歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

一番読んだのは誰の本

2020年03月31日 | 
最近本好きの人に「今までで一番読んだのは誰の本?」と聞かれた。

こういう質問はテンションが上がる。

「一番好きな作家は誰?」と聞かないところがいい。

そんな野暮な質問は受け付けていないし、

無邪気にそんなことを聞いてきたら、

皮をかぶった私の面倒くささが露わになってしまう。



ここでは自らの意思でその皮をはぐわけだけども、

例えば「今までで一番読んだのは誰の本?」という質問は、

「好き」が全てじゃないってところに返答の活路が見える。

「好き」だからたくさん読むとは限らない。

勉強や研究に必要でたくさん読むこともあるだろうし、

昔と今で好みが変わることもあるだろう。

「面白い」と「好き」がイコールとは限らないという点も見逃せない。

うかつに好きでもない作家の本をたくさん読むことだってあるかもしれない。

そんな予期せぬストーリーで、是非盛り上がりたい。



「今まで一番読んだのは誰の本?」という質問は、

「一番好きな作家は誰?」という質問に近いようで実は遠い。

前者にはワクワクするけど、後者には緊張する。

先にも書いたけれど前者には「好き」以外の物語が許されるが、

後者には「好き」しか許されない。

「好き」に向き合うことは、これ即ち丸裸にされるも同義。

話し相手の口を押し広げて出てきたエイリアンに、

服を剥ぎ取られ「お前は誰だ?」と言われるようなもんだ。

その恐怖に耐えつつ私は唯一無二の私だ!と言い切るくらいの、

強靭な精神力を持ち合わせていないといけない。

こんなリスキーな質問にはとてもじゃないが答えられない。



人間のややこしい危機管理問題について、

もう少し論理的な言葉で思いを綴りたかったけれど、

差し迫ったタイムリミット(寝る時間)を考慮してその権利を放棄する。



「今までで一番読んだのは誰の本?」

普段緩慢な思考しか任されていない錆び付いた脳がビリリと反応する。

この30余年の人生で一番読んだ作家、、、。

徐々に稼働し始める脳。

少しずつ蘇るめまぐるしい記憶。

昔村上春樹の短編にはまって、短編だけ全部読んだっけ。

短編の流れで星新一もずいぶん読んだ気がする。

母が入院時に読んでいたという藤沢周平の本を借りてからは、

しばらく彼の本ばかり読み漁ったなぁ。

一時はもう時代小説しか受け付ないなんて勘違いもしたくらい。

ミステリーにはまったのは貴志祐介の『黒い家』がきっかけだった。

それからすっかりサイコスリラーに魅了され貴志中毒になった。

京極夏彦とか三津田信三とかそれからそれから、あとはあとは、、、。

早送りの記憶が脳を駆け抜けていく。

あんまり早いからよく見えなくて、目をこすったりなんかして。



しばらくして自分ばかりになっていたことに気づき相手に同じ質問をした。

すると「◯◯◯だよ(誰だか忘れた)。」と即答。

そして曇りなき眼で「昔から一番好きなんだよね。」と言い放った。

頭に石でも投げつけられたような気分だ。

そうか、それでもいいよね、うん。

見方を変えれば私には一番と言えるほどのこだわりがないだけ。

エイリアンは口から出てこない。

絞り雑巾くらいの心の捻れを少し緩くしてもらった。

その流れで違う作家のおすすめの本を貸してもらったけれど、

半年に一回会うか会わないかの人なわけで、

今度は借りパク問題が勃発しそうだけどそれについて語るのはまた今度。

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