私は以前「デコデッパちゃんが違いました」という題名のブログをここで出しましたが、その時に金与正女史の顔写真を使った。兄の金正恩がミサイルを飛ばした後だったので嫌がらせをしたのである。その写真の吹き出しの「クソだもん!日本の銀行。」というセリフは若林史江さんが発言したものであった。彼女はこういうさしさわりのある本音をさらりと出すのである。若林史江さんと金与正女史は、お二人ともオデコが広いし笑うと歯が目立つのでその当時はそっくりだなあと感じていたので一緒にしたのです。まだ金与正女史が表に出る事があまり無くて写真も少なかったのでそれでいいと思った。でも平昌オリンピックに来た金与正女史の顔をよく見ると、確かに似たところもあるけど若林史江さんの方がずっと可愛いと思いますので、デコデッパちゃんと一緒にして悪かったとお詫びします。
私は若林史江さんの大ファンなのです。「おかわりシスターズ」の握手会(池袋)にも行きました。私がそんな所に行ったのは生まれて初めてです。そもそも人に会うのが嫌いなので、男性の講演会も呉智英さんとか兵頭二十八さんとか片手で数えられるぐらいしか行ったことがありません。その握手会にはもちろん若林さんに会う為に行ったのです。内藤聡子さんはたしかに美人ですが、私はただの美人には魅力を感じないのです。若林さんは私と握手した時にのけぞって大笑いされたのですが、その笑顔を見てますます好きになりました。結婚されて男のお子さんも生まれてお幸せそうでなによりです。
私が若林さんを好きなのはその発言が面白いからです。さしさわりのある事だけでなく、普通の女性が決して言わない下ネタ(エロもグロも)を平気で話します。松嶋尚美さんもそうですが、これは生まれつきのものでしょう。演技してやれるとは思えません。彼女達を嫌ってけなす人もいますが、目立ちたがりであざといと感じるのでしょう。でも意識して話しているのではなく、本当に頭が吹っ飛んでいるのだと思います。私の大好きな漫画に諸星大二郎の「栞と紙魚子」がありますが、主人公の女子高生栞ちゃんはクラス一の美少女なのに頭が吹っ飛んでいて「頭のネジが二三本抜けている。」と周囲から言われているのです。若林さんや松嶋さんもそうなのだと思います。普通の人間なら固く締め付けて動きを制御させている頭のネジが抜けているために、とっぴょうしもない動きを始めてしまい止められないのです。鈴木奈々さんもそれに近い。安倍内閣総理大臣に面と向かって総理大臣夫人のことを「アッキー」と呼び司会者に怒鳴られたり、鈴木宗男さんに面と向かって「おサルさんみたい。」と言っちゃう人ですから。安倍総理はただ笑っていましたが、鈴木宗男さんは「世の中には頭に虫の湧いてる人もいますから。」とやり返していました。鈴木奈々さんも頭のネジが抜けていて、そこの穴から虫が入って頭の中でブンブン飛び回っているのでしょう。
私はそんな彼女達が好きですが、中でも若林史江さんが大好きです。何より色っぽくていい。株には全く興味ありませんがね。
今からちょうど76年前の1942年2月15日に、英国領のシンガポールが陥落した。そしてそれが大英帝国没落の始まりだった。英国は戦争には勝ったが、日本軍に敗けてマレーとシンガポールを失ったという屈辱を拭い去ることは出来なかった。日本に勝ったのはアメリカであり、英国はビルマで反撃したが自力で植民地を取り戻せなかったからだ。アジアの人々が英国人を見る目が一変したのも当然である。彼等は英国人には勝てないと思っていたので反抗しなかったが、日本人が勝てたのなら自分達だって勝てると自信をつけたのだ。チャーチルも、一度落ちた権威を立て直すのは不可能だったと述べている。
