濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

ゴロツキだ、社民党にも「突撃隊」?

2018-03-29 14:15:48 | 川柳



 ゴロツキの「突撃隊」が日本にも

 社民党関西ゴロツキ突撃隊
 
 支持者だし「労働者」です社民党

 看板は「労働者党」ナチスもね

 ゴロツキが「看板倒れ」あの国も

 民主主義 人民共和 国だって!

 そんな国ほめちぎってた「リベラル」が

 リベラルは「自由な言論」忘れてる

 自由捨て付和雷同のムラ八分

 支持率が下がる安倍さん今年もか

 安倍終わり去年さんざん聞かされた

 大勢で居丈高でも馬鹿は馬鹿

 0と馬鹿搔き集めても0と馬鹿  

 抜いちゃった伝家の宝刀戻せない

 斬りかかり倒せなければ返り討ち

 陸軍に総評消えてマスコミか

 繰り返し責めれば勝てるそりゃ甘い

 スト権でストの総評潰された

 嘘っぱち臆病なれ合いマスコミよ

 偉そうな嘘つき共に用はない


     駄句泥酔

 映画「地獄に堕ちた勇者ども」ヴィスコンティ監督で、ゴロツキだらけの突撃隊幹部たちが秩序正しく「清潔な」親衛隊に皆殺しにされる場面が生々しく描かれていて、一見の価値はありますよ。そういえば三島由紀夫もこの映画を褒めていたなぁ。「退廃的で残酷」なのがお気に召したらしい。彼は「わが友ヒットラー」という突撃隊粛清を題材にした戯曲も書いていたから関心があったのだろう。ただ、この戯曲は史実を無視した完全なフィクションである。グレゴール・シュトラッサーはもう政治的に引退していてレームと同盟しようと企むことなど全くありえないし、ヒトラーも彼を殺すつもりはなかった。殺したのはゲーリングとヒムラーである。シュトラッサーは党内序列が彼等より上なので党に復帰して要職に付かれると頭が上がらなくなってしまうので、ヒトラーが南へ行っていない間に二人で勝手に消してしまったのだ。レーム粛清によりゲーリングとヒムラーの力が強くなりすぎると感じたヒトラーが、シュトラッサーを党に戻し内務大臣に任命してレームの代わりに二人への重しにするつもりだったという噂が党内に流れたという。二人は先手を打ってその可能性を潰した。段々を上がった牛の糞が自分達より上に古い糞が来るのを嫌い始末したのだろう。ベルリンに帰って来たヒトラーは二人から処刑者リストを渡されて指でたどっていたが、その指が止まった。するとゲーリングとヒムラーが両脇からしきりに囁きだしたのを目撃されている。人々はそれをグレゴール・シュトラッサー処刑に驚いたヒトラーに、二人が弁解しているのだろうと語り合った。なお、ゲシュタポの牢獄で撃たれて血まみれでもがいているシュトラッサーを「あの畜生はまだくたばらないのか!」と喚き散らしたのは「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリッヒであった。

 

 

 

 

 

 

 

   


    

 

 

 

 

 

 


 

 

 


    

 


