するか(笑)。
憲法に則って行われているのでクーデターではありません。
当然のことながらスーチー女史も合意の上で宣言されました。