濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

始皇帝とスターリンは罪もない人々を囚人にして労働力を手に入れた

2018-07-26 14:28:54 | 歴史談話

 
 劉邦が東方から進撃して秦を滅ぼしてすぐに「法三章」を発表し、人民から熱烈に歓迎されたという。法三章とは
 「人を殺せば死刑、傷つけたり人の物を盗めば処罰する。」
という極めて常識的な刑法である。それ以外の秦の刑法は全て廃棄したのである。いくら古代国家でもこれだけでは国は維持出来ないから、後に蕭何が必要な法律を付け加えていくのだが人民が喜んだのには理由がある。秦の刑法は治安を維持し人々を安全に生活させる為のものではなく、ささいな罪で人々を捕まえて牢獄に放り込み万里の長城や始皇帝陵などへ送り込んで労働力としてこき使う為のものだったのである。秦が滅んだのも無理はない。
 始皇帝の秦は古代の暴虐国家だったが、現代の暴虐国家はスターリンのソ連である。スターリンは必要な労働力を始皇帝と全く同じ手法で手に入れた。それを実行したのがベリヤの内務省とその配下の国家保安省(秘密警察)である。ベリヤはスターリンから命じられた国家事業に必要な労働者数を国家保安省に集めるように命じる。すると国家保安省から全国の秘密警察に必要な数の反革命分子のノルマが課せられるのである。秘密警察は何が何でもそのノルマを達成して反革命分子を摘発して、囚人という労働力を国家に提供せねばならない。さもなければ自分達が反革命分子として囚人にさせられてしまうのである。どんな些細な行為が反革命とされたかの例を挙げる。

 スターリンは1950年からサハリンへ向けての海底トンネルを建設させ始めた。北海道侵攻作戦の為である。冬のオホーツク海は流氷によって海上通行が不可能になるので補給が続かずに、サハリンに大軍を送り込んで戦闘を長期間継続させるのは難しい。それに強力な米海軍と空軍の攻撃も受ける。海底トンネルさえ出来れば一年中軍隊と物資を送れるし、敵の海軍や空軍からの攻撃も防げる。そこで膨大な人員を送り込んでトンネルを掘らせたのである。私は昔あるテレビ番組のドキュメンタリーでそれを知った。その番組にはある年配のロシア人女性が出て語っていた。彼女はサハリントンネル建設に動員された囚人労働者だったのである。彼女はコルホーズで働いていた農婦だったのだが、反革命罪で逮捕されてサハリントンネル建設に送り込まれたのである。その反革命罪というのが、馬鹿馬鹿しいけれど笑えない恐ろしいものなのである。
 彼女は収穫の終わった小麦畑で、点々と落ちている落穂を拾っていただけなのである。コルホーズは集団農場であるから、働く農業労働者に支給された小麦以外は全て国有財産である。落穂も国有財産なのである。ではコルホーズの指導者が落穂を拾い集めさせるかというと、そんなことはしない。彼の仕事は国家に必要な小麦を送り出すことで、落穂なんぞ知った事ではないのである。では落穂拾いを許すかというと決して許さない。小麦の支給量は上からの指示で決められていて、彼が勝手に変えたら責任問題になるからである。だから畑の落穂は鳥やネズミに食われるか腐るだけである。コルホーズの農婦たちは夜中にそんな落穂を拾い集めていたのだろう。家族に少しでも食糧を与えたいとの思いからである。コルホーズの指導者も昼間に公然とやれば咎めるが、夜中にこっそりとなら見て見ぬふりをしたのだろう。
 ところがコルホーズの秘密警察に多数の反革命分子を摘発しろとのノルマが押し付けられた。秘密警察は生活に不満を漏らしたり、党に反抗的だと思われる人々のリストを作成していたはずだから次々逮捕しただろう。しかしそれでも数が足りなくて、夜中に落穂拾いをしていた農婦を国有財産の窃盗という罪で反革命分子に仕立て上げたのである。