そのマレーにおける大敗北は英国陸軍の無能が原因だった。英国陸軍上層部に賢明な人物がいれば、マレーもシンガポールも失わなかったであろう。陸軍の信じられないほどの無能、それはマチルダⅡ戦車をマレーに送らなかった事である。マチルダⅡ戦車さえあれば、英国はマレー北部で日本軍を食い止められたであろう。そして日本軍はガダルカナルやインパールのような悲惨な状況に陥ったはずである これに反対する日本人もいるだろうが、私だって日本人である。英国などより日本のほうが大好きである。でも事実はきちんと認めなければならない。ひいきの引き倒しでは判断を誤るのである 日本はプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈して制海権を取ったし、日本の戦闘機は英国空軍を圧倒した。しかしデェンビェンフーの戦いを見ればわかるように、地上戦で敗けてしまえば取り返しがつかない。そしてマチルダⅡ戦車を配備された英国陸軍に日本陸軍が勝てたとはとうてい思えないのである。日本は英国陸軍のとてつもない無能さによって勝利したのである。英国陸軍は自分達の無能さを隠そうとして、チャーチルが対日戦に備える為に要求した兵力の増強を拒んだと述べている。しかし問題は兵力の増強よりその中身であった。日本との戦争が間近になっても英国陸軍はひたすら歩兵師団をマレーに送ろうとして、一台の戦車も送ろうとはしなかったのである。その理由は「ジャングルでは戦車は使えない。」なのだそうである。その思い込みで戦車を送らなかった。しかし日本軍はマレー北部のタイ領から多数の戦車を上陸させてマレー半島を進撃して最南端のシンガポールまで到達している。戦車はちゃんと使えたのである。マレー半島は中央に山脈があり東西に分かれていて環境が異なる。東側はマングローブ林が密集していて軍隊の通行は困難であった。だから日本軍は北のシンゴラとパタニに上陸したのである。西側に抜けるにはそれしか手段が無かったのである。もちろん英国側もそれを知っていて、日本軍が上陸したらタイ領に侵攻して反撃するマタドール作戦という計画も立てていたが、中立国タイに攻め込むのをためらってしまい、日本軍に先手を打たれて計画倒れに終わった。
マレー半島の西側はもちろんジャングルもあったが、疎林や耕作地があり人も多く住みついていて決して通行不能な場所では無かったという。マレーの特産品はゴムと錫であり、それを運ぶために鉄道や舗装された道路も南北に通っていた。シンガポールの港にむけてである。それを造ったのは英国である。それなのに調べもせずになぜ戦車が通行不能だと決めつけたのか。マレー戦で一台の日本軍戦車が破壊されて、搭乗員は全員戦死した。戦車長は陸軍少佐だったという。英国情報部が彼の経歴を調べたら、なんと戦争前にシンガポールで自転車店を経営していた男だったそうである。これは私が昔読んだ「シンガポール」という英国人の本に書かれていたことである。これが事実なら、日本陸軍は戦車将校を民間人に偽装させてシンガポールに送り込んでいたのである。その目的はもちろん、マレー半島を戦車が通行可能かどうかを調査する為である。彼は観光を理由にして頻繁にマレー半島を歩き回ったはずである。そして戦車が通行可能だと陸軍参報本部に報告したのだろう。ドイツのグデ-リアン将軍がアルデンヌ高原を調査して、機甲師団が通行可能だとマンシュタイン将軍に報告したように。 敵の日本軍が戦車は通行可能だと判断したのに、地元に駐屯していた英国陸軍が通行不可能だと決めつけていたのである。あまりの無能さに呆れるしかないが、日本人にとっては嬉しい限りである。馬鹿な敵ほど見ていて楽しいものはない。
