濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

日本共産党のトップは不破哲三で、志位和夫に雑巾がけをさせているんだよ

2018-01-25 14:29:20 | 川柳

 平昌にドタキャンしても皆許す

 政治だろ二階の顔を立てたんだ

 中二病モリカケ二年まだ遊ぶ

 国会で今度はスパかふざけるな!

 割れちゃった馬糞が三個プカプカと

 やっぱりね割れた馬糞はくっつかぬ

 リベラルの共産党って大笑い

 スターリン支持した不破もリベラルか


 牛の糞にも段々があってね、志位が不破の肩を越すなんて許されないんだよ。

 


新島八重と上坂仙吉(会津小鉄初代)、吉本せいと山口登(山口組二代目)は顔見知りだった

2018-01-18 14:22:00 | 歴史談話

 新島八重は上坂仙吉(会津小鉄初代)と顔見知りであったし、吉本せいは山口登(山口組二代目)と昵懇だった。だが現在では、それは無かったかの様にされる。あまりにも具合が悪いからである。会津小鉄も山口組もいまだに存在する暴力団だからである。たとえば新門辰五郎なら出せる。町火消の頭としてドラマに出ていた。でも上坂仙吉と新門辰五郎にどれほどの違いがあるのか、といえばほとんど無いと言ってもいいはずである。二人とも人足達の元締めであった。山口登も港湾人足の元締めである。そして小泉進次郎の曽祖父である、小泉又次郎も同じ稼業をしていたのだ。

 かつては、気の荒い人足達を多数使う建築や運送などの仕事は博徒との付き合いなしには出来なかったのである。なぜ出来なかったといえば、人足達の娯楽が博打だったからである。飲む、打つ、買うと言うように酒と博打は人足達の最大の楽しみだった。買うのはめったにはやれないが、辛い仕事が終わった後に風呂に入って飯を食い、酒を飲みながら寝るまで博打をする毎日だった。規律の厳しい商家はもちろんそんな事は絶対に許されないし、熟練の技能を必要とする職人も独立出来たらともかく親方の元でそんな事は許されない。同じ職人でも鳶と大工は性格が異なる。大工は技能がすべてである。鳶にももちろん技能は必要だが、それ以上に必要なのが腕力と度胸である。鳶は町内の用心棒なのである。落語で大店の旦那がなにかあると「頭を呼んでおいで。」と鳶の頭に相談する。大工の棟梁や庭師の親方を呼んだりはしない。大工や庭師と違い、鳶人足は暴力の威嚇を使えたのだ。だから鳶の頭が頭を下げれば皆言うことを聞いたのだ。断って鳶の頭に恥をかかせれば、配下の鳶人足達から何をされるか分からないからだ。鳶人足は全身に刺青をいれていたし、娯楽は博打である。明らかに大工とは違う。そうした気の荒い肉体労働者の暮らす人足小屋では毎晩博打が行われていた。だから小屋主である人足の元締めは博徒に挨拶をせざるを得なかったのだ。
 博徒は自分の縄張り内で勝手に博打をするのは絶対に許さない。見つければ殴り込んで潰してしまう。博打は博徒の開く賭場でしかやらせないのが原則である。だから人足の元締めはその地域の博徒の親分に頼んで、博打を打つのを許してもらうのである。客を取らない人足だけの「身内盆」なのでお目こぼしを、と頼み込むのである。もちろん謝礼も出す。博徒の親分も挨拶されたら面子も立つのでそれを許したのである。堅気の仕事をしながら、博徒から博打を打つことを許された人々は「稼業人」と呼ばれた。鳶は稼業人であり、初代山口組組長山口春吉も港湾人足達の元締めである稼業人であった。落語「三軒長屋」で鳶の頭が家主に資金集めのために鳶仲間を集めて花会をやりたいと言う。花会とはもちろん博打大会である。その寺銭で金を集めるのだ。鳶が稼業人だからやれるのであって、大工の棟梁が博打大会などやれば博徒に殴り込まれてつぶされるし、その後始末も容易ではないだろう。大工は堅気であるが、鳶は堅気の看板を掲げてはいるが裏社会に半分足を突っ込んでいたのである。かつては博徒の下にそういう稼業人達が多くいたのである。ただ稼業人の方が博徒より強くなる場合もあった。「浮浪雲」の主人公はもちろん稼業人であり、彼が博徒ともめた時には運送人足の大集団が応援に駆けつけて博徒たちを圧倒している。山口登は親の代から博徒大嶋組の配下だったが、盃を返して独立した。博徒なら「誰に食わせてもらった、恩知らずめ。」と言われるが、港湾人足業の稼業人で博打で飯を食っていたのでは無かったからそれほどの義理は感じなかったのであろう。明治になると厳しい取り締まりを逃れる為に、博徒が建設業になだれ込んだという。そうなるとどっちが博徒でどっちが稼業人だか分からなくなるが、彼等の間では見分けが付いたのだろう。時代が変わり鳶の様に稼業人から堅気に専念する者もいれば、山口組の様に博徒を飲み込む強大な暴力集団になってしまう組織もある。
 日本では博打は常に非合法だった。欧米が全く違うのは映画やドラマを見れば分かる。博打は貴族から庶民に至るまでの娯楽である。アメリカでは警官まで仲間内で博打をして楽しんでいる。博打を社会から無くすのは不可能なのだろう。だから戦後には公営ギャンブルやパチンコが許されたのである。日本で博徒が勢力を伸ばしたのは博打が犯罪とされたからである。アメリカの禁酒法時代にギャングが酒を売って大儲けしたが、塩税が極めて高価だった昔の中国では「塩賊」という犯罪組織が塩の密売で大儲けしていたそうである。犯罪であるがどうしても博打をやりたい多数の人々が、博徒を儲けさしていたのだ。そして博徒の影響力は社会の隅々にまで及んでいた。大名は江戸や京都の屋敷内に賭場を開かせて必要な人足達を確保していた。
 上坂仙吉は京都で会津藩の為に人足を供給していた。もちろん会津藩の屋敷内で賭場を開き大儲けしてその勢力を伸ばした。その恩義を忘れずに「会津の小鉄」を名乗ったのである。新島八重の兄である会津藩士山本覚馬は薩摩の捕虜となったが、その知識と人格の高潔さが西郷隆盛などの人々に感銘を与えて明治になっても京都で職を与えられた。会津の小鉄が山本覚馬のもとを頻繁に訪れたのは言うまでもない。京都の兄と暮らしていた新島八重が会津の小鉄と顔見知りだったのは当然である。
 山口登は1940年に、浪曲師広沢虎造の興行のもつれで籠寅組に刺されて重傷を負った。吉本せいの為に仲裁しようとしたのである。映画「三代目襲名」の冒頭はこの場面である。戦前までは稼業人はもちろん、博徒も日陰者とされても社会の中でいる場所があったらしい。博打で食えなくなり、暴力の威嚇のみで生きていかざるを得なくなった人々は「暴力団」と呼ばれてもしょうがないだろう。

