濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

間宮林蔵が跡継ぎに禄はいらぬと言ったのは、武士に対する軽蔑だったと思う

2017-11-30 14:17:53 | 歴史談話


 間宮林蔵が隠密活動をした成果の中で有名なのが、浜田藩の密貿易を嗅ぎ付けた件である。しかしこれは彼の任務ではなく、偶然に見つけた事を大阪の勘定奉行に報告したので暴かれたのである。隠密任務は極秘であるから、その目的も成果も表に出ることは無いのは当然である。ただ薩摩で隠密活動をしたと後から分かるだけである。
 間宮林蔵は隠密活動の為にたまたま現在の島根県の浜田を通過したが、休んだ家で東南アジア産(シナとインドの間)の木を見つけた。聞けば港で船乗りから買ったという。不審に思って港を調べたが警戒が厳重で、本来の任務もあったのでそのままにして、後に大阪の勘定奉行に報告したのである。勘定奉行は新たに隠密二人を浜田藩に送って調べ上げ密貿易の摘発に成功した。間宮林蔵の報告が無ければ発覚しなかった可能性は高い。彼は日本への海外からの輸入品を全て調べ上げて記憶していたのだろう。彼以外の隠密ならば、見知らぬ土地で変わった木を見ても地元の特産だろうと思ったはずである。間宮林蔵はそれほど勉強家で知識豊富で有能だった。しかし彼の年俸は三十俵三人扶持である。後に年金や足高といった割り増しが付いたが、死ぬまで年俸は変わらなかった。武士としてはおそらく最低に近いのではないか。有能な彼の身分が何故上がらなかったかを考えてみた。
 間宮林蔵の身分が上がらなかったのは、彼がそれを望まなかったからであろう。武士の身分に興味が無かったのである。隠密任務中でもないのに、乞食の恰好で上司を訪ねて門番ともめたりしたそうである。登城するのに裃など付けぬと言い張って上司を困らせたのもよく知られている。幕府上層部もそれを知っていた。身分を上げてやっても少しも喜ばない男の身分を上げても意味がない。だから年俸よりはるかに高額の現金を与えて仕事をさせたのである。間宮林蔵は身分に興味は無いが仕事は大好きで完璧にやり遂げたし、任務以外の密貿易まで探り当てるかけがえのない人間である。そして彼自身もそれを自覚していた。だからわがまま放題にふるまった。前回に彼が上司に住所を報告しなかったと述べたが、上司は訪ねてきた彼の後を人につけさせて住所を確認したそうである。なぜ上司が部下に住所を聞けないのか。なぜ裃を着ろと命令しないで説得せざるを得なかったのか。「じゃあ辞める。」と言われたら困るからである。間宮林蔵に辞められたら、上司は幕府から「なぜあんなに有能な男を辞めさせたんだ!」と責任を取らされてしまうからである。
 間宮林蔵は自分が有能なことを自覚していたし、武士の身分に何の興味も無かった。彼が自分の跡継ぎに禄はいらぬ自分の様に働けないからだ、と言ったのは有名である。これは武士に対する彼の軽蔑ではないのか。多くの武士は先祖の功績によって高い地位と高禄を得ている。「今のあんたにそれだけの働きがあるの?」と言われたらどう答えるのか。もちろん当時の武士は間宮林蔵の言葉にそんな意味があるとは夢にも思わなかっただろう。突き詰めれば将軍の地位さえ「東照大権現様の働きがあるの?」となったら幕藩体制が崩壊する。間宮林蔵は日本のために幕府に忠誠を尽くしたそうだから、そこまでの反体制的な考えはなかったと思うが無能な武士達に対する軽蔑は確かにあったと思う。

 


