彼等は「我々はナチスの敵である」と言うだろう。しかし重要なのは彼等の主義主張なのではなくて「そのやり方」である。この世には多くの主義主張やイデオロギーがあり、誰もが自分達は正しいと思い込んでいる。そして反対する者たちを敵と見なして攻撃する。私だってそうだし、時にはいささか感情的になりすぎているなぁと思っても抑えられないことだってある。しかし物事には限度があるし、決してやってはならないこともある。それを越えたら右であれ左であれ、どんなに人類愛や平和を訴えようと犯罪行為に等しいのである。そんな行為を許しては言論の自由が封殺されて、ナチズムのようなおぞましい思想が蔓延りかねないのである。彼等が我々はナチスと正反対の立場であるといくら主張しようと、やり口がそっくりなら同類と言わざるを得ない。
かつて中核派と革マル派という過激な極左暴力集団がそれなりの勢力と影響力を持ち、特に大学内ではびこっていた。中核派は法政大学、革マル派は早稲田大学を根拠地にして日本各地で激しい乱闘と殺戮を繰り返していた。この両者は同じ組織から分裂したのであるが、政治方針と組織論で対立し別々の道を歩み出したのである。最初は相手を批判していただけなのだが、大学内や労働運動内での勢力争いから相手を不倶戴天の敵として憎しみ会い、血で血を洗う凄まじい武装闘争にまで発展したのである。当然に両者は相手を自分たちとは全く正反対の組織だと思い込んでいただろう。中核派は革マル派を「ファシスト・カクマル」と呼び、革マル派は中核派を「ウジ虫」と呼んでいた。昔は仲間だったが180度違う方向に歩き出して、今では自分たちとは似ても似つかないおぞましい姿に成り果てた奴らだと互いに決めつけていたのである。
ところが昔は都内の大書店にこの両派の新聞と機関誌が置いてあったりしたものだが、必ず並べて置いてあった。中核派が「前進」で革マル派が「解放」の新聞、機関誌は両者共に「共産主義者」であった。彼等自身の思惑とは逆に、世間は彼等を「同類」と見なしたのである。やっている事が同じなんだから当然だろう。180度ではなく360度ぐるりと回って、今では仲良く同じ所に戻っている連中と思われていたのだろう。近親憎悪の兄弟喧嘩は凄いなぁ、と見ていたはずである。お互いにどんなに憎しみ会っていても、やっている事が同じであるなら同類にしか見えない。中核派と革マル派がその支配していた大学内でやっていたように、ナチスも権力を握ると言論を封鎖して自分達の好まない主張を人々に聞かせないようにした。リベラリズムとは自分に反対する主張であってもその発言を許して聞くことであり、議会制民主主義とは多くの主張を人々に自由に聞かせて誰に投票するかを判断させることである。
高円寺駅前で選挙妨害していた連中はどう見てもナチスと「同類」だよ。