歩くたんぽぽ

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ぼっけえ、きょうてえ

2018年09月30日 | 
スポーツの秋、食欲の秋、何と言っても読書の秋。

気持ちのいい秋空に恵まれて、

カーテンの隙間から柔らかい陽光が差し込む窓辺に腰掛け本を片手に、と、うまい具合にはいかない。

ここ最近ずっと天気が悪く夜は寒くてかなわない。

つい先日まで暑かったのはもはや幻か。

怠惰故に衣替えが間に合っておらず、そこら辺にある服を重ね着して寒さを凌いでいる。

そんな仄暗い今年の秋に合わせてか偶然か、最近ミステリーやサスペンスやホラーばかり読んでいる。



本を読むのは好きだが気まぐれで、今まで読んだ本を並べてみても脈絡がない。

そういうわけで、今更!?と突っ込まれそうな名作も随分と呼んでいない。

この秋はその穴を埋めるべく最近はまってるミステリーやホラー界隈で名を馳せてきた名作を読むことにしたのだ。

ホラーと言っても幽霊がメインの話ではなくサイコホラーなど、人間の怖さが際立つ物語だ。



綾辻行人『十角館の殺人』、森博嗣『すべてがFになる』、湊かなえ『告白』、

貴志祐介『悪の教典』、三津田信三『水魑の如き沈むもの』等。

有名なだけあっていずれもそれなりの満足感を与えてくれる。

中でも最も印象的だったのは岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』だ。



『ぼっけえ、きょうてえ』

岩井志麻子 著
角川ホラー文庫 2002 (短編集、文庫版)



「ぼっけえ、きょうてえ」とは岡山地方の方言で、「とても、怖い」の意。



この本は、4つの短編で構成された短編集である。

表題作の『ぼっけえ、きょうてえ』をはじめ、『密告函』、『あまぞわい』、『依って件の如し』が収録されている。

いずれも50ページ前後の物語なのに、それぞれが強烈な余韻を残す。

一見とっつきにくいのだが、一度触れてしまうと逃れようがない。

じとーっと湿度が高く陰鬱で救いようがないのに、なぜこんなに魅了されるのか。



最近読んだ本の中で一番よくわからなかったというのも正直なところだ。

いや、作中に横たわる謎は最後にはちゃんと分かるようになっているのだが、判然としない。

その朧げな余韻が読む者の心をかき乱すのだと思う。



岩井志麻子さんの本を初めて読んだけれど、その文章力に瞠目する。

私が感動した点について解説の京極夏彦さんがピンポイントで説明してくれていたのでそのまま記載する。

ーーーー

慥かに書き振りは巧妙である。シチュエーションもプロットも練られてはいるだろう。しかし、幾ら練ってあったとしても、陳腐なものは陳腐なのである。怪談などは、どう料理しようと所詮は陳腐なものなのだ。多くの作品は、その陳腐さから逃れるために奇を衒い、またディティールに凝る。そしてその殆どが道を見誤り、細部に埋没していく。岩井志麻子はそんなものにはあっさり見切りをつけてしまったところだろう。

ーーーー

アイディアやディティールに寄りかかっていないのに物語が濃密で説得力があるのは、

やはりただならぬ文章力によるのではないだろうか。

真似できないどころか近づくことすら叶わぬ領域だ。

綿密に組み立てられたロジカルな物語というよりは、むしろ文学的だと感じる。
(ロジカルな物語はそれはそれですごく好きだけど)

伝達のためのツールとしての文章ではなく、文章そのものが有機物であるかのような印象だ。

だからこそ岩井さんの紡ぐ言葉に足をとられ、気づいたときにはこちらまで蟻地獄にはまってもがいている。



物語はいずれも明治時代の岡山が舞台であり、彼女はそんな昔の世界を非常に克明に提示してくれている。

京極夏彦さんに「遣り切れなくなる程に上手い」と言わしめるほどだ。

読みながら作者は相当勉強したのか、あるいは民俗学に余程精通しているのだろうと推測したが、

解説には「本人の談に依れば、それらは凡て作品をものにするために付け焼き刃で学んだ知識」なのだとか。

それが本当だとすると、もはや恐ろしいくらいだ。



余談だが、読み終わった後岩井志麻子さんについて調べたら、

ヒョウ柄の服を着た下ネタばかり言う人としてバラエティ番組でよく見る女性だった。

「なんだこのエキセントリックな人は?」と思っていたが、この本を読んで180度見方が変わった。

いやぁすごかった。

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