広大な浅瀬が続く東京湾を掘削し埋め立てて巨大な京浜工業地帯の開発を志したのは浅野総一郎である。だが彼の計画はあまりに大きすぎて当局の許可がなかなか下りず、有力な資本家の後ろ盾を要求された。そこで浅野が支援を求めたのが同郷の安田善次郎だった。安田は浅野と一緒に東京湾の浅瀬を視察して回り浅野の発想に納得して、莫大な資金をつぎ込むのを認めた。安田は世間的にはケチで有名であったが、世の中に必要と認めれば惜しまず金をつぎ込んだ。東大安田講堂も日比谷公会堂も彼の寄付によるものである。しかし安田は世間にそれを知らせるのを嫌がったため、ケチの悪評だけが広まってしまった。
安田善次郎は右翼を名乗る暴漢に刺殺された。その死を聞いた浅野総一郎は現場に駆けつけると、すでに自殺していた暴漢の死体をさんざん踏みにじったという。「こんな立派な方を、お前なんぞが!」という思いに駆られたのだろう。
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