濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

G7サミットの主要国「アメリカ、ドイツ、日本、イギリス、フランス」はレーニンが百年前に「強盗共」と指名していた

2018-06-28 14:13:00 | 歴史談話

 G7主要国はアメリカ、ドイツ、日本、イギリス、フランスであり、イタリアとカナダはおまけである。もしこの二国がいなくても会議は成立するだろう。それを言っちゃあ、おしまいよだけどね。世界の旦那衆はこの五か国であることは、百年前にレーニンが「帝国主義論」で「この五つの強盗共」と名指ししていていまだに変わらないのだ。直接の表現でなくともそうとしか読めない。ロシアは未開だと当時から仲間外れであった。ちょっと前には入れてもらえたのだが「やっぱりヤクザで、足を洗ってない。」と追い出されてしまった。ヤクザの垢はなかなか落ちないようである。
 イタリアが入れてもらえたのは、フランスとドイツの兄弟国だからだろう。ローマ帝国が東西に分裂して、東はビザンチン帝国として残ったが西はゲルマン民族の大移動により崩壊して大混乱状態にあったのを統一したのがカール大帝である。彼の「フランク王国」により西ヨーロッパが成立したのだ。彼の死後に王国は三つに分裂したが、それがフランス、ドイツ、イタリア(北部)なのである。つまりこの三国は西ヨーロッパ誕生以来の兄弟である。仲が悪くて兄弟喧嘩もさんざんやったが、金も地位もある旦那になれば兄弟同士の付き合いも始まるのである。フランスとドイツは出来の悪いイタリアをG7に引っ張り込んだはずである。
 カナダが入れてもらえたのは、もちろんアメリカの兄弟国だからである。カナダはアメリカのお隣さんであると同時に血を分けた兄弟である。メキシコは他人のお隣さんなのは明らかである。トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を造ると主張しているが、カナダについては何も言わない。言うわけがない。家族同様の付き合いだからである。ただ商売となると兄弟にも他人同様に厳しいので、カナダも怒っているようである。アメリカとカナダの間ほど長くて平和で安全な国境もないだろう。少し前にカナダの少年がポケモンGOを追いかけていて、アメリカの警官に拘束されたというニュースがあった。少年は知らないうちに国境を越えてしまったのだ!それでも国境なの、と言いたくなる話題であった。アメリカがカナダをG7に入れたくても無理はないし、イギリスも大賛成のはずである。アメリカ以上に血が濃いのだから。(フランス系という養子もいるが)
 フランスとドイツがイタリアを、アメリカとイギリスがカナダを入れろと言えば日本が反対出来るわけもない。


女の子を押し殺した塀を造った業者は、まさか「社民党突撃隊」にかかわっていたりはしないだろうな?

2018-06-21 14:21:24 | エッセイ

 小学生の女の子が、絶対安全であるべき小学校の塀に押し殺されたのだ。これは明らかに殺人である。しかも行政機関が市民の税金を使って無理矢理起こした殺人である。モリカケなんぞよりはるかに重大な問題である。これを追及しなければ政治家の存在価値など無い。そんな無駄飯食いの税金ドロボーは、目障りだからくたばっちまえ。




韓国での「日本人暴行事件」は「真理省のムジナ」に消された

2018-06-14 14:29:38 | エッセイ

 1995年の三豊デパート崩壊事故を検索しても、日本人テレビ局スタッフ暴行事件は出てこない。私もとことん調べる気はないので、ひょっとしたらどこかの片隅にあるのかもしれない。しかし意識して見つけることが出来ないのに、世間の人々の目に触れるとは思えない。この情報は世の中から消されたのである。この情報を消したい誰かがいたのだ。私の言う「真理省のムジナ」である。

