歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

風の通り道

2016年01月09日 | 日記
よく「家は人が住んでいないと死んでしまう」という話を聞く。

物理的にも理にかなった話なのだろうけど、きっとそれだけじゃない。

精神的と言ったらなんだけど、人が住んでいる気配がとても大事なのだと思う。



部屋と部屋の境目には壁があり必ず扉や襖がある。

家はたくさんの壁で仕切られ、それぞれに別の空間が存在する。

多くの場合部屋への扉は閉じられていて、必要な時だけ開けられるのだ。



私は家の扉を閉め切るのがあまり好きではない。

だらしないと思われるかもしれないけれど、隙間が空いているくらいの方が丁度いいのだ。

外から吹き込んだ風は家全体に行き渡り、部屋の空気は循環し続ける。

家に流れる風は、人間にとっての血管と一緒だ。

流れが止まればいずれ朽ち果てる。



『蟲師』という漫画を知っているだろうか。

虫とは異なり妖怪の類いでもない、得体の知れない「蟲」の存在。

当たり前の様にそこら中にいて、知らず知らずのうちに共存している。

蟲に悪意はなく己の生を全うするだけなのだが、図らずも様々な幸運や害悪をもたらす。

人間が掌握出来ない存在を恐れるのではなく受け入れるという蟲師の姿勢が私は大好きだ。



その中に「虚繭取り」という話があった。

ウロさんという蟲と共存するためには、いついかなる時も空間を閉じてはならないという掟がある。

それはウロさんが閉ざされた空間にあるものを持っていってしまうから。

人間はその危険と引き換えにウロさんの性質を利用し恩恵を受けて暮らしている。

この話は強烈で忘れ難くなんとも魅力的なのだ。



私の家にウロさんはいないけれど、空間は開け放していたい。

もはや「人間の人間による人間のための家」という考えすら傲慢なのかもしれない。

家自体が脈々と生きていて、蟲のようなわけの分からない存在と共に生きているのだとしたら、

こんな面白いことはないだろう。





『蟲師』は一見取っ付きにくいが大好きな作品の1つだ。

漫画はもちろん、アニメもクオリティが高くどちらも非常におすすめ。
コメント
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