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歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

『ガンニバル』が終わってしまった

2023年02月10日 | 映画

 

いやあ面白かった。

原作ファンとしても映像ファンとしても大満足。

ドラマって長いから途中だれる作品が多いけど、

『ガンニバル』は最初から最後までピーンと緊張が走っていた。

夜電気を消して一人で観ていると背筋のあたりがぞわぞわした。

 

中村梅雀演じる村長のサブさんは強烈だった。

なんなら一番怖かったかもしれない。

後藤家の獣的な暴力性とは違い、現実世界の隣近所に潜む恐怖だ。

現実に存在する部分を少し誇張しただけというリアリティがそうさせる。

「いないけどいそう」の塩梅が抜群にうまい。

不条理で気持ち悪くて怖い。

 

吉原光夫演じる後藤岩男もなかなか迫力あったな。

当主後藤恵介の右腕的な存在で黙々と暴力を振るう。

睦夫とは違って静かなのが逆に不気味だ。

サブさんといい、岩男といい、

キャスティングどうなってんの!?ってくらいばっちりはまっている。

 

それらに対峙していく主人公の阿川大悟も一筋縄ではいかないから面白い。

やっぱり柳楽優弥は最高でした。

安心して阿川大悟を任せられる。

存在感のある人だよ、ホント。

妻との関係性も丁寧に描かれていてよかった。

 

「あの人」の食事台の上に赤い木の実が散らしてあったり、

後藤藍が泣いているそばでインコが餌をついばんでいたり、

目に止まる画はいくつかあったけれどどういう意味があったのかはわからない。

鳥をたくさん飼っていたのは何かの暗喩なのか。

原作にはなかった気がする。

 

終わり方は妥当だと思う。

途中で終わるのはわかっていたことだし、ここで終わるのねという感じ。

私の記憶違いなのか洞窟のところが原作と違った気がしたけどどうなのか、

シーズン2が始まるまでにもう一回漫画読まないとね。

ここまでは原作を忠実になぞってきたけど、これからどうなるか楽しみ。

原作通りに締めくくるもよし、全く別の道を作るもよし。

はあ面白かった。

 

片山慎三監督はポン・ジュノのもとで助監督をした経験のある人らしい。ほほほ


久々のロード・オブ・ザリング

2022年10月05日 | 映画

「最も好きな映画は何ですか?」

この質問は映画ファンを悩ます難題だ。

愚問とさえ言える。

 

その質問でパッと出てくる作品はいくつかある。

『ジュラシックパーク』

『マトリックス』

『ブレードランナー』、、、。

ビッグネームばかりだけど、案外ミーハーなのです。

忘れてはいけないのが『ロード・オブ・ザリング』。

これは子どもの頃から刷り込まれている。

第一部『旅の仲間』が日本で公開されたのが2002年の2月だから、中学1年の終わり頃。

父が『指輪物語』のファンだったから映画館に連れて行ってくれた。

当時買ってもらったパンフレットを今も持っている。

当時旅の仲間の証であるエルフのリーフブローチが欲しくてねだった記憶がある。

もちろんダメだったけど。

 

この9月からAmazon制作のドラマシリーズ『ロードオブザリング 力の指輪』の配信がはじまった。

ずいぶん前にこのニュースを見た時嬉しくて飛び上がったもんだ。

描かれるのは『旅の仲間』の冒頭部、数千年前のサウロンとの戦争だ。

『ロード・オブ・ザリング』ファンとしては配信初日から観ますわな。

それが、なんというか、立ち上がりが遅くてなかなか引き込まれない。

前作のような広大なファンタジー世界を感じられないのだ。

突っ込みどころも多い。

これは長いシリーズだから気長に行こうとは思う。

そうすると自然にピータージャクソン版が観たくなるわけで、観ました。

1日で3部作全て観たのははじめてかもしれない。

『王の帰還』を見終わったら朝の5時だった。

 

ホビットの村で木にもたれかかっているフロドを観た時早くも胸がいっぱいになった。

『風の谷のナウシカ』の冒頭で全てを思い出し感動するのに似ている。

シャイアにガンダルフが訪れる最初の場面は風の谷にユパ様がくる場面とよく似ている。

 

