濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

風船爆弾の「風船」を事前に飛ばしておけば石油禁輸やハルノートを防げたかもしれない

2019-02-28 14:16:27 | 歴史談話

 


 1916年にアメリカで発見された日本のマメコガネは天敵の少ない環境で大繁殖し、重大な農産物害虫として長年にわたり大損害を与えた。1941年になつてもアメリカはその被害に苦しんだ。これは外来種の異常繁殖による農産物被害の典型例とされ、アメリカ人は「ジャパニーズ・ビートル」と呼び外来昆虫の恐ろしさをまざまざと思い知った。 北杜夫さんは「ドクトルマンボウ昆虫記」でこのマメコガネについて述べたさいに「風船爆弾よりはるかに大きな損害を与えた」と書いていた。
 私はそれを読んで思いついた。日本が1930年代に風船爆弾の風船を飛ばしておけばよかったのではないかと。もちろん軍事用に飛ばすのではなく、あくまで科学実験用として文部省の東京気象台の管轄で飛ばすのである。吊るすのも15㎏の爆弾などではなく、2~3㎏の金属製プレートに風船の目的と飛ばした年月日と製造番号を英語で記載しておくのだ。だから風船もはるかに小さく安上がりでいい、アメリカ本土に届く可能性さえあればいいのだ。風船爆弾は9000発も飛ばしたらしいが、そんなにいらない数百発でいい。数個でもアメリカで見つかれば成功である。
 ここで重要なのは、この実験をアメリカ国内で大々的に宣伝することである。日本が風船を飛ばすことをアメリカ人全員に知らせるのである。そのためには、最初に風船を発見して日本大使館に差し出せば一万ドルの礼金を出すと伝えるのだ。二番目には五千ドル、三番目には三千ドルで、それ以後は千ドルを十人目まで出すと言うのだ、当時の一万ドルは大金だから西海岸のアメリカ人は血眼になって探すだろう。風船も見つけやすいように赤の模様を付けておくといいかもしれない。そして最初の発見者が出たら、ワシントンの日本大使館に招いてマスコミ注目の中で一万ドルの授与式を行うのだ。当然アメリカ中で、日本の風船についての話題がもちきりになるだろう。
 そのうちにアメリカである噂が流れるようになる。あの風船は実は軍事用であり、日本は戦争になれば風船にジャパニーズ・ビートルのような害虫を載せてアメリカに送り込む気だ。いや細菌まみれの昆虫かもしれないぞ。といった憶測が出てくるのだ。「なぜ出ると分かるの?」などと聞く鈍い人には説明する気はない。出ると言ったら出るんだよ!もちろん日本政府はこんな噂を断固否定する。あの風船は気象観測用であり、太平洋を越えたことから地球の大気の状況に新たな知識を与えた有用なものであったと力説するのである。
 アメリカ政府もこの噂を否定するだろう。国民の不安を取り除くためである。風船の飛ぶ高空は気温が氷点下に下がり、何もかも凍り付くので昆虫は死に絶えるとでも説明するかもしれない。しかし、本当に死に絶えるのか秘かに調査して驚愕するはずである。多くの昆虫は幼虫のころにカチンカチンに凍り付いても、温かくなれば生き返るのである。風船に吊るされた容器の中に入れられた多数の幼虫は、高空で凍結しても地上に付けば復活する。容器に穴をあけて幼虫のエサとなる固形物で塞いでおけば、幼虫はそれを食べた後で成虫となってその穴から出て来る。日本はじつに単純な方法で、多数の昆虫をアメリカ本土に送り込めるのである。アメリカにそれを阻止する手段はない。ジェット気流と昆虫の大増殖という自然のパワーだからである。核分裂だって自然のパワーである。
 日本は安上がりで平和的な手段を使ってアメリカ政府に脅しをかけられたのである。今となってはただのお遊び話だけどね。


ウソつき虫

2019-02-21 14:30:57 | パロディ

ウソつき虫

「メンインブラック」では昆虫が何匹も殺されている。特にラストではウィル・スミスが自らゴキブリを踏みつぶしている。これは昆虫差別ではないかと問題になったのかもしれない。「メンインブラック2」で人間は虫を殺していないし、トミー・リー・ジョーンズはうっかり踏みかけた虫(形宇宙人?)を救って感謝されている。前作への反省とも考えられる。
 ところで私は「メンインブラック2」のSerleenaは「スティング」のSalinoから名前を貰ったのだろうと思っている。綴りは違うが響は似ているし、両者共に最後は殺される素晴らしく魅力的な化け物であるからそっくりである。