間宮林蔵が裸足で歩いたのは、隠密任務で全力疾走するためだった

2017-11-22 14:19:25 | 歴史談話


間宮林蔵は変人だった。これは事実であるが、彼を貶めるものではない。彼のようにずば抜けた知性と知識、強靭な肉体と強固な精神力によって驚嘆する様な実績を上げたという自信があれば、他人の思惑など全く無視したくなるのも無理はない。彼の身分は低かったが、幕臣としてのあらゆる規則を破って好き勝手に暮らしていたのである。老中が彼の上司に「間宮林蔵は今どこにいるんだ?」と聞いたが、上司は返答に困ったという。勝手に引っ越しをして、引っ越し先の住所を上司に報告もしなかったのである。
「俺のように有能な男を首に出来るものならやってみろ!」
という態度をむき出しにしていたのだ。そもそも彼の身分で老中がその名前を知っていたこと自体、彼がいかに特別な立場であったのかと分かる。本来なら老中とは全く係わりのない下っ端のはずである。間宮林蔵の変わり者ぶりの一つに、常に裸足で歩いたという事がある。人にその理由を聞かれて「足の裏が軟らかくなると困る。」と答えたそうである。その意味を考えてみた。 
 間宮林蔵が裸足で歩いていたのは、足の裏を靴底のように硬くして何時でも何処でも全速力で駆け出せるようにする為だったと思う。北方探検の後で彼は隠密として各地を探索したが、乞食によく変装したという。その時に経費として大金(現在の金で数百万円もするらしい)を懐に入れたが、着物がボロボロなので隠すのに苦労したと語っている。隠密の経費は使い方など報告する必要は無いし出来ないから(金を貰って情報を漏らした奴が領収書を書くか?)経費で安楽な旅をしてもよかったはずである。宿屋にも泊まれぬ乞食姿になったのは、北方探検で無人の原野や森林の中で野宿し続けた彼には、日本本土の野宿など何の辛さも感じずに宿屋など面倒くさいだけだと思ったのだろう。
 ただ乞食姿で大金を持って旅をするのは危険を伴う。人に襲われるかもしれないのだ。普通の人々は乞食など相手にしない。しかし世の中には弱い者いじめが大好きなタチの悪い奴等も結構いる。現在でもホームレスを襲う馬鹿がいるだろう。さらに最も危険なのは地元の乞食である。商売敵が来たと思い込んで追い払おうとするだろう。博徒の敵は博徒、乞食の敵は乞食である。食い扶持を奪い合う同業こそ敵である。もちろん間宮林蔵は彼等と争う必要は全く無い。出来るだけ避ければいい。しかし大金を身に付けていると気付かれたら大変である。死にもの狂いで追ってくるだろう。
 だから間宮林蔵は少しでも危なそうな連中を見たら、全速力で逃げ出したはずである。道の両脇が田畑でも草原でも森や岩場であろうと全力疾走して逃げてしまえばいいのである。彼の足の裏は靴底のように固いからどんな場所でも痛みを感じなかったのだろう。そのために裸足で足の裏を鍛えていたのである。当時の日本人の履物は草履や雪駄や下駄のように指先に引っ掛けるものだから全力疾走など出来ない。すぐ脱げてしまう。ただ旅に出る時は足首まで締め付けた草鞋に脚絆を巻いて足拵えをしっかりさせた。これなら全力疾走出来るが、そんな姿の人間が因縁を付けたりはしないだろう。探索している藩の武士に追いかけられたらその可能性もあるが、それはもう別次元の話である。普通の草履は消耗品だから、使い捨てられたものを拾ったり貰ったりして乞食でも履けただろう。履くものがあれば乞食だって履いただろう。間宮林蔵のように意識的に裸足で居続ける人間など例外中の例外である。
 普段から履物を履いている者が、草履や雪駄を懐に入れて走ろうとしても足が痛くて走れない。当時の道は舗装されてないし、草原は軟らかい芝生ではない。小石や枯草の茎、森なら木の枝などがあり裸足で走れるものではない。映画「ええじゃないか」で主演した泉谷しげるが裸足で川を渡る場面があるが、川底の小石で死ぬほど足が痛くてやらせる監督を「鬼だ!」と思ったそうである。そんな場所でも間宮林蔵は平然と駆け抜けたであろう。その為に常日頃から裸足で歩いて足の裏を靴底のように固くして鍛えていたのである。何時でも隠密任務につく為には「足の裏が軟らかくなると困る。」と思ったのであろう。

 

 

 