 こんなスターリンのソ連を褒め称えて反省もせずにいる奴等や、その仲間や跡継ぎは「ウジ虫」としか呼べないだろう。


蕭何と曽参が不仲になったのは、劉邦の猜疑心から身を守るためだったと思う

2018-07-19 14:37:35 | 歴史談話


 蕭何と曽参は、沛時代から互いに協力して劉邦を支え合ってきた仲間であったが、丞相と将軍になると不仲になったという。地位の高くなった友人同士が敵になってしまう事はよくあるが、私は蕭何と曽参は嫌でも仲違いせざるを得なかったと思う。劉邦の猜疑心から身を守るためである。
 劉邦にとって蕭何はかけがえのない家臣であり、彼がいなかったら皇帝にはなれなかっただろう。東方で戦う劉邦に関中から兵員と食糧などの物資を送り続けたのは蕭何である。項羽に敗北した劉邦が立ち直れたのも蕭何がいたからこそである。そんな恩人のような蕭何を劉邦は常に疑っていたらしい。蕭何は彼が養っている食客たちから忠告されて、劉邦の疑いから身を守るのに心配りをせざるを得なかった。蕭何は有能な行政官だが政治や歴史の知識は無かったので、それらに詳しい知識人たちを高給で雇っていたのだろう。蕭何が死んだ時に丞相でありながら、大して財産は残さなかったと伝えられるのも食客たちを養うのに使ってしまったからだろう。
 劉邦が蕭何を疑ったのは、彼に行政能力が全く無かったからだろう。劉邦のやれるのは戦争と政治だけであり、文官たちを使って国を統治する事など人に任せざるを得ない。公文書も読めないし。もし劉邦が東方に遠征している間に蕭何が関中で独立したらどうなるか。関中の人々にとって自分たちが平和に暮らせるのは、蕭何による統治のおかげである。劉邦は戦争の為に関中から人員と物資を取り上げる事しかしていない。蕭何がもう戦争への負担はさせないと宣言したら喜んで従いかねない。それを考えたら劉邦は不安でしかたがなかったはずである。ただ蕭何は文官で軍隊の指揮は出来ない。ところが蕭何と同じ文官出身でありながら曽参は将軍となり、しかも軍功第一とされた。樊噲のような個人的戦闘能力は無くても、最前線で矢傷や槍傷を負いながらも軍隊を指揮し続けて勝利をもたらしたからだろう。軍事能力のある曽参と行政能力のある蕭何が団結すれば関中を支配できると思ったら、劉邦にとっては悪夢そのものである。二人はそれを知っていたから、仲違いの振りをせざるを得なかったのだと思う。特に蕭何の食客たちは、二人の仲が良いと劉邦に思われることの政治的危険性を力説したはずである。
 権力者にとって、最も有能な部下二人が親密なのは危険極まりない事なのである。ナポレオンには外交のタレーランと内政のフーシェがいたが、不仲のはずであった二人が親密そうに話し合ったという情報が戦場に届くと、ナポレオンはすぐにパリに掛け戻り二人に喚き散らした。俺に無断で何をこそこそ企んでやがる、と激怒したのだろう。結局タレーランとフーシェはナポレオンを見限った。ナポレオンの疑いはもっともだったのである。

 スターリンにはマレンコフとベリヤがいた。独ソ戦でスターリンは作戦に掛かり切りだったので、この二人が内政を取り仕切ったのである。戦争が終わると二人の力が強すぎると感じたスターリンはジダーノフを取り立てたが、ベリヤの陰謀によりジダーノフは失脚した。マレンコフとべリヤは自分たちがスターリンに疎まれてしまったと気付いて逆手に出た。スターリンは猜疑心が極めて強くて冷酷なので、一度疑われたら弁解しても無駄だと知っていたからわざと二人で仲良くしたのである。長年スターリンに仕えた彼等は彼の用心深さも知っていたのである。スターリンは絶対に安全でないと手はださない。マレンコフ一人なら粛清できる。ベリヤも一人ならやれるだろう。しかし、マレンコフとベリヤを同時に粛清するとなるとスターリンにも身の危険が及ぶかもしれない。マレンコフとベリヤはスターリンに自分たちが親密なのをわざと見せつけて、どちらかに手を出せば我々二人が敵に回りますよと宣告したのである。この二人がある会合で仲良く寄り添って歩いているのを見たスターリンの罵り声を人が聞いている。
 「つるんで歩くイカサマ野郎、
  二人連れのペテン師め!」
この言葉は自分を裏切ってルイ18世に謁見するタレーランとフーシェに対してナポレオンが言ってもおかしくないし、創政会を作った竹下登と金丸信への田中角栄の気持ちにもぴったりすると思う。劉邦、ナポレオン、スターリンに比べると竹下と金丸の親密さに警戒しなかった田中角栄はお人よしすぎたようだ。

 