 


白川隆久先生のおかげで私は中国古代史の教科書を変えるかもしれません

2019-02-14 14:29:23 | エッセイ


 白川隆久先生は私が善通寺第一高等学校に在学中に高松高等学校から転任してきた世界史の教師であった。私の高校はごく普通であったが、高松高校は香川県下でも一番で有名大学合格者がぞろぞろいるエリート校であった。噂によると白川先生は高松高生からは尊敬され絶大な人気があったが、誇り高くて自分の意見をズバズバ言うので上司に疎まれてうちの高校に飛ばされたんだそうである。
 私は子供時代から読書が大好きで、特に海外の小説をよく読んだ。小学生の時に「ドリトル先生」に夢中になって全巻を買って読んだのは今でもよく覚えている。自然に海外の歴史や文化にも興味を持つようになった。たとえば最初の頃のドリトル先生の生活は日本人からすると摩訶不思議である。庭付きの広い屋敷に住みながら医者であるのにほとんど患者はおらず、どうやって生活費を稼いでいるのか分からないのだ。今から思うとドリトル先生は変わり者の上層中産階級なのだろう。「マイフェアレディ」のヒギンズ教授が大学すら辞めて世間から相手にされないような特殊な言語学に没頭したら、ドリトル先生のようになるかもしれない。その内にさすがに生活費のためにサーカスに入った「ドリトル先生のサーカス」で先生が紛れもない上流階級の貴族と「君、僕」と呼び合う学友であると判明する。先生は殺人犯と疑われて牢獄に入れられながら、判事としてやって来たその貴族に「キツネ狩り」はフェアじゃないと力説して相手を呆れさせるのである。
 もちろん子供時代の私にはそんなことは分からないので、自分の知らない世界があるのだなぁと思い知りたくなって色々調べだした。それは高校生になるまで続いたが、分からないことが増えていくばかりで歴史についての好奇心で私の思いはからからに干上がっていたのである。そこに白川先生が来て世界史を教えてくれたのだ。先生の教えは教科書をなぞるだけのものではなく、あらゆる逸話をまじえて歴史上の人間についての考え方を教えて下さった。たとえば「三銃士」でリシュリューは嫌な悪役であるが、先生は当時のフランス国家にとって必要なのはダルタニアンや三銃士ではなくリシュリューだったんだよ、と語っていた。先生の教えは乾いた砂に水がしみ込むように私の中に吸い込まれていった。
 先生もあることがきっかけで私に注目してくれた。先生は世界史のテストに教科書に載っていず誰も答えられないだろうと思う問題を一問いれるそうである。あるテストを採点した後で、これにはロシア戦役でナポレオンに勝った将軍の名前を書けと出したらたった一人だけ正解した者がこの教室にいると述べた。それは私だった。先生は私に「なぜ君はクトゥーゾフを知っていたの?」と聞いたので「トルストイの戦争と平和を読みました。」と答えたら「ああ、そうですか。」と言って私の顔と名前を覚えていただいて、その後色々と話をして下さったのである。私が大学生の夏休みに香川へ行った時にお会いしたのは、お世話になった担任の先生と白川先生だけである。その時も歴史について興味深いお話をじっくり伺うことが出来た。
 私は自分の頭が学問をするほどではないと感じて、職に就くために林業を学んだのだがそれすら出来ずにプータローになってしまった。たしか山本夏彦さんだったと思うが対談で「世の中には勤め人に向かない人がいて、ダメなものはダメなんだよね。」と語っていたと記憶するが情けないことに私がそうである。そんな人生だったので白川先生にお会いする機会もなく「曹丕のフェイクニュース」を出版するので調べたら、なんとお亡くなりになっていた。葬儀に顔も出さない、正に不肖の教え子であり恥ずかしくてならない。しかし歴史については学ぶことを決して忘れずに本を読み続けられたのは白川隆久先生のおかげであり、その御恩は忘れられない。