川内博史立憲民主党衆院議員(鹿児島1区)は「出会い系バー」に行くより「奥さんのオシッコ」でも飲んでいなさいよ

2018-03-22 14:17:16 | エッセイ


 2018年3月16日に国会内で「教育現場不当介入問題野党合同ヒヤリング」が行われ、「出会い系バー」で若い女性を誘い出した前川喜平前事務次官が中学校に講師として招かれて中学生に公開授業を行った事について、文科省がその内容を報告するよう要請したのを野党6党が問題視して問い詰めた。その中で立憲民主党の川内博史衆院議員(鹿児島1区)が、そういった店(出会い系バー)には、「誰でも行きますよ。みんな行きますよ。あなた行ったことないの?」と文科省官僚に質問してネットでは大騒ぎになっている。売春目的で店に来る若い女性達を、買春目的の男達が選び出して店の外に連れ出して性行為するので有名な「出会い系バー」に「誰でもみんな行っている。」と言ってしまったのだから当然である。国会議員ともあろう者がなぜそんな不用意な発言をしたのかと考えれば、川内博史議員が日常的に「出会い系バー」に入り浸っているとしか思えない。どんなに特殊で異常な行為でも、何度も繰り返すうちに誰でもやっている当たり前のことに感じられてしまうのである。慣れとは
恐ろしいものである。
 もっとすごい例もある。「社会派くんが行く!」シリーズの中である巻において村崎百郎があるエロ小説家の発言について語り「彼によれば女性のオシッコを飲むのは、男なら誰でもやるあたりまえの行為なんだそうだ。」と言ったら唐沢俊一が「やらねえよ。」と返していた。言葉は正確ではないかもしれないが、内容に間違いはない。不慮の死を遂げた村崎百郎氏については誠に惜しい人を亡くしたと思う。川内博史議員にとって「出会い系バー」に行くのは「誰でもやるあたりまえの行為」であるように、エロ小説家にとって「女性のオシッコ」を飲むのは「誰でもやるあたりまえの行為」なのである。世の中には色々な人がいるのである。
 川内博史議員に言いたい。「出会い系バー」に行くのは止めた方がいいですよ。売春は非合法だし、たとえ女性を誘わなくてもそんな所に出入りしていると知られただけで人格を疑われてしまう。前川喜平前事務次官が辞めさせられたのも、理由の一つにそれがあったでしょ。「李下に冠を正さず」ですよ。同じいかがわしい趣味なら「女性のオシッコ」を飲むほうがいいと思いますよ。もちろん未成年の少女だと完全に非合法なド変態行為ですが、自分の奥さんなら完全に合法です。あなたがやっても誰も文句など言いませんよ。呆れて引くかもしれませんがね。でも自分の奥さんなら、誰にも知られるわけも無いしそれにタダです。高い金を払って「出会い系バー」へ行くよりもずっとお得ですよ。だいたい「出会い系バー」に行くって浮気ですよ。そんな事を公の場で言ってテレビにまで顔が出たのなら奥さんにお詫びしなきゃならないでしょ。「奥さんのオシッコ」を飲んで詫びなさいよ。
 私が鹿児島1区の有権者なら、川内博史立憲民主党衆院議員の顔を見たら
「オシッコ飲んでるか~、出会い系はやめろよ!」
と激励しますよ。


明石家さんまがコヨーテを好きなのは「笑い」を追いかけている自分を見るからだと思う

2018-03-08 14:16:44 | 芸能


 私は明石家さんまがアニメのワイリー・コヨーテが好きなのを「さんまのまんま」の所ジョージとの対談の時に知った。だいぶ昔の事なので記憶は曖昧であるが、その事だけははっきりと覚えている。その時に思いついた事があったのでそれを述べたい。
 ワイリー・コヨーテとは「ロード・ランナー&ワイリー・コヨーテ」というアメリカのアニメに出てくる主人公のコヨーテである。このアニメにはめったに飛ばずに猛スピードで荒野を走り続けるロード・ランナーという鳥と、それをひたすら追いかけ続けるコヨーテしか出てこない。コヨーテはありとあらゆる手段を使って捕まえようとするが、いつも逃げられてしまう。このアニメを見ていれば、コヨーテがロード・ランナーを捕らえるのは不可能だと嫌でも気付く。コヨーテだって内心ではそれを知っている気配さえある。それでも追いかけ続けるのである。そのコヨーテを明石家さんまが好きだと知って、私はなるほどと思った。好きになるのも無理はないと納得したのである。なぜなら明石家さんまの追い求めている「笑い」も絶対に捕まえられないものだからである。
 明石家さんまは落語家出身であるが、落語はやらずにテレビに出て他の出演者や客との会話で笑いを取っている。ビート・たけしやタモリもそうだし、桂文枝や笑福亭鶴光と笑福亭鶴瓶もかつてはそうだった。だが、たけしは映画に行きタモリは趣味で仕事が出来るようになった。元々タモリは芸人ではなく、ずば抜けた才能を持つ素人だからそれで本望なのだろう。芸人になるにはインテリすぎるのだ。一方、さんまと同じ落語家出身の文枝、鶴光、鶴瓶は今では落語もやっている。私の若い頃は、鶴光の古典落語を見る時が来るなどとは想像も付かなかった。駄洒落とエロ話を滝のように流し続ける芸人だったのだ。それが今では古典落語で笑いを取り、しかも駄洒落とエロ話もちゃんと取り込んでいるのは嬉しい。
 テレビ番組の話芸で活躍していた彼等がなぜ映画や落語に行ったのかと考えると、話芸だけで笑いを取り続けるのはとても辛くて疲れるからだろう。一瞬の話芸は二度と使えない。毎回毎回何が起こるか分からない状況に対応しなければならないし、すべったらそれで終わりである。しかも一瞬の話芸は後に残せない。映画や落語と違い、番組内の会話など録画して見ていくら面白くても後世に残せる作品とはいえない。自分の才能を後世に残したいと思えば映画や落語に行くのも無理はないだろう。
 しかし明石家さんまは一瞬の話芸をひたすら追い続けるのを止めない。おそらくそれが好きで好きでたまらないのであろう。物凄いパワーである。桂文枝が明石家さんまに「お前もそろそろこっちに来い」と電話したそうである。いい年なんだから、じっくり落語をやって故郷に戻れと言いたかったのだろう。明石家さんまは落語界の「迷える子羊」である。落語界は落語から離れてどんなに長い間放浪していた子羊でも、帰って来れば喜んで迎え入れるのである。その懐の深さがあるから落語が日本の笑いの頂点に立つのだと思う。でも明石家さんまはまだまだ戻らないだろうと思う。コヨーテのように「一瞬の笑い」を追いかけ続けて止まらないのである。
 私はこのブログを書くのをためらった。実在の有名人が何を思っているかなどを赤の他人が勝手に述べても
 「それ、違いまっせ」
と言われたら恥をかいて終わりだからである。しかし私には、自分の思いを世の中に知らせたいという強い欲望があって止められないのです。だから書きました。