一人で観たからか、『旅の仲間』からボロ泣き。

次の日顔が変わるくらい涙が出た。

やっぱりボロミアがホビットを庇い死にゆく場面はたまらんな。

イシルドゥアの血をひく正当なる王の末裔アラゴルンの胸の中で、

「My brother, my captain, my king」っていうところ。

ゴンドールの民を救うため暴走した指輪への執着と後悔。

葛藤が彼を人間らしくする。

せめて安らかに眠りたもれ。

アラゴルンもまた血統に悩み苦しんでいたから、ボロミアの言葉は強く響いたんじゃないかな。

 

昔はサムの素晴らしさに目がいきがちだったけれど、最近はフロドの凄さに注目している。

フロドに与えられた大きすぎる使命とその重責。

サムでさえ指輪を前に目の色を変えてしまう。

そんな指輪を肌身離さず身につけ続ける過酷で孤独な戦いだ。

歴史にほとんど名を残さない小さな小さな種族の不屈の精神力に感動する。

偶然居合わせた庭師がその旅を支え続けるんだよなあ。

だめだ、思い出しただけで喉がキューってなる。

本当にいい映画です。

20年経った今見ても圧倒される。

 

『力の指輪』にハマりきれないのって、

もしかしたら主人公が誇り高き高貴なエルフだからかもしれない。

最初から美しくて超人なのよ。

正しくも傲慢な彼女が良くも悪くも人間の毒にさらされて変わっていく姿は見てみたい。

俳優陣がまだ馴染んでいないけれど、いいなと思った人がやっぱりイシルドゥアだった。

彼が英雄として描かれるのか、それとも人間の業を醜く体現する男として描かれるのか楽しみだ。

そして謎の男、あれはもうあれしかないでしょ。

案外楽しんでるかも、わたくし。


最近観た映画云々

2022年05月06日 | 映画
ここ最近またちょくちょく映画を見始めている。

大学では映画研究部に入っていたし夫との出会いだって映画だし、20代半ばくらいまでは貪るように映画を観ていた。

以前は映画好きを自称していたけど、ここのところ映画に対する特別な熱を失っていた。

明確な原因は不明だけどちょうど動画ストリーミングザービスが普及したころと被る。

海外ドラマやアニメを気軽に観れるようになり、惰性で映像作品を観ることが増えた。

そこにきて映画は濃すぎるのだ。観るのに気合がいる。

言い方を変えれば海外ドラマに出会った数年であったとも言える。




私の好きな知識人たちは飽きもせず映画の話をし続けている。

映画ファンというのは根強い。

彼らのお勧めする映画を身始めて少しずつリハビリテーション。

そんなこんなでまた映画の面白さに再会したというわけだ。

今日は最近見て面白かった2作の話。

以下ネタバレあり。



『1917 命をかけた伝令』

監督:サム・メンデス
脚本:サム・メンデス、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
製作:サム・メンデス、ピッパ・ハリス、カラム・マクドゥガル、ブライアン・オリヴァー
製作総指揮:ジェブ・ブロディ他
出演者:ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、マーク・ストロング、アンドリュー・スコット
    リチャード・マッデン、クレア・デュバーク、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ
音楽:トーマス・ニューマン
撮影:ロジャー・ディーキンス
公開年:2020(日本)



出た、サム・メンデーーース。

勝手に相性がいいと思っている監督の一人。

しかししばらく映画熱が冷めていたので当時こんな映画が話題になっていたことも知らなかった。



この映画本当に超好き。

観てから1ヶ月以上経つけど、今でもほとんどの場面が目に焼き付いている。

無数の人の命がたった二人の男に託される。

相棒を失って一人になり、どれだけ困難に見舞われようとも折れることを許されない。

責任の重大さと主人公の孤独を思うと今でも泣けてくる。

主役の俳優はぴったりだった。

言葉少なく淡々と前に進む誠実な男がよく似合う。

主役の二人が無名俳優で脇にスター俳優を置く演出がにくい。

孤独や苦痛に満ちた映像の中にパッと花が開くようだった。

特に最後に出てくるカンバーバッチね。



この映画を語る上で外せないのがワンカット演出だろう。

でもこれらは語り尽くされてるだろからあまり触れないでおく。

もれなくメイキング映像が観たくなる映画であることは間違いない。

撮影規模のあまりの大きさに日本とは映画の概念が違うなと改めて確認し感服。

映画の力を見せつけられました。

何度も観たくなる映画です。





『ベルファスト』

監督・脚本:ケネス・ブラナー
製作:ケネス・ブラナー、ローラ・バーウィック、ベッカ・コヴァチック、テイマー・トーマス
出演者:ジュード・ヒル(英語版)、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、ジュディ・デンチ
音楽:ヴァン・モリソン
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
公開年:2022