 


黒塗り浜田に「金髪大介」「鼻高白人」「出っ歯の日本人」を一緒に出せよ

2018-01-11 14:37:41 | パロディ

 
 英国人は笑い者にされても平然としているが、ドイツ人は激怒したそうである。私が若い頃に読んだ話なので今はどうかは知らない。
 第一次世界大戦の西部戦線で英軍とドイツ軍が対峙していた。塹壕戦なので長期間同じ場所で睨み合ったままである。ドイツ軍は英軍の士気を低下させようとして、英国兵を徹底的に馬鹿にした歌を作って大音量で流し出した。「英国兵はアホボケカス、間抜けな臆病者」というような歌である。連日こんな歌を聞かせられたら英国兵は怒り狂い、我慢出来なくなってノイローゼ状態になるだろうと思ったのである。ところが、英国兵達はこの歌を面白がったのである。「俺達ってアホボケカスだってさ、あはははは!」と喜んでこの歌を自分達で歌い出して流行歌にしてしまったそうである。ついにある日、その地域の英軍全員が大合唱を始めて「英国兵はアホボケカス」の歌声がドイツ軍陣地まで轟き渡ってしまった。
「英国軍で反乱が起きた!」
とドイツ軍ではびっくり仰天したそうである。自分達を貶める歌を自ら歌うなど理解不能だったに違いない。両国の国民性がいかに違うかがよく分かる逸話である。
 英国人が笑い者にされても平然としていたのは、自分達に絶対の自信があったからである。彼等は自分達が世界で最も優れた国民だという「誇り」があった。自分達が人からどう思われているかをくよくよ考える「虚栄心」など無かったから、自分達より劣った奴等が何を言っても気にしなかったのである。もちろん、その「誇り」が正しいかどうかは別問題である。前にこのブログで述べたショーペンハウアーは、完全に間違った自信でも「誇り」になると言っている。本人が確信していればそれでいいのである。人に褒められないと不安でしょうがない「虚栄心」が絶対に「誇り」になれないのもその為である。たとえばアンガールズの田中さんは「巨大な男根」が誇りのようである。それを語る時の表情は自信に満ちている。私から見れば「宝の持ち腐れ」のように思えるのだが、この件に関して「自分は並だ」にしがみついて生きてきた私に何を言われても田中さんは気にしないだろう。男根だって「誇り」になるのだ。人がどう思おうと何を言おうと自分に絶対の自信さえあれば、どんなにみじめな末路を迎えてもシラノ・ド・ベルジュラックのように誇り高く死んで行けるのである。現在の日本で「眼鏡に出っ歯の日本人」を見て本気で怒る人は少ないだろう。世界でも認められる裕福な国になり自信を持てるようになったからだ。吉本隆明は鮎川信夫との対談で、自分の顔は「土方面」だと平気で述べていた。「俺は顔が売り物じゃねーよ。」と思っていたのだろう。
 欧米では黒人は長年差別されてきた。最近では誇りを持てる黒人も前大統領を初め多くいるが、差別は続いているので欧米で黒人の扮装を気にするのは良く分かる。昔は黒人の俳優などおらず、白人が顔を黒く塗って黒人の振りをしたほどだからだ。だが日本は事情が違うだろう。もちろん日本にも黒人差別はあったし、今でもあるだろう。しかし歴史的背景が全く異なる。そもそも黒人差別意識がテレビ局担当者に少しでもあったら、臆病でびくびくしながら忖度した放送禁止用語まみれの腑抜けの彼等が、黒塗りの扮装など放送するはずがない。今回の件で、日本人の黒人差別意識がいかに少なくなっているかが証明されたと思う。

 つまらん事でギャーギャー言ってんじゃねーよ!