濁泥水の岡目八目

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安倍憎し(令和モリカケ馬鹿貝篇)

2019-07-18 14:40:03 | パロディ

安倍憎し(令和モリカケ馬鹿貝篇)


 馬鹿貝って公の学名が「バカガイ」なんだよね。学問ってけっこう凄いよ。「メクラヘビ」とか「コビトカバ」とか腑抜けのマスコミがおぞけを振う言葉を堂々と使えるんだ。少し前なら「小人」なんて絶対のタブーだったはずなんだけど「コビト」はいいみたいだね。コビトカバをテレビでやっていたよ。
 あと建築業界では「メクラ」は大声で飛び交っていたよ。栓で塞がれて先に繋がっていない配管をこう呼ぶんだ。「ここはメクラにすんの?」とか言うのを聞いてびっくりしたのを覚えている。大学では言ってはいけない言葉だったからね。でも私的にはタブーでも「学名」は変えられないんだよ。昔の人が付けちゃったら使うしかないんだから面白い。こんなこと書くとギャーギャー喚く珍左翼が昔いてさ、吉本隆明が叩いていたんだけどもう消えたのかなぁ。

  バカガイ 異歯亜網ーバカガイ上科
           -バカガイ科
            バカガイ属 
  学名(Mactra chinesis) これって中国?シナなら差別かな。
  シナントロプスペキネシス(北京原人)なんてのもあったよね。


「ホイッグ党」と「トーリー党」という相手の嘲笑いを受け入れる態度で英国議会は始まった

2019-07-11 14:24:50 | エッセイ

 風刺とは相手の愚かさや悪辣さを嘲笑、嘲弄して思い知らせる手段であり、権力や権威への有効な攻撃方法である。いじめはしばしば多数によって弱い者に行われるが、優れた風刺は個人がやっているのしか見た事ないなぁ。優れた連中がチームをつくってやる事もあるようだけれどね。馬鹿が群れたってヘイトしかやれないんだよ。人を見下す嘲笑や嘲弄が悪いことのように思っているようだが、馬鹿を馬鹿と言って笑い、悪党を悪党と言って笑ってなにが悪いんだよ。断っておくけど、馬鹿といっても知能が低いだけで罪もない人々のことじゃあないよ。こう言っておかないとすぐに上げ足を取りたがる馬鹿がいるからね。

「馬鹿について」という名著には馬鹿には三種類あると述べている。
「知能の低い馬鹿」「知能の正常な馬鹿」そして「知能の高い馬鹿」である。
いくら知能が高くたって馬鹿な奴等は腐るほどいる。
「ソ連は素晴らしい国だ」とか「北朝鮮は税金のない幸せに暮らせる国だ」とかぬかしていた一流大学の教授とか一流大学卒業生が大手を振って闊歩していた「ウジ虫の天国」を嫌と言うほど見せつけられていたから忘れられないよ。今ではさすがにそこまでは言えないようだが、跡継ぎもまだまだ残っているようだね。
 政党が批判されて「いじめられる」って何なんだよ!子供(ガキ)じゃあないんだから、少しは言葉を選べよな。言論による争いは「勝負」であっていじめじゃない。だいたい権力者に嘲笑されたら、やり返すのが当然だろう。権力者だってさんざん嘲笑されているだろ。トランプ大統領なんて反対派にボコボコにやりまくられても、負けずにやり返しているじゃないの。嘲笑されてやり返せない野党が無能なだけだよ。安倍総理だって「モリカケ」でさんざん批判されていたろ。そういえば「モリカケ」って何も決着がついていないよね。野党は参院選挙の争点をモリカケにすべきだと思うんだけど、やれないだろうね。だから嘲笑いを受けるんだよ。

 参考文献  「馬鹿についてー人間、この愚かなるもの」 創元社

        ホルスト・ガイヤー著 満田久敏 泰井俊三 翻訳

          

 


フッ化水素で慌てふためく奴等を笑うなら「石油」だって同じだったんだよ

2019-07-04 14:20:45 | エッセイ


 彼等は相手の国を全く知ろうとしない。自分達の妄想によって造り上げた「敵」に向かって自分勝手な行動をとるだけである。韓国人には「日本は我が国を侵略しようと企んでいる」と本気で思い込んでいる人々がいる。オウム真理教ならぬ反日真理教である。そんな日本人など精神病院にでも行かなければ見つからないだろう。そして韓国ではそんな意見を断固として否定することが許されないらしい。正しい意見が言えないのだ。韓国は目をつぶって全力疾走しているのである。平地なら走り続けられるし、溝があって転んでも起き上がって走れるかもしれない。しかし前に崖があればそれで終わりである。まあ、好きにすればいい。目をつぶって走っていることは皆知っているから誰も近寄らないでしょ、ああそれも見えないのか。
 しかし、戦前の日本も同じだったと知るのは本当に悲しいことである。東条英機はアメリカ人のことを何も知ろうとしなかった。彼はアメリカ人は軟弱だと思い込んでいた。アメリカ陸軍では兵士が中隊長になれなれしく話かけたり、大砲の砲身に腰を掛けたりしていると聞いたからである。どちらも帝国陸軍では絶対に許されないことである。もちろんアメリカの中隊長にも威厳を保ちたがる者もいたろうが、映画「プライベート・ライアン」を見れば確かに兵士が中隊長に気軽に話かけている。でもそれで軍規が緩んでいると思うのは大間違いである。気軽に話しかけた兵士に命がけの行為を命令し、兵士もそれに従うのである。目上の者にファーストネームで呼び掛けるようなただの習慣なのであって、戦闘能力とは何の関係もないのである。大砲に腰を掛けるのだって、アメリカ人には大砲はただの道具であり傷つけることは絶対に許されなくても、腰を掛けたって何の問題もないのである。こんな事はアメリカ人やアメリカ社会を本気で調べれば分かったはずである。小室直樹さんも書いていたが、戦前の日本の指導者達は社会学者一人を派遣すれば分かることを知ろうとしなかった。「アメリカ人は軟弱」という楽しい妄想に浸っていたのだろう。だから勝ち目がなさそうでも、戦死者が多く出れば戦争が嫌になって講和に持ち込めるとでも思い込んで真珠湾攻撃という愚行をしたのだろう。

 敵を全く知ろうとせず、そんな己の愚かさも知ろうとしなければ

 敗けるのは必然である。