濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

「損保ジャパン」の元社長だった塩田修三は、私の琴平中学時代にバスケットボール部のキャプテンだった

2023-07-27 14:11:16 | エッセイ

 

 損保ジャパンが話題になっているが、それで思い出したのが2006年にこの会社の社長になった塩田修三である。私は中学でバスケットをやったのだが小さいチームで同学年で5人の定員が4人しかいなかった。塩田はそのキャプテンを勤めたのだが、極めて優秀で選手としてもリーダーとしても申し分がなかった。それに部活に時間を使っていたのに成績も学年で一番で3年には生徒会長になった。彼にはお姉さんがいたが、やはり成績は一番で生徒会長になったそうである
。血筋なんだろうね。彼には学校一のワルも一目置いていて指さしながら「こいつは国の宝じゃ!」なんて言っていたのを今でも思い出すよ。

 私は彼とはクラスも違ったし個人的には親しくはなかった。そりが合わなかったんだろうね。中学を卒業すると彼は名門丸亀高校に行ったから会うこともなくなり、やがて一橋大学の経済学部に入学したと噂で聞いたぐらいですっかり忘れていた。ところがインターネットで検索していたら塩田修三の名前が出て来た。同姓同名かと思いさらに調べると、昭和30年生まれ、香川県出身、一橋大学卒とあるから「塩田だぁ!」と分かったのだ。一流企業の社長になったのだから私の知り合いの中では一番の出世頭だろう。彼は私のことなんか忘れているかもしれないが、私ははっきり覚えている。それほど優秀な男だった。


海生逸一(かいお いつひと)は山村辰雄を取り立てて親分にしたが、その本性を知り呆れ果てて見限ったと思う

2023-07-20 14:15:17 | エッセイ

 

 山村辰雄は呉の博徒小早川静馬の子分になれたが、呉でも長年暮らした大阪でもヤクザとして名を上げるようなことは何も残っていない。ただ敗戦後に呉で旧帝国海軍の弾薬処理事業に加わり大儲けして、新たな事業への元手をつくることが出来た。そしてそれを有効に活用したのだろう。「仁義なき戦い」で彼は出所した原田昭三に多額の祝い金を与えたが、それを原田が全て女につぎ込んだと美能幸三に愚痴っている。苦労した美能には金を出しもしないでである。それには樋上実も、他所のもんには気前がいいなぁと述べている。映画「仁義なき戦い 代理戦争」では親分の渡す札束を驚きの眼で見る様子で描かれている。山村は原田昭三を大西政寛のように取り込むつもりだったのだろうが、せっかくやった金を無駄にされたと怒ったのだ。
 山村辰夫は呉では何の実績もない男だった。それを引き立てたのが海生逸一だった。山村組は呉の顔役だった男が愚連隊のような連中を集めて結成されたという。裏でその指示をしたのは明らかに海生である。海生の指示で人が集まり組が出来て山村辰雄は親分になれたのだ。だが彼は博徒の掟を守れない自由人だった。なんと自分の罪を被って懲役に行った若頭佐々木哲彦の愛人に手を出してしまったのだ。それを知った佐々木は激怒して人前で山村をぶん殴ったという。海生はそれを聞いて呆れ果てたはずである。海生はよく孫分になる若い博徒たちを自宅に招いてもてなしたという。そして博徒の振る舞いを教え諭した。組のために懲役に行っている者の女の世話は組の義務だが、金は一度に与えず暮らせるだけをそのつど与えろ。人は大金を持つと心変わりしかねないからである。そして女の家には必ず二人で行き、家の中には決して入らず玄関から声をかけて女には外で金を渡すのだそうである。変な噂がたち刑務所の中で仲間が疑心をいだかぬようにそこまで気を配るのだ。海生が山村辰雄の振る舞いにあきれ果てたのも無理はないだろう。


小川薫の総会屋「広島グループ」は広島抗争で懲役刑を受け出所した元ヤクザ達が集まっていたと思う

2023-07-13 14:15:06 | エッセイ

 小川薫は広島出身だが、東京に出て総会屋として成功し有名となった。彼の配下には多数の広島県人がおりその広島弁が凄みを利かせたという。「なんだお前は!」と言われても普通に対応できるが「なんならおどれは!」と言われると皆震えあがったという。映画「仁義なき戦い」の影響かもしれないが広島弁がヤクザ言葉に聞こえてしまったらしい。地元では中学生でも普通に使っているそうなんだけど。
 
 私はこれらの総会屋に広島抗争で服役して出所した元ヤクザが多数いたと思う。広島抗争では多くが懲役刑をうけたが、重罪でなければ数年で出てこれただろう。ヤクザとしては勲章でそれなりの待遇を望んでもあまりにも数が多すぎて組としても面倒見切れない。有能で将来性があればいいが、そんなのは一握りだろう。当然組に不満を持つ。ましてや組が無くなっていたりしたら目もあてられない。そんな連中のところに東京に出た同郷の小川薫の羽振りの良さが伝わればどうなるか。ヤクザの世界では他人の儲け話ほど注目されるものはないと言う。それに元ヤクザを受け入れる世界はそうはないが、総会屋は数少ないその一つでありかえって勲章になったりする。また広島の組としても出ては行けない東京の大企業との繋がりをつけるためにも窓際組員の引退を許し、総会屋として東京に送り出したのではないかと思う。


山村辰雄は裏口からヤクザ世界に入り、稼業人として暮らし海生逸一に気に入 られて親分になれた男である

2023-07-06 14:29:09 | エッセイ

 山村辰雄がいかに器量の無い親分であったかは「仁義なき戦い」の中で繰り返し述べられている。あるとき山村の客人として招いている親分への振る舞いがあまりに酷いので子分の服部武(二代目共政会会長)が「あれだから人に見せられん!」と嘆いている。これって親分が子分に言う言葉だよ。それを子分に言われるのだから半端じゃない。山村のそんな気質は大阪時代に染み込んだと思う。稼業人だから組の縛りは受けず「私は表向き堅気の工員ですから。」と博徒に愛想を振りまき、工員仲間には「俺の後ろには博徒がいるんだぞ!」と幅を利かせて好き勝手に生きていたのだろう。ただ金銭感覚と言葉巧みに人を操る術は身に付けることが出来た。特に海生逸一(かいお いつひと)の懐に飛び込み資金も人材も揃えて貰って親分になれたから、子分を育てる感覚は全くない自由人のままだったようである。小早川静馬や海生逸一のような老人に取り入る能力はずば抜けていたが。