中国の習主席がロシアを訪問して様々な催しを通じて、中国とロシアは仲良しです、パートナーですと言いまくっている。
この様子に対して、日本の中には、米中対立だ、本格的だ、どころか、再び軍拡の時代だとホイホイ喜んでいる感じの人もいる。舛添のtwitterなんかその典型か。
舛添要一認証済みアカウント @MasuzoeYoichi 21時間前
ソ連/ロシアはSLBM発射で米本土を狙えるどころの騒ぎでないほど充実のラインナップで米本土を狙えるわけだけど、なぜ、中国だと軍拡の時代と言うのだろうか?
それはつまり、日本は中国の弱みが潜水艦にあるとみなして南シナ海に火をつけたからではないのか、など思ってしまう私がいる。
それに対してロシアが中国の支援にまわり、とりわけ、北極海航路をロシア軍の見張り付きで開けた、というのが大変に大きな出来事だった、というべきじゃなかろうか、など推測したい私もいる。
いやまぁ、そのへんは追々考えるとして、
私のブログとしては、こっちの方に注目。歴史です、歴史。
中露共に、今年が国交樹立70周年だという点も強調している。西側報道ではあまり強調されず流してる気がするけどね。
6月5日ボリショイ劇場で行われた中露両国の国交樹立70周年を祝うイベントが開かれている。
China, Russia commemorate 70th anniversary of diplomatic ties
http://www.xinhuanet.com/english/2019-06/06/c_138121400.htm
ここで習さんは、再び、両国間の関係の歴史的なモメントを迎えているんだといってる。
In his speech at the gathering, Xi said the two countries are embracing yet another historic moment in bilateral relations.
習さんはスピーチでこうも続けたと新華社にあった。
両国は、ソビエト連邦の大祖国戦争と中国人民の日本の侵略に対する抵抗を通じて血と命によって形作られた、壊せない絆をいつでも心に抱いていくことになるだろう。これらの戦いの中で、両国の軍と人々は肩を並べてファシズムと戦った。
ソビエト連邦は、中華人民共和国建国の翌日、国家承認をし、外交関係を設定した。
数多くのソビエトのエキスパートたちが中国が新しく産業を築くにあたって支援をした。
The two countries will always cherish their unbreakable bond forged with lives and blood during the Soviet Union's Great Patriotic War and the Chinese People's War of Resistance against Japanese Aggression, in which the army and people of the two countries fought side by side against fascism, Xi said.
Just one day after the founding of the People's Republic of China, the Soviet Union recognized the country and set up diplomatic relations with it, Xi recalled, noting that many Soviet experts helped new China lay its industrial foundation.
この時この両国の敵であった私たちからすると、腹立たしい事象かもしれないけど、まぁ実際そうだわな、といったところ。
戦ったのは主に国民党だとかいってみたところでまったく始まらない。たとえ蒋介石が生きていたとしても抗日戦争の意味をくじくようなことはしない。
ということで、思えば、1945年から4年経った時点の世界というのは、ソ連が中華人民共和国を支援して、わ~い、と思う人あれば、こんちくしょーと思う人あり、みたいな世界だったんでしょ?
私はこの時分生きてないし、物心ついた時にはすでに中国と日本は国交があったから、多分劇的であったであろう1949年、1950年の感触がわからない。でも、想像はできる。
この感触を今求めても、別に中国人もロシア人も若い人たちにはまったくピンと来ないんだろうとは思う。
が、しかし、それだからといって忘れていいというものでもないでしょう。だって、そうやってたくさんの人が命をかけたからこそ、国ができた。あるいは存続した。そして、もっといえば中華世界は、そしてロシア世界は存続した。
これは新華社にあったもの。全体的に今回は中国がとっても大量の記事を書いている。
で、一人の日本人としては、どうして日本がソ連の1945年8月の満洲侵攻を見たくないのかの、完全回答を見た気がする。
関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦
朝鮮を大日本帝国から解放したのはソ連だというのみならず、ソ連があっという間に制圧した満洲を共産党側の中国人に引き渡したことが巨大な意味をもったから、でしょう(※この成り行きは今後要検討)。
もし事実起こったようなことが起こっていなかったら、と考えると、今のようになっていたかどうか、少なくとも変数は残ったと言える。
そして日本は、どうにかして満洲に残ろうとしていた。2014年に見つかった重光外相関係の資料では、1944年5月、すなわち欧州戦線終了の1年前の時点で重光はこんなことを考えていたらしい。
当時の中国は、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が対立していたが、重光はソ連の影響力で中国内を一つにまとめてもらった上で、日ソに中国を加えた不戦の枠組みをつくれないか考えていたのだ。
(終戦1年3カ月前「対中終結を」 重光外相、ソ連仲介構想 新史料で判明
東京新聞 2014年8月14日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014081402000141.html)
私の考えでは、できそうな気がまったくしないことを考えてたんだなとしか思えないけど、ともあれそうだったらしい(このへんは今後の研究が待たれる。待って、待って、70年以上待ってるんだが(笑))。
で、ぶっちゃけていえば、ソ連当局は中国共産党を取った、ということですよね。
そもそも、ソ連と中国共産党の関係はこの辺から始まったわけではなくて、第一次世界大戦終結後行われたベルサイユ条約で、大戦前既にドイツに支配権を取られていた山東省を中国に返すのではなくて、日本に渡してしまったことに対して中国の大学生たちが反発したいわゆる五四運動から繋がってる。チャイニーズから見た時、アメリカは日本のドイツ利権取得を阻止してくれなかった、頼りにならない、ソ連に近づくという成り行きはイデオロギーというよりリアル。
五四運動から100年&沈黙の大正時代
さらに、1931年の満洲事変以降は、満洲を取られたことからチャイニーズとコリアンが満洲あたりで、抗日組織、いわゆる東北抗日聯軍を作っていく。これをソ連が支援し、関係し、利用し云々で、日本が倒れた後の中国北東部+朝鮮北部に深く関与する人材はここから出てきた。
そう考えると、2015年に戦後70周年の記念式典を中国でやった時に、習、プーチン、韓国の朴が並び、さらに、抗日軍に参加してた人の子孫が北朝鮮を代表して出ていたのは重要な出来事だったとあらためて思う。
wikiの引用はこれ。
2015年に開催された中国の対日戦勝70周年記念式典では東北抗日聯軍の模範部隊が行進しており[11]、東北抗日聯軍に加わった崔賢の息子である崔竜海・朝鮮労働党書記(当時)が北朝鮮を代表し、東北抗日聯軍と対峙した満州国軍(中国の朝鮮族学者の一説では間島特設隊に所属した[12])の元将校朴正煕の娘である朴槿恵韓国大統領とともに観閲したことは韓国メディアに注目された[13]。
で、実際問題こういう実に深い関係だったところから、スターリンが死んだ後いろいろあって、中国、ソ連は敵対し、70年代には中国がアメリカの方をむき出して、ソ連打倒に力を貸したってのが中国の歴史といっていいでしょう。
そこから、90年代いっぱいソ連が弱っていて、中国は日米に接近してたけど、(後からみれば)2000年代に入ってから中露両国が地道に話を続けて行ったような感じ。そういえばセルビアを空爆してコソボをもぎとったNATOの侵略事件の時には、中国大使館が空爆されたこともあった(米は誤爆だと言った)。
ということで、いやなんか、「復縁」みたいなところは確かにある。
■ 付き合いは長いという覚悟
色々思うに、習近平は中国の革命第一世代の息子だというのがこの中露復活関係にとって非常に重要なファクターだったと思う。近親者に当時を知る人たちがいる環境で育ってる。実際、第一世代とその子弟には、中国、満洲、ソ連での戦争で命を落とした人たちがたくさんいる。
また、プーチンは、この人を語る時、レニングラード(サンクトペテルブルク)という地を外すことはできない。そして、この年齢の人としては例外的に、両親が飢餓のレニングラードで死んでいたかもしれない体験をしている人。プーチンの会ったことのないお兄さんは戦争中栄養失調で亡くなってる。プーチンは、この、おそらく失意と到底裕福とはいえない環境にあったであろうと思われるご両親が戦後にもうけた遅い子ども。
で、2国のリーダーが二人で会って歴史を紐解いてもたいしたことない、と考える人もいるかもしれないけど、でも、こういう文明的で歴史のある集団同士が本当にちゃんとした好敵手となろうと思ったら、寄って立つ歴史、国の成り立ち、礎とその際の様々な混乱は人々に知られるべきだ、下手な隠し事をしても始まらない、という考えがリーダーたちの中にあるんじゃないだろうかという気もする。
この間は、環球時報に、中国人が戦時中どんなにロシア文学を読み、ロシア知識人の言葉をかみしめたり、それによって励まされていたか、みたいな記事もあった。
大学間の交流も、観光も、貿易も年を追うごとに増えている。
少なくとも、付き合いは長いというリーダーたちの覚悟を示していると思う。