これ、夫が見たいというので映画館へ観に行ったのだけど、映画館でボロ泣きしました。

私が泣くかどうかは作品の良し悪しに関係ないけれど、映画館でこんなに涙が止まらなかったのははじめて。

反対に夫は「面白いのだろうことはわかるけどピンとこなかった」とのこと。



舞台は60年代のアイルランドの都市ベルファスト、主人公はそこに暮らす少年だ。

監督の自叙伝的映画だとラジオかなんかで聞いた。

宗教闘争による分断と翻弄される町、そして一つの家族の物語だ。

夫と話していたのは切実な宗教観を日本人が理解するのは本当に難しいということ。

欧米の映画では驚くほど多くの作品に宗教が密接に関わっているし、

よくわからんなと思ったら宗教のメタファーだったなんてことも多々ある。

ただこの物語を今作ったという意味では「分断」という主題が強いんじゃないかと思う。

相容れない対立。

冒頭から経済難や宗教闘争による閉塞感が充満している。

それでもこの作品が軽やかなのは子供の視点で描かれているからだろう。



この作品では家族が幾つかの選択に迫られる。

プロテスタントかカトリックか、町を出るか居続けるか、離婚するかしないか。

私は途中からこの家族は壊れるなと思っていた。

ここまで来て壊れないなんてセオリーから外れてる、と。

だからお葬式後のパーティーでお父さんがマイクをとりお母さんへ愛の告白したときはびっくりして涙が出た。

家族が一緒にいるという選択は必然的に町を出るという道につながる。

一見単純そうで困難な道を選ばせたことに監督の願いのようなものを感じた。



一番胸にきたのは最後だ。

町を出て行く家族を見送るおばあちゃんの顔と言葉に涙が溢れてエンドロールが滲んでいた。

町を出る者、居続ける者、どちらの困難も続いていくのだ。

淡々と描かれる前半から後半の意外性と突きつけられる現実に感情がブワッと溢れた。

このおばあちゃんがあまりにも作品に馴染んでいるものだから最後までジュディ・デンチだって気づかなかった。

おじいちゃんのかっこよさとなんといっても音楽ヴァン・モリソンが効いていた。

ヴァン・モリソンはベルファスト出身とのこと。



余談だけど『ベルファスト』を観た後に『テネット』を観たら重要な役でケネスブラナーが出ていてなんだか笑えた。

『テネット』はあまりピンとこなかったな。

キャラクターが魅力的でなかったのが一番の原因だと思う。

あと面白いアイディアもたくさんあったけど、わかりやすい伏線とその回収にドーパミンが消失した。

面倒くさい女になってしまったかな、いやもともと面倒くさい女か。

評価は高いようだから、私がずれているのかも。

リップヴァンウィンクルの花嫁 serial edition

2021年12月29日 | 映画
深夜0時、なんとなく綾野剛でも観ながら寝ようと流したのが『リップヴァンウィンクルの花嫁』。

直感で見始めたら監督が岩井俊二やないかーい。

この人ほど信頼できる日本人監督もいない。

いいでしょうと始めたらついつい最後まで観てしまいました。

なんというか最っ高でした。



ところがやっちまったんです。

映画版を最初に観るべきだったのに、情報を持っていなかったためドラマ版から観てしまった。

ドラマを観終わった後に予告を観たら知らない場面がたくさんあって映画が先だったことを知りました。

両方観た人によればどっちも観て完成する感じらしく、また今度映画の方も観てみようと思います。

ここではドラマ版「serial edition」を観た感想。

以下ネタバレあり。



『リップヴァンウィンクルの花嫁 serial edition』

原作・脚本・監督:岩井俊二
製作総指揮:杉田成道
出演:黒木華、綾野剛、Cocco
撮影:神戸千木
美術:部谷京子
録音:宮武亜伊
音楽監督:桑原まこ
制作会社:ロックウェルアイズ
公開年:2016



1人の平凡な女性が、インターネットで知り合った男性と結婚することになる。
しかし新婚早々、夫となった男性の浮気疑惑が持ち上がる。
しかし反対に義母から浮気を疑われた彼女は、家を追い出されてしまう。
行き場もなく途方に暮れる中、怪しげなアルバイトを提案された彼女は、
やがてその仕事先で出会ったもう1人の女性と奇妙な生活を始める。(引用先