 

岩井志麻子さんに言いたい事があります

 岩井志麻子さんは作家なのですから、人に何を書かれても「いじめられた」などと愚痴るのは見っともないですよ。「攻撃された」「風刺された」なら分かりますが。私は「ペンを持つのは剣を持つのと同じだ」と教わりましたよ。作家なら人に斬られたら斬り返せばいいじゃないですか。文章を表に出したり公の場で発言をするのなら、闘技場の剣闘士の覚悟で出てきて下さいよ。人を斬って名を上げるか、斬られて笑い者にされて倒されるかの真剣勝負なんですよ。子供の「いじめ」と一緒にしないで下さい。斬られるのが嫌な人は、剣を捨てて観客席に行って安全な場所から眺めながらヤジでも飛ばしていて下さいよ。それに面白がってちょいと突っついただけなのに「斬られた!」なんて驚きますよ。面白がってやったけどあれが「いじめ」かなぁ。痛かったのならお詫びしますけどね。

 竹中労著「自由への証言」での病床にいた今東光との対談を読むことをお薦めします。文章を書くというのがどういう事なのか勉強になりますよ。
 


マレー沖海戦後の「大ボケ」を信じたフェイクニュース

2018-03-01 14:28:32 | 歴史談話

 1941年12月10日にマレー沖で、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが日本海軍航空機によって撃沈された。レパルスがすでに沈みプリンス・オブ・ウェールズが一時間後に沈没しかかっている上空に、シンガポールから飛来したオーストラリア人パイロットの乗るバッファロー戦闘機10機が到着したのである。その飛行中隊の隊長であったティム・ヴィガーズ空軍大尉は感動的な光景を目撃した。海上を漂流している多数の英国海軍将兵達が、味方である自分達に手を振りながら歓声を上げているのである。これほどの不幸な状況にありながら陽気に手を振り自分達を迎えるその姿に

「英国海軍の負けじ魂を見た!」
とヴィガーズ大尉は語っている。これは前々回のブログで述べた「シンガポール」という本に載っていたし、サンケイ出版の「シンガポール」アーサー・スウィンソン著にも述べられている逸話である。
 ところが、これが大笑いのとんでもない勘違いなのであった。海軍将兵達は味方の戦闘機を見て喜んだのではなく、遅れてやって来たのに激怒したのである。手を振ったのではなく拳を振り上げていたのだ。そして歓声を上げるどころか、ありとあらゆる罵声や罵詈雑言を戦闘機パイロット達に叩きつけていたのである。それを聞いた人々の話によると、その悪口雑言は凄まじいものであったという。英国の船乗りの歴史は古いから、その悪口も長年の積み重ねで数多くレベル(酷いという意味で)も高い。とんでもない勘違いであったのである。それだけ多数の人々から罵られながら、自分達を歓迎しているのだと思い込んだヴィガーズ大尉は、本人の意思とは関係なく「大ボケ」をかましているとしか言いようがない。これほど滑稽な場面は第二次世界大戦中にも他にはそうないだろう。

 私はこの事実を「戦艦 マレー沖海戦」Ḿ・ミドルブルック P・マーニー 内藤一郎訳 早川書房を読んで始めて知った。あらゆる資料を調べずに何かを信じ込むのは危険だとつくづく感じさせられた。