高田図書館内にある小川未明文学館にて 童話雑誌 赤い鳥の創刊100年を記念した展示会が開かれています
高田の町が酒まつりで賑わっている 20日の午後 高田図書館にて 小埜先生の講座を聞きに行きました これは はずせない 何があっても聞かなくちゃ!
赤い鳥は鈴木三重吉が 大正7年の7月 鈴木三重吉の娘 すず子さんが生まれ 良質の童話や童謡を聞かせたくて創ったそうです
三重吉は そのほかにも外国の民話などを翻訳し 子供向けに紹介していたそうです ピーターパンや親指姫等。。 すごいわねえ
小川未明と鈴木三重吉とは同い年。。 同じように子供がいました でも二人の境遇は少し違っていたんですね
鈴木三重吉はどちらかと言えば裕福だったのでしょうが 小川未明は生活が大変で 子供を二人 病気で亡くしています
長女 春代さん ・ 長男 哲文さんの死を受けて 童話に専念するようになった (なんだか大きく環境が違うように思いました)
鈴木三重吉は童話作家というよりも 編集長 経営者 そして教育者だったようです
小川未明は 童話のスペシャリスト 時代背景や依頼のあった本の特徴に合わせて 童話を書ける人だったようです(だからと言って 内容や信念はぶれてはいなかった)
小埜先生が見せてくれた 雑誌の付録のようなものにも 童話をのせていたとか・・・・すごく仕事をしたんだなあ 童話のプロだったんだなあ・・・と思った
文章を書きうつします
社会思潮的な色彩のある原稿を三重吉は拒否した 自分たちの生活基盤を覆す社会変革を望んでいなかったし その枠組みを壊してでも子供の世界を守ろうと
した未明のありかたは三重吉には理解できないことであった。
未明の視線の先にあった子供は、弱い物としての子供である。 子供たちの人間性を守り 育むことを大事にした
三重吉の視線の先にあった子供は 純良な子供 中流家庭の子供である。
お二人の性格や 考え方は 少し違っていたようですね。。 赤い鳥の表紙 清水良雄さんの絵 素敵です ぜひ見に行ってほしいです
展示会場には 赤い鳥がずらっと並んでいて 表紙の絵が見事です