見始めてあっという間に観終わったと思ったら朝の4時でびっくり。

4時間も岩井俊二ワールドに没入していた。



監督もインタビューで答えていたけど、これは一人の女が底に堕ちてV字回復する話ではない。

鑑賞者が目線を変えることで世界が変わって見える、そんな体験をさせてくれる作品だ。

前半と後半で全く見え方が違うのが面白い。

前半、主人公の七海は非常勤教師の仕事を一時解雇されるものの、

ネットで出会った男性とさらっと結婚し一見人並みの幸せを手に入れたかに見える。

親同士の噛み合わなさに居心地の悪さを感じたり、煩雑とした結婚式の準備を煩わしく思ったり、

結婚式の見栄えを気にしてなんでも屋に親戚役を頼んだりと多少の違和感はありつつも、

そういったことには蓋をしてやり過ごす。

もしかしたら蓋をするほどのことでもないのかもしれない。

彼女はいつもおどおどして目の前の「平凡」にすがりつこうとする。

鑑賞者もその生活が壊れていく姿に胸を痛める。

ただでさえ危ういのにせめてもの平穏すら奪うのか、、、と。



しかし、後半家を追い出され行き着いた場末のホテルで働き始める姿は悪くない。

堕ちた先にも、生活している人たちはいる。

落ち込んでもお腹は減るし世界は続いている、そのことに救われる。

第四話「家族」で今度は七海自身が他人の結婚式で親戚の代理出席のアルバイトをすることに。

当日組まされた疑似家族の交流がなんだか可笑しくて暖かい。

そこではじめて七海の生きた顔を見れた気がした。

七海と姉役の真白は意気投合して連絡先を交換するけどそれきり。



しばらくしてなんでも屋にメイドの仕事を破格のバイト料で紹介され、もう一人のメイドとして真白と再開する。

七海は大きな屋敷で破滅的に、そして自由に生きる真白と少しずつ友情を深めていく。

よくわからないまま非現実的な風景の中で時間を過ごすが、あるとき真白がAV女優であることを知る。

そればかりか真白が屋敷の持ち主であり七海の雇い主だということも知り一旦は動揺する。

真白のなんでも屋への依頼は「友達がほしい」というものだった。



全てを知った上で受け入れ寄り添う七海。

いつまでも屋敷に住んでいては破産するというので、一緒に新しく住む部屋を探しに行く。

その帰り道、ふとウェディングドレスのお店に立ち寄り、二人は勢い任せにドレスを着て記念撮影をすることに。

これが信じられないくらい美しいんだ。

キラッキラ輝いてる二人の笑顔を観て、涙が止まらなかった。

一瞬の突き抜けるような輝きがあれば人は生きていけるのかもしれない。

七海は真に他人と深く繋がったんだろうな。

そんな日に真白が死んでしまうなんてね。



名前のない関係があっても良いんじゃないか、ということを最近よく考える。

友情に恋愛、家族愛に師弟愛、そんな限定的な言葉に縛れない関係性がたくさんあるはずで、

その一つ一つを四捨五入せず大事にしていけたらいいなと思う。



お葬式で結婚式の代理出席で出会った疑似家族が集結するのが可笑しかった。

葬儀屋に本物の家族と勘違いされいつの間にか喪主にされている偽父には笑った。

彼が最後の挨拶で泣き始めるのがコメディなのかシリアスなのかわからなかったけど、

感情がごちゃ混ぜになってなぜだか笑い泣きしてしまった。



外側だけ見ると前半の「結婚」や「平穏な暮らし」を求めがちだけど、

内側を見つめれば後半で描かれていることの方が重要に思える。

最初よろよろして危なっかしかった七海が、最後自分の足で地に立っている感じがした。

はっきり言って前半の方が地獄だった。



前半と後半で見え方が変わるという点においてなんでも屋の安室は大事な役割を果たしている。

安室 行舛(あむろ ゆきます)なんてあからさまな偽名を使って近づいてくる軽薄で胡散臭いあの男。

彼自身は何も変わらないのに前半は極悪人のように、後半はあたたかい人にすら見えてくる不思議。

彼はきっと自分のルールに従っていて行動を他人や善悪に干渉されない。

何も変わっていないにも関わらず見え方が変わるのは、こっちの目線が変わるから。

そこらへんの塩梅がすごくうまい。

