DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

社会は厳しい!か?

2006年01月05日 08時13分28秒 | Weblog
とある広報誌で、企業から大学に来た先生の退官記念講演の内容が載っていた。題名が、「社会は厳しい」だったのだが、これに疑問を持ったので、私見を紹介します。ただ、柴田は学生を終えてすぐに教員になったので、学校側の見方しか出来ないのは片手落ちですが、ご了承ください。
まず、社会が厳しいという主張が、努力してもしなくても給与が変わらないし、極端に言えばリストラに会う事もない、との事だった。確かにそう言える。その先生の前に居た会社はそうだったのだろう。でも、良く考えると、これらは欧米流の契約社会に基づくやり方で、能力給による序列化動機付け、人材を人件費としてしか考えない、これらの結果によるもので、これが本当に正しいのだろうか?
はっきり言って、学校の機能は会社ほど単純ではない、この偉い先生はこの所を理解していないと思う。会社であれば、利益を上げるという単純明快な1つの目的に組織が動くので、この座標軸において個人の働きを評価するのは容易い。しかし、学校の機能はそんなに単純ではない。教育と研究という二本柱のなかで、研究は成果が比較的表に出やすいが、教育は学生と社会が相手であって、そんなに簡単な話ではない。さらに言えば、この裏側にある学生指導や学校運営は、複雑な機能を持つだけに、非常に難しく手間がかかるのだと思う。この表に見えない活動は、評価しようにも難しく時間もかかる、この部分も担っている教員には能力給は難しいと思う。また、身分が保証されているから、リスクを背負って新しい分野に挑戦する事が出来るのだと思う。そう出なければ、学生指導や地域貢献などは、利益が上がらないのだから、やっていられない。そう言う複雑な組織が持つ特殊性も考慮しないと、先の批判は当てはまらない。
また、日本型の会社組織、平等給与と終身雇用は、それなりに再評価されていると思う。契約社会に慣れていない日本人では、能力給を区別するために個人評価をしようとしても、契約の条件に基づいて行動する経験がないのだから上手く行かない。摩擦を生じさせるだけで、あまり効果はないと思う。また、欧米の企業でもどんなに業績が低下しても、社員の雇用を守れる経営者は最も評価を受けていると思う。なので、リストラを行う会社の方が、間違っているのではないかと思う。
先日、研究室の卒業生が久しぶりに訪ねてきて、仕事の様子を聞いた。そしたら、研究室に比べてずっと楽だそうだ。そりゃそうだろう、研究と言うのは出来るか出来ないか分からない模索を、延々続けるわけだから、時間も努力も並ではない。一方、業務と言うのは、誰でも必ず出来ることを効率良くやっているだけで、研究のような大きなリスクは無いと言える。まあ、仕事にも色々あるので一概には言えないが、研究室側から見るとそう見える。
と言うわけで、以上が「社会は厳しいぞ(学校は甘いぞ)」に対する反論である。もちろん、学校のやり方にも大いに反省すべき改善すべきことは多いので、常に我が振りを見直さないといけないのだが、過去を美化してもしょうがないので、「今この場でどうしたら良いか?」を常に考えてゆきたい。

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