 資料が無いので「1984年」のウィンストンのように、頼れるのは私の記憶だけである。真理省の高官オブライエンはウィンストンに「貴方も覚えているはずだ!」と問われた事実を「記憶に無い。」と平然とうそぶく。「知らない。」とは言わないのだ。極めて知能の高い男なので、嘘をつくのはプライドが許さないのであろう。知っていることも「忘れた。」と言って消し去るのである。日本人暴行事件は23年前のことなので、年配者は覚えているはずだが「記憶に無い。」のであろう。なお、テレビ局はテレビ朝日だったはずだが、テレビ朝日に聞いても「記憶にありません。」と答えるかもしれない。韓国で日本人が理由もなく集団暴行されて負傷し器物を破損され、しかも犯人達は野放し(彼等が逮捕されたという報道はなかった)という紛れも無い事実は、現在の日本では消されてしまい人の目には触れないようになっている。裏でこっそりそういう作業をしている「真理省のムジナ」がいるのだ。

 


 


「一喝千金」の季布が大日本帝国にいたら「山本五十六を銃殺しろ!」と叫んだはずである

2018-06-07 14:17:04 | 歴史談話


 冒頓単于とフランクリン・ルーズベルトは戦争したい相手に絶対飲めない要求を突き付けて挑発したが、冒頓単于は賢く勇敢な季布の一喝で空振りに終わり、ルーズベルトは馬鹿ばっかりの相手のおかげで大成功した。これは日本人が決して忘れてはならない、苦い教訓である。いまだに戦争に敗けたのは敵のせいだと愚痴るのはみっともなさすぎる。ルーズベルトが何で日本の為に動くんだよ。冒頓単于が漢の事なんか何とも思っていないのと同じで、利用するだけに決まっているじゃないの。大日本帝国はアメリカの挑発にまんまと乗ったのである。挑発は強い者が弱い者をぶちのめしたいが、自分からは手を出したくない時にやるのである。相手を怒らせてほらほら俺を殴ってみろよ、と顔を付きだすのである。相手が我を忘れて殴ってくれれば儲けものである。相手が先にこちらに手を出したのだから、弱い相手にどんなにひどい仕打ちをしようと大義名分はこちらにある。無茶苦茶なことをされた相手が泣き言を言っても誰も同情などしてくれない。「何で先に手を出した?」と言われるだけである。一般社会でも同じでしょ、殴ったら敗けなんだよ。相手をぶちのめせれば、法律上は敗けても恰好はついて世間に一目置かれるかもしれない。ロシアや中国の好きな手だ。でも先に手を出して敗けたら目も当てられない。
 息子の献帝が死に幼い孫を皇帝にして呂后が漢の独裁者になったと知った冒頓単于は、呂后に無礼千万な手紙を送り付けた。自分は閼氏を亡くして正妻がいないが、貴方も皇帝だった夫を亡くして寂しいだろう。貴方と私が結婚すれば匈奴と漢が一体となり平和も保たれる。私と結婚しませんか?というような内容だった。呂后はそれを読んで激怒した。当然である。「貞女二夫に見えず」という言葉があるように、死んだ夫に死ぬまで忠実であるのが当時の道徳とされていた。しかも彼女は初代皇帝の皇后であり、二代目皇帝の母であり、現皇帝の祖母である。当時の中国で最も尊ばれている神聖不可侵の女性なのである。呂后の専横に劉氏一族も家臣団も全く手が付けられなかったのはそのためである。皇帝ですら逆らえない彼女に、逆らえる者など誰もいなかったのである。その呂后に結婚して男女の仲になろうと公言したのだ。漢という国家そのものへの侮辱である。ハルノートを突き付けられた日本を、英国に酷い目に合わされたインド人が唯一同情してくれて「これならモナコみたいな小国も戦争に踏み切るだろう。」と言ってくれたが、それ以上である。国家の名誉にかけてこんな要求をした匈奴と戦争に踏み切るのは当然だと呂后は決意したし、それに反対出来る家臣はいないはずだった。