綾野剛は本当はまり役。

彼の軽さが、作品に絶妙な重力を付与している。

同じような装置として引きこもり少女のオンライン授業がある。

環境が変わってもコンスタントに続いているわけだが、最後の方で少女のプライベートな語りかけに初めて笑顔で答える。

じんわりふんわり変化を感じることができる。



それにしても岩井俊二ってすごいな。

多くの日本ドラマが台詞の順番待ちに見える中、何よこの世界。

メインの俳優3人はもちろんだけど、七海の夫役の人とか代理出席の偽家族とかとか、

本人を現実世界から引っこ抜いてきたんですか?ってくらいリアリティがある。

親戚の集まりで行き交う会話や表情があまりにも現実のそれで、心に掛かる重圧が倍増する。

監督は現実を切り取ることにかなり注力してるんじゃないかと思う。

だからこそ後半の浮遊感が強調されるのかもしれない。



真白が毒を持った生き物ばかり飼育していたのが印象的だったな。

どうやって世話をするのかどうしてもちゃんと確認したい七海がやたらリアルだった。

映画としてはそんな場面いらなそうだけど、それがあることで妙に納得できる。

七海が水槽のクラゲを見つめるシーンは『アカルイミライ』のオダギリジョーを彷彿とさせる。

あれも毒クラゲだった。

まさかのヒョウモンダコが登場した時にはテンションが上がったなあ。

真白が死んだ後は、あの業者が引き取ったのかな。



本当に最高の作品だった。

かっこいい綾野剛でも見て癒しの中で眠りにつこうと考えていたのにそれどころじゃなかった。

今の世に大切なことが詰まってる宝箱みたいな作品だ。

当たり前に享受している枠の前時代性を突きつけられる。



岩井俊二監督はインタビューで東京は一歩踏み外すと一瞬で生きるすべを失うような場所だと言っていた。

しかしブラジルの移民なんかは仲間が助けてくれるから案外そういうことにならないのだとか。

昔は平気で人の家に泊まり込んだりしていたが今はそういうことができなくなったとも言っていた。

関係性の希薄化に拍車がかかっている。

確かに常に崖の淵に立っているような感覚はある。



あとエンディング曲と映像がよかった!

個人的にはここ最近観たエンタメでベスト1のエンディングだった。

Coccoの『コスモロジー』をバックに猫の被り物をした黒木華が校庭をさまよう。

そのマッチングが物悲しくて美しい。

この映画超おすすめです。

映画の予告

『ミッドサマー』いいね

2021年09月22日 | 映画
どうしてそうなったのか、この夏はホラー映画やドラマばかり観ていた。

絵を描いているときはYouTubeで稲川淳二の怪談を聞き、

ご飯を食べてるときはNetflixドラマ『呪怨』『アメリカンホラーストーリー』を観る。

そういうのばかり観ていたらとてつもなく怖い夢を見て慄いた。

ホラー映画は低予算でジャンプスケアのイメージが強かったけど、

ドラマ『呪怨』はお金をかけて映像やストーリーにこだわったいいドラマだった。

B級ホラーもいいけれど、質の高いホラーは美しくて好き。

そういう意味でもアリ・アスター監督作品はよかった。



最近『ミッドサマー』がNetflixに登場したので早速観てみた。

しかも2時間50分あるディレクターズカット版。

その勢いで前作の『ヘレディタリー/継承』も鑑賞。

すごく面白く観れた私って大丈夫なんだろうか。

どちらもそういう映画である。

今回は『ミッドサマー』について。

以下ネタバレあり。



『ミッドサマー』

監督:アリ・アスター
脚本:アリ・アスター
製作:ラース・クヌーセン、パトリック・アンデション
製作総指揮:フレドリク・ハイニヒ、ペレ・ニルソン、ベン・リマー、フィリップ・ウェストグレン
出演者:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー
音楽:ボビー・クーリック
撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ
編集:ルシアン・ジョンストン
製作国:アメリカ、スウェーデン
公開年:2019