トランプ大統領のケチャップより、井筒和幸は鈍くて無知な頭を直せ

2017-11-16 14:28:38 | エッセイ


「トム・ソーヤの冒険」で有名なマーク・トゥエインは、欧州旅行をしてその旅行記が評判になったが「欧州にはトマトケチャップが無くて寂しかった。」と述べていたそうである。昔のアメリカでは、食卓には塩とトマトケチャップしか調味料が無かったという。かつて欧州旅行をした日本人が、色々な料理を味わったが「醤油があったらなあ!」と思うことがしばしばあったと聞いたことがある。
 食物の好みや味覚というのは、その国民や民族の歴史、文化、伝統に基づき幼い頃から植え付けられた保守的なものであるし、場合によっては宗教まで絡むものだから他人がとやかく口出しするのは慎むべきである。言い出したらきりがなくなる。「カタツムリ喰い」「犬喰い」「イカ、タコ喰い」など味覚自慢慢の国民だって、他でどう言われているかわかりゃしない。関西人だって関東のうどん汁をボロクソに言っている。 11月11日の日刊ゲンダイで井筒和幸は、トランプ大統領のトマトケチャップ好きをけなして「日本人の醤油と昆布のうま味文明にこそ付き合わせないと、真の外交など無理なのだ。」などと書いている。プーチンや習近平が来ても同じことを言えるのか?反米と反安倍が言いたいだけだろ。あんたがどんなに鈍くて無知なのかこれから教えてやる。
 井筒和幸は映画評論で「マルホランド・ドライブ」について述べた際に「カーボーイハットの男が分からない。」と言っていた。昔のことなので言葉は正確ではないかもしれないが、確かにそういう意味だった。私はそれを読んで呆れた。あの男の正体が分からなければ、この映画が分からないのも同然だからである。あの男は売春宿の親父である。女性が寝ている部屋のドアをノックもせずに開けて「カワイ子ちゃん(pretty girl)起きる時間だ。」などと言う奴はそれ以外に考えられない。主人公は女優を目指していたが、売れずに売春で生活費を稼いでいたのだ。カミーラが主人公を招いたパーティ会場に彼がいたのは、カミーラの主人公に対する絶縁宣言だったのだ。「私は結婚するし、夫公認で貴方より性格のいい女性の愛人も出来たから、貴方はもう私の前に顔を出さないでね。私と貴方の関係を世間に触れ回っても無駄よ。貴方が売春婦だと証言する男を押さえているし、ほらあの男を知っているでしょ。売春婦の言うことなんか誰も相手にしないわよ。」カミーラは一言も言わずに静かな顔で見つめながらこう宣告したのである。恐るべき冷酷無情さである。主人公が泣き出すのも無理はない。ただカミーラはやり過ぎた。売春婦は必ず裏の社会と係わりを持つ。復讐の鬼と化した主人公は売春でひたすら金を稼ぎ、殺し屋を雇うのである。映画監督のくせにカーボーイハットの男が分からぬとは、本当に鈍い男である。しかもそれを世間に宣伝している。もっと考えてから文章を書けよな。
 井筒和幸はさらに「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の解説で無知をさらけ出している。この映画の主題は森を大切にすることだと言い、日本は森を大切にしてこなかった。「お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」と昔話にもあるなどと映画解説で語っていた。本物の大馬鹿野郎である。日本人ほど森林を大切にしてきた国民はそういない。この馬鹿は柴を森林を形成する樹木と勘違いしている。木には多くの種類があり、大木もあれば細くてひょろひょろして決して高く伸びないものもある。しかし草ではなく木であり、それを刈って焚き付けに使うのである。それが柴なので樹木ではない。また樹木が成長すると日が当たらない下の枝が枯れていく。それを放っておくと幹にめり込んで節になり材質が落ちるので取り除いて集めて焚き付けに使った。それも柴である。「七人の侍」の冒頭で山賊達を覗う村人が背負っている細い木の束があるだろ。あれが柴だよ。森林を大切にすることと柴を刈ることに何の矛盾もないのである。もっと調べてからものを言えよな。

 井筒和幸は人様のことをとやかく言う前に、己の鈍くて無知な頭をなんとかしろ。

 


