濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

イナゴの大発生は乾燥地帯が大草原になって起きる

2020-02-20 14:30:35 | エッセイ

 表題に書いた乾燥地帯は, 水が少ないので草は疎らにしか生えないしすぐ枯れる。当然それを食べるイナゴも多くは生きられない。卵が孵ってもそのほとんどが死ぬのだろう。イナゴやその他の虫が少ないのでそれを食べる鳥やトカゲなどの天敵もごく僅かしか生きてゆけない。そんな広大な乾燥地帯がユーラシアやアフリカそしてアメリカ大陸にはある。
 ところが、そんな乾燥地帯にごく稀に大雨がしかも続いて降ることがある。すると地中にあった草の種が一斉に芽生えて青々とした大草原となるのである。卵から孵ったイナゴはエサが豊富にあるのでそのほとんどが生き残ってまた卵を産む。こうしてイナゴはネズミ算式に増え続けてしまうのだ。もちろん天敵もイナゴを食べまくるのだろうが、元々数が少ないしイナゴほど速く数など増やせない。だから恐るべき数のイナゴ大集団が草原を食い尽くすのである。しかも大量発生すると卵から孵るイナゴの性質が変わる。形が小さくなり羽が大きくなり飛行力がはるかに増すのである。「飛蝗」と呼ぶそうである。しかも性質が狂暴となり、すべての植物を食い尽くしながら行進を続けるのだ。海さえ渡る。昔、西アフリカで発生した飛蝗の大群が大西洋を渡って中南米に現れたというニュースがあったくらいである。本当だよ。まあジャングルでは天敵の数も桁違いに多いからあっという間に消えただろうけどね。
 東アフリカで発生した飛蝗の大群がインドを越えて中国まで行きそうだという、自然災害は本当に恐ろしい。


「黒岩久兵衛さん」民主両党さんは輩(ヤカラ)の山よ、ナチスみたいになり下がる

2020-02-13 14:44:12 | パロディ

「黒岩久兵衛さん」民主両党さんは輩(ヤカラ)の山よ、ナチスみたいになり下がる


 ヒトラーとナチスの宣伝は嘘まみれであった。政敵やユダヤ人を攻撃するためには嘘をつきデマを垂れ流したのである。そして嘘がバレても決して認めず、もちろん謝罪など絶対にしないのである。知らんふりをして、また別の嘘をつくのである。こんな行為は心ある知的な人々の怒りと軽蔑をかったが、ヒトラーは平気であった。そもそも、そんな人たちは相手にしていないからである。ヒトラーの有名な宣伝法則「宣伝の対象は大衆の最低レベルを目標にしろ」にあるように、ろくにものを考えずにデマを信じる人々に嘘を垂れ流し続けたのである。要するに「馬鹿の票を搔き集めろ!」がナチスの選挙戦術であった。馬鹿でも一票あるしその数は多いと思ったのだろう。世の中が豊かで平和ならそんな嘘を信じる人は少ない。1928年にナチスの国会議席占有率はたった2%である。完全比例代表制なので、投票者の2%しか得られなかったのである。しかし世界大恐慌が起こり失業者が増え続けるのに、当時の政府や他の諸政党が何の対策も取れないと思った多くのドイツ国民はナチスに飛びついてしまったのである。
「溺れる者は藁をつかむ」の言葉どうりに正気ならあり得ない行為に走ってしまった。嘘をつき続けるのも「信念がある」に見えたのかもしれない。嘘がバレても恥じない政党は危険である。


関ケ原合戦後の朽木元網9500石は家康の意地悪だったと思う

2020-02-06 14:27:11 | 歴史談話

 
 関ケ原合戦で寝返ったのに、小川と赤座は領地を没収されてしまった。家康がなぜそうしたのかを考えるとこういう結論になった。また朽木の2万石を半分にするのに、わざわざ500石ほど削って一万石未満にしたのは明らかに嫌がらせだと思う。関ケ原合戦前の朽木元網は一万石以上の小大名たちと同席していたはずである。ところが合戦後には全く別の末席に座らせられたであろう。そして小大名たちは、なぜ朽木元網が自分たちと席を変えられたのかすぐに理解して冷たい目で彼を見つめたはずである。小川や赤座みたいに消え失せるよりはましだけれどね。
 脇坂は合戦前にちゃんと内応の文書を送っている。朽木元網は戦いが始まってから藤堂高虎を通じて内応の文書を送ったそうだが、戦の最中にそんなもの見向きもされないだろう。だいたい寝返りは土壇場であればあるほど軽蔑される。大義名分がないからだ。家康だって今川の家臣だったのに織田に寝返ったが、ちゃんと手間と時間をかけて大義名分を立てている。家康が今川氏真に何度も手紙を送り、一緒に織田信長を討って今川義元の敵討ちをしましょうと誘いをかけたのは明らかに政治的プロパガンダである。そんなを誘いを受けるわけもない氏真の姿を世間にさらし、彼がいかに親不孝者の臆病者であるかを見せつけたのだろう。愚かな主君に仕えるのは馬鹿らしい。孔子だって言う事を聞かない君主を見限って去っている。家康が織田信長についたのを裏切りと責める者はたいしていなかったはずである。家康は関ケ原合戦後も豊臣の家臣として振舞っている。曹操が漢の、司馬懿が魏の家臣だったのと同じである。そしてじわじわと相手の立場を削っていくのである。家康が朽木元網を許したのは、朽木が藤堂高虎と姻戚関係にあったからだろう。藤堂は家康が最も信頼していた外様大名である。朽木を潰せば藤堂が困ると思ったのだろう。朽木なんぞどうでもいいが、藤堂高虎は気を遣ってやらなければならない大事な家臣である。それに朽木はちっぽけだが由緒ある源氏の家柄である。徳川も源氏を名乗りその長者として征夷大将軍になるのだが、その根拠は極めて薄弱である。自分達の先祖がそう言っていたとかいうものである。徳川や松平の系図はあやふやで漫画「カムイ伝」の始まりはそれが主題である。ひょっとすると朽木を許したのは、徳川が源氏であるというプロパガンダの意味もあったのかもしれない。
「あいつは潰すとこだが、同じ源氏だから許してやるんだ」という態度をとって「徳川は源氏だぞ!」と宣伝したのだろう。