だいぶ前だが、都内の大手書店で講談社文庫の棚に「何でも見てやろう」が無いのに気づいて、小田実も消えたか!と感慨深い思いに浸ったことがある。かつて講談社文庫には小田実の本が何冊もズラーと並んでいたのだ。それが時を経るにつれて一冊一冊と消えてゆき、小田実の影響力の喪失を示していたのだが、彼のデビュー作である「何でも見てやろう」だけは彼が死んでも残っていた。結局小田実は「何でも見てやろう」だけの作家だった。マスコミに担がれて世間的にはスター扱いされたが、目立ちたがりのお喋りで文章もたいして中身の無いことをひたすらダラダラ書いていてとても読む気にはならなかった。だが平和とか民衆とかをひたすら繰り返すのでそれにうっとりする人々もいたのだろう。
私の若い頃には読書好きの学生は「大江派」と「小田派」に分かれるとまで言われていた。大江健三郎に嵌るか小田実に嵌る(はまる)かのどちらかなのだそうだ。今では想像も付かないだろう。小田実(みのるじゃないよ)なんて誰も知らないし、大江健三郎はノーベル賞を取ったから名前は知られていても読む人は少ないだろうねぇ、特に若い人は。
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