私が東京農業大学農学部林学科で林政学研究室の副手として置いていただいた時に、驚いたことがあった。それは大学のテストで私も女性教師の手伝いとして答案用紙を配ったり試験を見守ったりしていたのだが、その女性教師が私のことを「先生」と呼んだのだ。たしかに彼女とは初対面ではあったのだが、こんな俺が先生かよ!と呆れてしまった。学者や教師の世界ではたとえ若くてその世界の末端にいても初対面ならそう呼ぶのが決まりなのだろう。武士に似ている。武士は同じ武士にたいして「貴公」とか「御同役」とか必ず敬称を欠かさない。
それに引き換え親しくなれば大人同士でも「ちゃん」で呼び合うのが庶民である。典型的なのがヤクザだろう。仁義なき戦いシリーズでも厳ついおっさん同士が「昌ちゃん」とか「明ちゃん」とか呼び合っている。それどころかあだ名までつける。ボンノ、クンタン、デンボなどであり「ミィちゃん」と呼ばれたりもする。皆れっきとした大物ヤクザである。建前を重んじる世界と本音が剥き出しの世界の違いなのだろう。
その中間が政治家である。いつもはもちろん「先生」なのだが、親しくなると大物同士でも「ちゃん」になるそうである。あらゆる世界と付き合わなければならないからだろう。
ニック・ウィリングの映画では「ハートのジャック」が物語とは異なりセリフ付きで出て来るが、口が上手く要領が良く気が利いているが何か信用できない男の印象である。それが何にそっくりかといえば「パイレーツ・オブ・カビリアン」のジャック・スパローである。同じジャックだし偶然とは思えない。