「殴れ殴れもっと殴れ、殴って吐かせろ!出来なきゃ貴様の頭をぶった斬ってやる。」 ヨシフ・スターリン

2018-07-12 14:26:33 | 歴史談話


 スターリンは1947年5月26日に死刑を廃止した。その人道的な方針に西側の左翼達は大喜びしたし、日本の左翼も褒めちぎった。しかし内務大臣ベリヤと国家保安相アバクーモフは頭を抱えた。公式文書に死刑にかかわる全ての記録を載せられなくなってしまったからである。もちろんスターリン体制下で死刑を廃止するなど不可能である。体制に逆らえばすぐにぶっ殺すのが基本政策だったからである。しかもその数が半端じゃない。1日に平均して1200人は殺していたという。銃殺に使う銃弾の量も膨大だし、銃殺する隊員達にも手当を出さねばならない。いくら慣れても人を殺すのは通常業務と一緒にはならない。それらの経費が公式文書に記入出来なくなってしまったのである。ソ連は表向きは近代国家であり、国家の記録はきちんと公表せねばならないのである。実態は暴虐極まりない古代専制国家そのものであったが。
 近代的な暴虐国家として、ナチスドイツとスターリンのソ連は双璧である。ジョージ・オーウェルの「1984年」の全体主義国家はこの二つがモデルであるが、スターリン体制により近くなっている。ナチスは滅びていたが、スターリン体制は現存し左翼知識人達に支持されていたからだろう。オーウェルはそれを批判したのである。日本共産党はオーウェルを反共主義者として非難していたが、今はどうなんだろうねぇ。
 えーと、オウムの死刑囚が7人処刑されたんだっけ。1日に1200人毎日処刑していたスターリンのソ連を褒めちぎっていたのは不破哲三だったよね。


戦後日本の保守政権はウジ虫「左翼」に膿「敗戦への国民の憤懣」を喰わせて消した

2018-07-05 14:12:08 | 歴史談話


 戦後の日本に左翼がはびこったのを、GHQの陰謀だというのは間違いである。一国の国民性をたった7年足らずで変えられるわけもない。戦争についてもそうだが、何でもアメリカ人のせいにして憂さをはらすのは見っともないからもう止めろ。アメリカがどんなに強大でも、しょせん人間の集まりであって神様でも悪魔でもない。賢いこともすれば馬鹿なことだってする。私はアメリカ人が日本に平和憲法を押し付けたのを「マッカーサーが吉田茂に騙された!」と心から悔しがっていると思うよ。「日本が俺達の植民地だって?家電産業を壊滅させて虎の子の自動車産業にまで乗り込んで来やがって、本国より良い暮らしをしている植民地がどこにあるんだよ!それもこれも日本の防衛を俺達が金を払って請け負ってやり、その間にあいつらが金儲けに専念したからじゃないか。まあ、俺達が日本人の戦いぶりにビビったのも事実だけどね。テュルモピレーのスパルタ軍かよ。あんな軍隊がマンシュタインやジューコフに指揮されてたらと思うとゾッとするよ。馬鹿ばっかりの将軍達で本当に助かったとほっとするよ。だから何が何でも日本人を平和な国民にしたくて「軍隊のない国家」なんて馬鹿丸出しの憲法を押し付けちゃった。吉田茂はそれを利用したんだ。馬鹿なマッカーサーの要求を受け入れて、金儲けに専念したかつたんだ。ドイツ人なら絶体に認めないのに、吉田茂は薄笑いを浮かべてアメリカを利用したんだ。そのおかげで敗戦国が大金持ちになっちまった。ドイツは戦争前から金持ちだったんだよ。フォルクスワーゲンはヒトラーが労働者でもローンで買えるように開発させた車だろ。貧乏人だらけだった日本とは違うよ。大金持ちの植民地のなにが不満なんだよ。そんな植民地なら、なりたがる国は世界中にいくらでもいるよ。」

 戦後日本で左翼がはびこったのも、吉田茂以後の保守政権による政策である。彼等は日本の敗戦を自分達で責任追及したくなかった。自分達にも責任が及ぶからである。だから左翼に任せた。当時の左翼は恐るべき全体主義国家であるスターリンのソ連を理想としていた「ウジ虫」だったのだが、それには目をつぶったのだ。だから学会、マスコミ、労働運動、芸能界など言論に携わる者達の間ではウジ虫がいたる所にはびこるようになってしまった。最近ではウジ虫もエサが無くなって数を減らしているようだが、まだまだ残っている。生き残ろうと苦し紛れに「リベラル」などと名乗ってもウジ虫はウジ虫である。