では何で英国陸軍はそこまで無能な判断をしたのか。私は彼等が怠惰だったからだと思っている。軍隊を輸送するのには緻密な計画と膨大な資料が必要となる。一個師団は一万人以上もいる。それを毎日生活させ宿舎を与えトイレも必要である。一万人分のトイレである。計画通りにいかない戦場はしばしば糞まみれになるのである。思い出したくもないからか言う人は少ないが。それらを全て滞りなく準備するのが参報将校である。あらゆる資料を調べ緻密な計画を立てて文書にしてマニュアルを作成したはずである。一度歩兵師団のマニュアルを作ってしまえば他の歩兵師団にも使える。人数や装備が違っても変更を加えればいいだけである。ところが今まで輸送したことが無い戦車だとそうはいかない。とてつもなく重いから船から陸地に上げるだけでも大変である。戦車を受け入れる為には、全く新しいマニュアルを作成しなければならない。年中暑い中で汗まみれになって資料を調べ文書を作成しながら仕事に没頭せねばならない。マレーの英国陸軍参報将校達はそれが嫌だったのだろう。戦車は使えませんと言っておけば面倒な仕事をしなくてすむ。そしてマレーの司令部にも本土の参報本部にもそれを疑問に思う者が誰もいなかった。戦車が通れないはずのアルデンヌ高原からドイツ機甲軍の攻撃を受けて敗北したフランスの最期を見て、戦車が通れないと信じ込むのがいかに危険かと思い知らされたばかりだったはずなのに。
マチルダⅡは2890両も造られたそうである。しかし1942年前からドイツ軍相手では時代遅れとなり、アフリカ戦線には送られなくなっていた。そこで多数のマチルダⅡがソ連に援助として送られている。1941年からである。はるかに規模の大きいロシア戦線ではドイツ軍相手に使い道があったのである。残りの大多数は本国の倉庫で埃をかぶっていたのだろう。日本軍戦車を撃破し、動く堅固なトーチカとして歩兵を守り日本軍歩兵の白兵攻撃を撃退するために絶対に必要だったマレーには一台も送られなかったのである。1943年の9月から12月に東部ニューギニア(当然ジャングル地帯だろう)でマチルダⅡを配備されたオーストラリア第9師団が日本陸軍第20師団と戦い、第20師団は人員の45%の損害を出して敗走したそうである。マチルダⅡがいかに貴重な戦力であったかがよく分かる。しかし、そんな時期にそんな場所で勝ったって何の意味もない。1941年にマレー北部にマチルダⅡを幾らでも送れたのに一台も送らなかった、英国陸軍の無能と怠惰で英国の植民地は消えたのである。
「星の王子さま」にバオバブの木が挿絵と共に出て来る。芽のうちに摘まないと星を覆って手が付けられず星を破壊しかねない恐ろしい木である。サンテグジュペリは1943年に「星の王子さま」を出版して、その後にナチスドイツとの闘いで戦死した。バオバブの木がヒトラーのナチスに対する比喩であることは明白である。嘘の塊であるナチスの様な危険な代物は、芽のうちに摘み取ってしまわないと大損害をもたらすのである。
いわゆる従軍慰安婦問題も嘘の塊である。それを日本に広めた朝日新聞が嘘だと認めている。しかしもう手遅れであった。嘘でも何でも反日ならば大喜びで利用する敵性国家が近くにいたからだ。ただ敵性国家といっても現在は「敵」ではない。もっと危険な敵国がいるために協力せざるを得ないからだ。チャーチルは危険なナチスドイツを倒す為に「敵性国家」ソ連に協力したが、ドイツを倒したら次の敵はソ連だという事を決して忘れなかった。日本人もそろそろ覚悟を決めておくべきである。危険な敵国はもうすぐ崩壊するであろう。そうなれば「敵性国家」が敵である。我が国を貶める事のみに喜びを感じるような国が、味方であるわけがないではないか。
私は1995年に発行された「醜い韓国人」VS「悲しい日本人」を読んであまりの大嘘に怒るより呆れ果てた。「悲しい日本人」の作者、田麗玉の発言が酷すぎるのである。
「日本人が韓国人に行ったことは、ドイツ人がユダヤ人にやったことよりもっとひどかったんですが、謝罪は、ユダヤ人に対してドイツ人が行ったぐらいで満足します。」