実際、あんだけ長い国境を背に組んだら、もうそうそう離れられないし、離れたら両方とも共倒れリスクあるわけだから、そうなるというリアルな判断だとも言える。
■ オマケ
上で書いた、ベルサイユ会議に次席全権として参加し、問題のディールをしたのが牧野伸顕。麻生太郎の曾祖父。
満洲は俺の作品だ、と言ったとか言わないとかいう岸信介は安倍ぽんのじーちゃん。
なんちゅー巡りあわせなのだろうかと思わずにはいられない。
ただし、米英に宣戦布告したのは蒋介石(国民党)ではなくて、元中国共産党の汪兆銘を首班として南京に成立した「中華民国南京国民政府」です。
この手の胡散臭い怪しげた話なら山ほどあるが、歴史の本流から見れば、ほぼ意味がありません。事実ではあるが基本的にゴミ情報。
日本敗戦で占領軍として進駐してきたアメリカ軍は4個師団7万人なのですが、中国には2倍近い十万人以上の米軍が進駐していたので日本の自民党と同じ立場だったのが中国の国民党だったと見ることも出来る。
ソ連(スターリン)と中国朝鮮との関係で見れば、一番不可解だたのは国連安保理を欠席して、みすみすアメリカ軍に対して、国連軍の錦の御旗を与えたことでしょう。
この国連軍という錦の御旗の結果、今でも日本の首都東京は朝鮮戦争の司令部が存在して、今の様な日本の首都の横田空域を押さえている戦時体制のままだった。
真実かどうか、まったく不明だが、
この時、ソ連が欠席した謎の原因ですが、極東に大量の米軍を足止めすることで、欧州でのアメリカとの戦争を回避する(先送りする)ことにスターリンが成功したとの説が、最近の英国の機密文章から見つかっています。
確かに国共合作で重慶に周恩来が常駐し、八路軍や新四軍は国民政府の予算措置までつきましたが周恩来には常に監視がつき両軍は常に緊張状態が続いていました。いわば右手で握手をして左手で殴り合いの状態です。
華南では小規模ですが新四軍と日本軍が組み国民党を襲撃するという事例もあります。華北では日本軍と蒋介石系統の雑軍がくみ八路軍を襲うのもよくあった。
しかし対外的、全体的には統一を貫きました。大したもんだと思います。
スターリンはヤルタの密約で満州の利権を蒋介石に認めさせ、それで友好同盟条約を結んだのです。
それで敗戦日本の武器弾薬は当初蒋介石にみな引き渡す予定が、小火器はいち早く満州に進軍した八路軍がかなり接収してしまった。
重砲とか山砲などの重火器はみなソ連へ持ち帰り溶鉱炉で溶かし、弾薬はその場で爆破した。
この爆破の様子は牡丹江の病院で療養していた私の父が目撃していますので事実です。
内戦のときのソ連の態度はよく言えば中立はっきり言えば日和見です。
このあたりのことはシュ・イエン著朱建栄訳「1945年満州進軍」日ソ戦と毛沢東の戦略
に詳しく書いてあります。
によると、
米国防総省が最近発表した「インド太平洋戦略報告書」で、台湾を協力すべき対象「国家(country)」と表記した。これは、米国がこれまで認めてきた「一つの中国(one China)」政策から旋回して台湾を事実上、独立国家と認定することであり、中国が最も敏感に考える外交政策の最優先順位に触れ、中国への圧力を最大限引き上げようという狙いがうかがえる。
とあるが、これはトランプ政権のかなり危険な兆候である。
ほぼ同じ意味で、
『スターリンが日本の敗北直前の8月14日、中ソ友好同盟条約を結んだ相手は蒋介石でイデオロギーが近い毛沢東はほとんど無視されていました』
も胡乱な主張で、当時の中国は国共合作で一つだった事実を無視している。
日本敗戦(中国など連合国軍の勝利)の1年後に蒋介石軍が国共合作に反して共産党軍を攻撃したことから内戦になって、1949年に中華人民共和国の建国を宣言。ただし、この時にはまだ国府軍は中国国内に残っていたので、内戦は継続中だった。
中国から見れば1950年の朝鮮戦争まで一つながり。一体不可分の出来事だった。
アメリカ(ルーズベルト)は麻薬組織と繫がるなど腐敗した蒋介石(国府軍)を見捨てる心算だったが、朝鮮戦争が起きて態度を180度翻したという説が有力です。
私の足らない知識を補足していただいて大変助かります。
ここらへんはタイムラインに落として一度整理したいと思います。
ということで、(※この成り行きは今後要検討)の注を入れました。
内戦が始まる前、国民党軍と共産党軍の兵力は4:1ぐらいで、しかも蒋介石軍は米国の最新鋭の装備を援助されていた。
スターリンはリアリストで、蒋介石に屈するよう圧力をかけたが、毛沢東が聞かず、中国全土を制してしまった。米国は当初、国共連合政権を調停してたのですが、ルーズベルトの死で米国務省内のニューディール派が反共勢力にとってかわられ、蒋介石を支援するも腐敗した国民党は台湾に落ち延びる。
毛沢東は本気で共産主義をやるつもりでしたから、スターリン死後、平和共存政策のフルシチョフとは対立し、極端なイデオロギー偏重の政策で内政に大失敗、外交でも世界的に孤立してしまいました。
そこをキッシンジャーはうまくつき、引き込んだのですが、中国が実力をつけナンバー1の自分が脅かされると、たたき始め、再び中露は結束する。
今回の関係は国境問題の解決で信頼を深めた両国なので、長く続くのではないか、米国にとって手強い同盟だと思います。