 そこで樊噲がしゃしゃり出た。「私が10万の軍を率いて匈奴を討つ。」と言ったのである。呂后に媚びたのだろう。それを止める者は誰もいないはずだったのに、一人の男が大声で叫んだという。
 「樊噲の首を斬れ!」
中郎将の季布である。彼は劉邦が30万の軍勢を率いて敗北した匈奴に樊噲が10万で勝てる訳も無いし、大敗北したら大軍を匈奴に振り向けざるを得なくなつて秦が北方に大軍を張り付けて国内の反乱に対応出来なくなった末路を考えれば、樊噲の無責任な申し出は呂后を欺く犯罪に等しいと主張したのである。呂后はそれを聞いて黙り込み、匈奴との戦いを諦めた。彼女は煮えくり返る怒りを押し殺して、冒頓単于に自分は老齢のために貴方のお相手は出来ませんと丁重な返事を送った。冒頓単于もそれを受けてがらりと態度を変えて、我々の国はそちらとは風習が違うのかもしれません、と言い訳をして失礼な申し出の弁解をしている。冒頓単于が傲慢不遜になったのではなく、呂后を怒らせて漢に攻撃させて迎え撃ち、白登山の戦いのような勝利の後に莫大な貢物を要求する気であったのは明らかである。計算ずくで「挑発」したのだ。無礼な態度は国益の為にしたのだ。だから相手が乗ってこないと分かったら、君主としての名誉を守るために礼儀正しく振舞ったのだ。冒頓単于の挑発は季布の一喝で空振りに終わった。季布は「一諾千金」と呼ばれた男だが、匈奴の挑発から漢を救ったこの一喝は「一喝千金」に値するだろう。
 特筆すべきは、季布のこの発言が命がけの行為であった事である。樊噲は家臣団の中でも最も古い功臣であり、しかも呂后の妹を妻としていたので呂后から最も信頼されていたはずである。一方季布は項羽の武将として劉邦の敵であった男であり、しかも劉邦から最も憎まれて項羽滅亡後も追いかけ回されていた不倶戴天の敵であった。彼を匿えば一族皆殺しだと宣告されていたのだ。それでも季布を匿っていた有力者が危険になって侠客朱家に彼を預け、朱家は劉邦の家臣夏侯嬰を訪ねて、季布を追い回すのは道理に合わないし彼が匈奴などに亡命したらどうすると訴えた。夏侯嬰はそれを聞いて劉邦に諫言した。それで劉邦は長年の憎しみを捨てて季布を許し、なおかつ家臣に加えたのである。つまり季布は家臣達の敵だった男であり、一人ぼっちで孤立無援な立場だったのである。そんな男が、最も古参で最も重要な家臣樊噲の首を斬れと言ったのだ。呂后が樊噲か季布のどちらかを選ぶなら、もちろん樊噲を選ぶに決まっている。樊噲を殺す訳がない。樊噲を殺せの発言に呂后が怒りその場で季布を処刑しても不思議ではない。その場にいた全員が季布の言葉に唖然としたはずである。そこまで衝撃的で決死の発言だったからこそ、呂后も匈奴との戦争の危険性を思い知らされたのだ。季布は自分が本来死んでいる身だと思っていたはずである。一族皆殺しの危険を冒して命がけで守ってくれた人々、諫言してくれた夏侯嬰、そして度量を見せて許した皇帝劉邦、彼等のおかげで季布は生きているのだ。だからその恩義に報いるために、国家の危機にはいつでも命を投げ捨てる覚悟でいたのだ。それだからこそ「樊噲の首を斬れ!」と堂々と言えたのだ。
 大日本帝国首脳部に「季布」がいたら「山本五十六を銃殺しろ!」と叫んだはずである。半年か一年暴れる?二三年後はどうなるか分からない?勝ち目が無いなら敗けると何故言わない。日本が滅ぶかもしれないアメリカとの戦争なのに海軍の責任者がそんなことでどうする!と激怒したはずである。山本五十六もしょせん「海軍ムラ」の人間でムラの面子を気にして事実は言えなかったのだ。季布のように国家のために命を投げ捨てる覚悟のトップがおらず、大日本帝国は滅んだのである。