金丸信の「馬糞」と「仁義なき戦い 完結篇」のセリフ「牛の糞」

2017-11-09 14:15:13 | エッセイ


「馬糞の川流れ」とは、金丸信が政治家の派閥が分裂を始めて止まらなくなり跡形もなく消え失せることを揶揄した言葉である。また「牛の糞にも段々があるんで。」とは、世間様から見たら牛の糞みたいな俺達にも格や序列があるんだ、というヤクザの啖呵である。馬糞と牛糞の違いはこの二つの言葉で明らかなのであるが、それを説明したい。
 馬糞を川に放り込むと、浮きながら流れて行く。始めはそのままの形であるが水を吸って二つや三つに分裂し、それらがまた分裂を始めてちりちりバラバラになって消えてしまうのである。つまり馬糞は水に浮くのであり、水によって分解されるのである。金丸信はそれを見たのか聞いたのかして知っていた。馬糞の写真を見れば、コロコロとした団子状で荒い繊維の塊であると分かる。拾って川に放り込めるし、水を吸えば分解することは理解できる。
 一方、牛糞の写真を見てほしい。ねっとりとした流体状で手でつかむ気にはなれないし、水に浮くとも思えない。そのかわり大きく平たい形であるから、多少ではあるが段差が付く。大小はあっても段差など無い馬糞とは違う。牛や馬が普通にいた昔の人々には、そんな事は常識だったのだろう。馬糞と牛糞がこれほど違うのは、草の消化能力が違うからである。草や木にはセルロースという成分が多く含まれる。三分の一から二分の一もあり、繊維状で草木の形状を支えている。このセルロースが極めて消化しにくい物質なのである。牛も馬も自力では消化出来ずに、消化器官内の微生物に分解してもらい養分を吸収しているのである。実は木を食べるシロアリも同じであり、消化器官を殺菌して微生物を殺してしまうと餓死するそうである。ハキリアリが木の葉に菌を植えてそのキノコを食べるのもセルロースを分解してもらう為だろう。一匹一匹の消化器官内で微生物に分解してもらうより、菌による巨大なセルロース分解工場で出来た栄養価の高いキノコを食べるほうがずっと効率的なのであろう。自力でセルロースを消化出来る動物はいないという。
 馬は大きな盲腸を持ち、その中の微生物の働きでセルロースを分解して養分を吸収する。牛には胃が四つもあり、そのうち三つに微生物がいる上に分解しきれない固形物は口に戻してかみ砕いて胃に戻す。いわゆる反芻である。この為に牛のセルロース分解吸収能力は馬の三倍もあるという。つまり馬糞は未消化のセルロース分が多く含まれているので目が粗く水分も少なく水に浮くし、水に漬けるとバラけてしまうのである。一方牛糞は、セルロースを可能な限り分解し尽して養分を吸収した残りカスなので粒子が細かくて水分も多くてねっとりしている。
 「馬糞の川流れ」と「牛の糞にも段々があるんで。」という言葉もその意味を調べれば、色々と興味深い事実が分かる。
 「面白いものは自分で見つけるんだよ、待っていようと向こうからは来ねえぞ。」とは私の敬愛する今東光和尚の言葉であり、私の座右の銘でもある。

 


トランプの最後の切り札ドンパチだ

2017-11-02 14:30:20 | 川柳

 

 

 安倍終わり解散したらほら終わり

 ドンパチの為に解散足固め

 勝ったけどドンパチ迫り笑えない

 お気楽な党は馬糞の川流れ

 馬糞なら5分の1で大勝利

 割れちゃった馬糞にくっつけ言われても

 モリカケのマスターベーションおサルさん

 来年もモリカケやるの?鬼笑う
         
 
 私は約4ヶ月前の7月13日のこのブログで、
「安倍総理が都議選後にその権力を強くすることは、次の解散総選挙の結果を見ればわかるだろう。」
という意味のことを書きましたが、当たりましたね。ただ小池さんは真面目に都知事の仕事をするとばかり思っていました。以前の川柳でも言いましたが、政治家ってホントに嫌ですね。「言うだけさん」もそうだけど、何をするか分からない。