間宮林蔵が隠密活動をした成果の中で有名なのが、浜田藩の密貿易を嗅ぎ付けた件である。しかしこれは彼の任務ではなく、偶然に見つけた事を大阪の勘定奉行に報告したので暴かれたのである。隠密任務は極秘であるから、その目的も成果も表に出ることは無いのは当然である。ただ薩摩で隠密活動をしたと後から分かるだけである。
間宮林蔵は隠密活動の為にたまたま現在の島根県の浜田を通過したが、休んだ家で東南アジア産(シナとインドの間)の木を見つけた。聞けば港で船乗りから買ったという。不審に思って港を調べたが警戒が厳重で、本来の任務もあったのでそのままにして、後に大阪の勘定奉行に報告したのである。勘定奉行は新たに隠密二人を浜田藩に送って調べ上げ密貿易の摘発に成功した。間宮林蔵の報告が無ければ発覚しなかった可能性は高い。彼は日本への海外からの輸入品を全て調べ上げて記憶していたのだろう。彼以外の隠密ならば、見知らぬ土地で変わった木を見ても地元の特産だろうと思ったはずである。間宮林蔵はそれほど勉強家で知識豊富で有能だった。しかし彼の年俸は三十俵三人扶持である。後に年金や足高といった割り増しが付いたが、死ぬまで年俸は変わらなかった。武士としてはおそらく最低に近いのではないか。有能な彼の身分が何故上がらなかったかを考えてみた。
間宮林蔵の身分が上がらなかったのは、彼がそれを望まなかったからであろう。武士の身分に興味が無かったのである。隠密任務中でもないのに、乞食の恰好で上司を訪ねて門番ともめたりしたそうである。登城するのに裃など付けぬと言い張って上司を困らせたのもよく知られている。幕府上層部もそれを知っていた。身分を上げてやっても少しも喜ばない男の身分を上げても意味がない。だから年俸よりはるかに高額の現金を与えて仕事をさせたのである。間宮林蔵は身分に興味は無いが仕事は大好きで完璧にやり遂げたし、任務以外の密貿易まで探り当てるかけがえのない人間である。そして彼自身もそれを自覚していた。だからわがまま放題にふるまった。前回に彼が上司に住所を報告しなかったと述べたが、上司は訪ねてきた彼の後を人につけさせて住所を確認したそうである。なぜ上司が部下に住所を聞けないのか。なぜ裃を着ろと命令しないで説得せざるを得なかったのか。「じゃあ辞める。」と言われたら困るからである。間宮林蔵に辞められたら、上司は幕府から「なぜあんなに有能な男を辞めさせたんだ!」と責任を取らされてしまうからである。
間宮林蔵は自分が有能なことを自覚していたし、武士の身分に何の興味も無かった。彼が自分の跡継ぎに禄はいらぬ自分の様に働けないからだ、と言ったのは有名である。これは武士に対する彼の軽蔑ではないのか。多くの武士は先祖の功績によって高い地位と高禄を得ている。「今のあんたにそれだけの働きがあるの?」と言われたらどう答えるのか。もちろん当時の武士は間宮林蔵の言葉にそんな意味があるとは夢にも思わなかっただろう。突き詰めれば将軍の地位さえ「東照大権現様の働きがあるの?」となったら幕藩体制が崩壊する。間宮林蔵は日本のために幕府に忠誠を尽くしたそうだから、そこまでの反体制的な考えはなかったと思うが無能な武士達に対する軽蔑は確かにあったと思う。