土用の丑の日の鰻は精がつくと昔から言われるが、これには現実的な理由がある。ただ単にイメージによるものではない。最初には印象操作によって食べられても、流行物は廃り物である。何の効果もなければそんな流行も消えたはずである。鰻を食べて「精がついた!」と感じた多くの人々がいたのである。鰻の蒲焼きにはそんな効果が確かにあった。それは脚気に対する治療効果なのである。脚気はビタミンB1不足によっておこるが、鰻の蒲焼きにはビタミンB1が極めて多く含まれているのである。食品成分表を見ると100g中0・75mgであり、これは他の食品と比べて非常に高い数値である。これより高いのは豚肉関連食品や焼きタラコとあおのりぐらいである。あおのりは多量に食べないし、豚やタラコは江戸時代に食べられてはいたが、日常的に手に入ったとは思えない。冷蔵庫などない時代である。身近に取れて気軽に食べられたのは鰻の蒲焼きぐらいだつたはずである。しかも鰻の蒲焼きは調理済みである。食品成分表で高い数値があっても、生であれば煮たり焼いたりしてビタミンは当然減ってしまう。そのまま食べられて高い数値があるものにきな粉がある。ひまわりの種はもっと高い。これらを食べれば脚気が治るという知識さえあれば多くの人々が救われたのにと思うと残念でならない。とにかく鰻の蒲焼きは脚気に苦しむ人々への特効薬として広まったのだと思う。値段の張る蒲焼きを食べ続けられるのは裕福な人々だけだったであろうが、将軍すら脚気で死んでいた時代である。脚気に苦しむ金持ち達が多くいたはずである。
土用の丑の日という夏の盛りにも意味がある。脚気の症状が悪化する季節なのである。暑くて体力を消耗するだけではない、ビタミンB1が特に不足するのである。ビタミンB1は水溶性なので尿や汗によって体外に排出されてしまう。汗を多量にかく夏は、脚気の苦しみが特に増す時期だったのである。脚気は「江戸患い」として有名であり江戸で流行った。白米しか食べない習慣が庶民にまで広まったからである。大阪の商家では経費削減のために大麦や豆を白米に入れて食べさせたので、結果として脚気になりにくかったという。使用人達は「また麦ごはんか。」と文句を言ったかもしれないが、それで健康が保たれたのである。真夏の江戸で鰻の蒲焼きが「精がつく。」と喜ばれたのには、ちゃんとした理由があったのである。