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ヒンデンブルク大統領がヒトラーを「ボヘミアの伍長」と呼んだのはその生き方への批判だったと思う

2020-07-16 14:26:37 | 歴史談話

 ヒンデンブルク大統領(元帥)がヒトラーを「ボヘミアの伍長」と呼んで嫌っていたことは有名である。ヒトラーはボヘミア(今のチェコ)があったオーストリア・ハンガリー帝国出身であったが、彼の生まれたブラウナウはボヘミアとの境から100キロ近くも離れており、川をはさんだ隣はドイツ(バイエルン)であった。彼が暮らしたのもブラウナウ、リンツ、ウイーンでボヘミア地方とは縁もゆかりもないはずである。それなのになぜそう呼んだのか。ひとつには地理的な感覚があったのではないかと思う。ヒンデンブルクの生まれ育ったプロイセン地方(現在のポーランド)の南にはボヘミア地方が広がっており、そのさらに南にドイツ人の住むオーストリア領がある。ヒンデンブルクから見て南に住んでいるのはボヘミア(チェコ)人という意識が強かったのではないか。そこから来たドイツ人という意味でそう呼んだのかもしれない。
 しかし私はもう一つの理由を取りたい。ヒンデンブルクは軍人の家系に生まれて幼少期から軍人になるために育てられ、生涯を軍人として生きてきた人間である。それ以外の生活は知らないのである。そして図面に書いたとうりボヘミアにいたボヘミアンたちはその対極ともいえる暮らしをしていたのである。兵隊アリのカター大佐と同じくボヘミアンを軽蔑しても不思議はない。第一次世界大戦が始まり軍隊に志願するまでのヒトラーの暮らしは、まさにボヘミアンそのものであった。実科学校を中退し、美術学校入学に失敗しても画家や建築家になる夢を捨てず定職にも就かずに、自由気ままなその日暮らしを続けていたのである。ヒンデンブルクは大統領としてナチス党の党首ヒトラーの経歴を詳しく調べさせたはずである。そして知れば知るほどその生き方を不快に感じたのであろう。だからその気持ちを「ボヘミアの伍長」として表現したのだと思う。ヒトラーの階級は伍長勤務上等兵(帝国陸軍の兵長)止まりであった。有能でも協調性なしとされたらしい。しかし除隊するときに長年の軍歴と功労に免じて伍長の階級を授けられたという。もしヒトラーが陸軍に召集されれば、元帥の前では直立不動で立ち尽くして何も言えない「伍長」にしかすぎないとヒンデンブルクは感じていただろう。

 



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1 コメント

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Unknown (うんち)
2023-03-08 14:43:49
ヒンデンブルクのヒトラーへの蔑視も政治家を志した要因の一つになったのではないでしょうか。

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