歩くたんぽぽ

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関口巽が元気ならそれでいいのだ!

2023年03月02日 | 

『陰摩羅鬼の瑕』を読み終わった。

京極夏彦の百鬼夜行シリーズを読んできて、今までで一番晴れやかな気持ちだ。

こんな爽やかな最後は今までなかった気がする。

関口巽が元気ならそれでいい。

 

『絡新婦の理』に関口巽がほとんど出てこなかったことで彼への親しみを知り、

『塗仏の宴』でけちょんけちょんにいじめられた彼を見て私まで憔悴し、

『陰摩羅鬼の瑕』を読むまでに2年もかかってしまった。

何度も手に取るのだけど、

冒頭から劣勢を強いられているらしき関口巽を見ていられなかった。

これ以上彼をいじめないでくれ。

そんなんだから冒頭の辛そうな部分を読んでは断念し読んでは断念し、

辛そうな部分ばかり蓄積されて結局ここまで来てしまった。

もう少し踏み込めば良かっただけなのにね。

 

読んでしまえばなんのその、関口巽堪能小説じゃありませんか。

そしてその相棒がスーパースター榎木津礼次郎なんだから言うことありません。

以下長々感想。

 

 

『陰摩羅鬼の瑕』

京極夏彦 著

講談社 2003年

 

『塗仏の宴』発行から5年も経っているのね。

リアルタイムで待っていたファンには途方ない時間だろうな。

 

とても面白かった。

もしかしたら一番好きかもしれない。

過去作を忘れているだけかしら?

今のタイミングで読んだからとても面白く読めたのだろう。

最近ぼんやりと考えていることや抱えている問題と直結していたのだ。

 

物語の構成はとてもシンプルで登場人物も少ない。

語り部は関口巽、伊庭銀四郎元警部補、初登場の由良昂允元伯爵だ。

元伯爵家で起きた連続殺人事件が物語の中心にあり、犯人は最初からわかるようになっている。

その事件を巡って3人の語り部がそれぞれ己の瑕(きず)に向き合っていくのだ。

謎を追う要素はあまりなく、死生観に関する問いが終始繰り広げられる。

仏教や儒教・儒学あるいは伝聞など様々な場所から語られていて純粋に勉強になった。

そして最後は、私が持っている常識や世界の狭さに気づかされる。

私の見ている世界は私だけのものだというのに、どこかで当たり前に共有していると錯覚している。

今までになく内省的な物語だったと思う。

たまにはこういう静かな話もいいね。

 

以前関口巽は読者に一番近いところにいると書いたけれどあれは早計だったかな。

登場人物の中で唯一共感できる人物だと思えるのは、彼がさらけ出しているからだ。

取り繕おうにもうまくいかずだだ漏れで、私は漏れた部分をありがたくいただいている。

それで彼をわかった気になってはいけないと、彼の書いた短編『獨弔』を読んで思った。

すぎょい。

彼のことは大好きだったけれどそこに敬意はあったのかい?

いやはや、すみません、ちょっとどこかで見くびっておりました。

『魍魎の匣』に出てくる『匣の中の娘』と同じくらい驚きました。

伯爵が関口先生と呼ぶ気持ちもわからなくない。

それでも関口に対し身内のように感じてしまうのは、やはりだだ漏れだからなんでしょう。

 

榎木津はいつも元気いっぱいで一つ所に留まらないイメージがあるけれど、

今回は目が見えずそれゆえずっと関口と同じ場所にいた。

なんだかそれがとても心強かったし、贅沢な時間だった。

榎木津はどんなに変人だとしてもどうしようもなくスーパースターなのだ。

そんな人に「タツミ」なんて呼ばれたら、私まで嬉しくなってしまう。

関口本人はあまり嬉しそうじゃなかったけどね。

どう言う風の吹き回しなのか、、

もしかして『塗仏の宴』でいじめすぎたからみんなで優しくしているのか?

『塗仏の宴』で「いじめすぎた」という私の認識もだいぶズレているんだろうな。

読んでいるときは関口に対する不条理に腹が立ち、他の人を冷たく思ったけれど、

読者の態度として少し感情的だったかもしれないと思う。

それも2年前の話なので細かくは覚えていない。

今回は榎木津や中禅寺の関口に対する労わりのようなものを少し感じた。

関口巽接待小説?

榎木津の「面白くねぇ」もよかったな。

珍しく汚い言葉を使うものだから、感情が少し見えた気がして嬉しくなった。

そういう意味でもやっぱり遠い存在なんだよな。

 

伯爵は不思議な人だったな。

前半と後半で見え方が変わるのも面白かった。

見た目はドラキュラみたいで怖いのだけど、読んでいくうちに彼の心根の純粋さに惹かれていく。

得体が知れないという怖さは最後まであるけれど、

伯爵からしたら自分以外みんな得体が知れないのかもしれないと思うと少し切なくなった。

彼の純粋さは悲しい結末を予感させる。

 

その中にあって退官した伊庭さんは「大人」という感じがした。

伊庭さんは深い瑕を抱えている、そして瑕との付き合い方が良くも悪くも大人だ。

面白くもない日々の中で瑕を見て見ぬ振りもできず宙ぶらりんの状態で木場修太郎と出会う。

そう思うと木場って面白いな。

あのポジションは木場でなければならなかった。

伊庭さんは一歩踏み出してくれてよかったよ〜。

彼が京極堂へ向かったことで、繰り返しの日々が、事件が動き出す。

事件発生後の彼の動きをみると警察としての手腕は確かなのだろう。

伊庭さんかっこいい!

やっぱり大人!

年齢的にも精神的にも大人が一人いると物語に説得力と厚みが出るような気がする。

現役警察の楢木さんと中澤さんもいいキャラだった。

 

あの悩ましい小説家は最後まで頑張ったと思う。

自ら伯爵の元へ行き対話し、向き合おうとした。

自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのに、一生懸命人のことを慮って、もう。

あれは自分自身に向き合っていたのかな。

伊庭さんに感謝だな。

きっと今回は警察(らしき人)がちゃんと話を聞いてくれたのも大きかったと思う。

 

関口巽だけに注目してみると、シリーズが頑然と繋がっているのがわかる。

彼ほど引きずり思い悩む人もいない。

彼が引きずるからこそ事件を超えて人間的な連続性を追うことができるのだ。

もちろん京極堂シリーズなんだけど、同時に関口巽人生シリーズと言ってもいいのかもしれない。

彼がこの事件を通して日常と非日常にどのような折り合いをつけたのかはわからない。

ただ最後妻と買い物に行くと言って去った背中はとても清々しかった。

なんだかわからないけれど、ありがとうと言いたい。

 

そういえば昨日のニュースで京極夏彦が直木賞の選考員に選ばれたと言っていた。

直木賞に注目したことはなかったけれど、これはテンションが上がる。

選考員に決まったこともそうだけど、

京極さんのリアルタイムの動向を知れるというのがミーハー心に刺さるのだ。

 

最後に心に残った一節を。

━━━━━━━━

「この国は一つのルールで動くのだと、僕等はずっと教えられて来たのですよ。

違いますか。人の在り方はいつの間にか個人と国家という形に収斂されていて、

更に敗戦がその形を歪にしてしまった。

戦争に負けて、全員が同じ方向を向いて居るような在り方はおかしいのだと気がついた時、

それを修正すべく用意された在り方と云うのは自立した個人であり、確立されるべき自我でした。

僕等は誰にも頼らず独りで勝手に大人になることー

自分で境界を引くことを無言のうちに強いられてしまったんです」

独りで大人になれ。

私はー大人なのだろうか。


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