『ヘレディタリー/継承』で長編映画デビューしホラー映画界に衝撃を与えたアリ・アスター監督は、

数年後に『ミッドサマー』を発表しその存在を確固たるものにした、のだとか。

映像や音など外的要素の質が高く、内容も斬新で面白かった。

予告映像からなんとなく奇を衒ったとんでも映画なのかと思っていたら、ちゃんとしたいい映画だった。



『ミッドサマー』は公開当時かなり話題になっていた。

この映画を特異にした分かりやすい要因は二つあると思う。

ユートピアのような明るく美しい世界で繰り広げられる狂気の祭典というギャップ性と、

度を超えたグロテスク描写である。

このグロテスク描写は、評価を完全に二分させる理由になった。

簡単に言うと全部見せる。

なんてことないですよと言わんばかりに一部始終を露わにする。

最初の飛び降りシーンはちょっとびっくりした。

死ぬという事実よりその見せ方に驚くのだ。

この映画の面白いところは、登場人物も視聴者もその見せ方に慣れていくことなんじゃないかと思う。

暴力に緊張感がなくなっていくのだ。

祭典の進行プログラムの一つなのだから当たり前と言えば当たり前か。

後半になっていくにつれてコメディーかってくらいめちゃくちゃなんだから。

サイモンの「血の鷲」やクリスチャンの熊にはさすがに笑ってしまった。

観る者は主人公と一緒に現実感を失くし祭典に埋没していくのかもしれない。

そういう意味では怖い。

最後に残るのがダニーの笑顔だけなのだから不思議である。



こういった不文律を平気で壊してくるあたりに今の時代性を強く感じる。

日本の話になるが一時期衰退気味だった漫画が今かなり盛り返してきている。

今の漫画は本当に面白いものが多い。

その一つの要因が、今まで大事にされてきた暗黙の了解を壊していること。

つまり今多くの漫画で行われているのが破壊と創造の「破壊」の部分なのだ。

今まで守られてきた漫画のセオリーを容赦なく汚す行為が読む者には新鮮にうつる。

テレビのコンプライアンスに反比例するように漫画表現は苛烈になっているように思う。

昨年大流行した『鬼滅の刃』しかり『チェンソーマン』しかり『呪術廻戦』しかり。

『約束のネバーランド』に『メイドインアビス』にとあげたらきりがない。

何も残酷さに限ったことではない、『ワンパンマン』の規格外の強さだってそうだ。

こうした傾向は多様化し複雑化する価値観や倫理観に対する受容を意味しているのかもね。



既存の破壊という意味でも『ミッドサマー』は残酷さに寄りかかった単なるエログロ映画ではなかったように思う。

しかし『ミッドサマー』『ヘレディタリー』を観て意外性と残酷度(というか露出度)には慣れてしまった。

その点、次回作がどうなるのか気になるところである。

それが監督のカラーになっていくのか、また違う方向に向かうのか。

と、ここまで描き方について語ってきたけど、それはそこまで重要じゃない気もしている。



散漫した頭を冷ましてあえて思い返すと、

ストーリーについては本当に人を救うものは何なのか考えさせられるという点において、

ブラジル・フランス合作『バクラウ 地図から消された村』を彷彿とさせる。

一方は命を守るということであり一方は心を守るということなのだが、

それが辺境の小さな村を舞台に描かれている点でも似ている。

見方によっては欧米的、キリスト教的社会からの解放を描いているようにも見える。

ラスト燃えゆく祭場をバックにダニーの表情が絶望から笑いに変わる瞬間はとてもよかった。

『ジョーカー』じゃないけど、抑圧からの解放が描かれる場面はいつも美しい。



実のところ観終わった後にあまり感想が浮かんでこなかったというのが正直なところ。

現実感を損ない惚けていたと言ってもいい。

約3時間の長丁場にも関わらずあっという間に終わったこと、

さまざまな衝撃にぶち当たりながら深い感傷がないこと、

鑑賞中に考えていたことをあまり思い出せなかったことから考えて全くもって変な体験だった。

がしかしそこにこの映画の凄さがあるような気もする。

ダニーがメイクイーンになりみんなでテーブルを囲む場面で花や食べ物がさりげなく動き出すのだけど、

仲間たちの惨たらしい亡骸を見たときよりも不気味で怖かった。

ダニーの視点を通して観ていたはずの世界が、その瞬間から私の視点にシフトする恐怖だ。

蠢く花は観る者に疑似体験させる装置になっていて、私はまんまとひっかかった。

そういうわけで鑑賞後のからっぽ感にやっと合点がいく。

『ミッドサマー』は自分を写す鏡のような映画なのかもしれない。

やっぱり細部まで手の行き届いたいい映画です。



余談だけどダニーの泣きそうな時の顔は最悪だね。

あの顔をされるたび胸のあたりがキューッと締め付けられて嫌な気持ちになったし、特に嫌いな場面だった。



最後に書くのはルール違反かもしれないけれど、私にはグロテスク耐性が十分にあるということは一応言っておく。