「私は、従軍慰安婦の問題は、絶対、ジェノサイドであると思います。」
こんなバオバブの木を芽のうちに摘まずに二十年以上も放置した、我々日本人の愚かさを決して繰り返してはならない。相手は我々を貶める為ならどんな嘘でも平気でつく連中である。
日本テレビが深夜に「アンフォゲッタブル」というアメリカのドラマ番組を今やっている。主人公の女性は一度見たものは絶対に忘れず完全に思い出せるので、犯罪捜査に協力して犯人を見つけ出すのである。その様な超人的記憶力を持った人は現実に存在し日本にもいたのである。今東光がそうであった。
今東光が友人と話をしている時に、彼と初めて会った年月、日付けと時間に場所まで正確に述べたので、友人が驚嘆していると「てめえのド頭と俺のを一諸にするな。」と笑ったそうである。今東光は旧制中学を二つも退学させられているが、反抗的な態度が問題とされたので成績不良が理由ではない。漢文などは教師から「君は授業に出なくていいから。」と言われたそうである。史記や論語などの古典を本文や訳文まで暗記していたので教える必要がなかったのである。
今東光は天台宗の僧正になっている。大僧正と呼ぶのは敬称だろう。でも僧正の地位でも極めて高く、めったになれるものではない。彼は破天荒な人柄で、欲望丸出しの俗人である。自ら「坊主が悟っていると思ったら大間違いでな、俺なんか悟れないから坊主になったみたいなもんだ。」などと自嘲している。そんな彼がなぜ僧正になれたかといえば、仏典を全て読破し完全に記憶して何時でも引き出せたからだろう。仏典の蔵書は膨大で全部集めれば図書館一つ分ぐらいになるだろう。あるいはもっとあるかもしれない。どんな高僧でも、それを全部記憶して何時でも引用するなど常人には不可能である。だが今東光は超人的な記憶力でそれが出来たのだ。
今東光がある講演会に出席した時に、僧侶のくせにテレビに出てタレント紛いの事をしていると反感を持った若い学僧達が、仏典の中でも絶対読まないし知りそうにない箇所を皆で探し出して今東光に質問して答えられないのを大勢の前にさらけ出して、恥をかかせてやろうと企んだそうである。それに気付いた主催者の一人が「講演が終わったら、すぐ退席なさった方がいいですよ。」と今東光に告げると「おもしれえ、受けてやろうじゃねえか。」と学僧達の質問を平気で受けると、見事に回答してしまったそうである。そして「君等はこれをどう思う?」と仏典の別の個所を学僧達に質問したら、誰も答えられずに黙り込んでしまって大恥をかいたのは学僧達だったそうである。学僧達が読まないだろうと思っていた仏典を今東光はちゃんと読んでいたのである。しかも彼は一度読んだら決して忘れないで、何時でも引き出せたのである。普通の人間が仏典の知識で今東光に勝てる訳もない。もちろん知る事と理解する事は別であるが、理解するにはまず知らなければならない。今東光は創価学会を痛烈に批判して猛攻撃をうけたが「俺は大蔵経に目を通しているんだ。」と開き直っていた。大蔵経とは全ての仏典のことである。その自信があったから好きな事が言えたのである。
僧侶に大事なことは二つある。お釈迦様の教えが何かを知ることと、お釈迦様の教えを守ることである。今東光は本人も認めていたように教えを守ることについては駄目であったが、教えが何かは超人的な記憶力で学び尽くしていたのであろう。だから僧正になれたのである。それに彼は僧侶として天台宗や仏教の為にきちんと働いていた。派手な言動の裏で,真面目な仕事も人一倍やっていたのである。極道辻説法で「俺はレベルが高いんだ。」と述べていたが、自慢でなくて本音だったのだろう。彼が亡くなった時にある人が嘆いていた。
「ああ、もったいない!あれほどの膨大な知識が消えちゃった。」