人は誰でも最初は真似から学ぶ。そしてそれを続けているうちに自分のレベルを上げて人に誇れる成果を出せるようになる。日本のプロ野球だってメジャーリーグに次々名選手を送り込み、今では大谷翔平が大活躍している。たとえ無理だと思えることでも諦めずに続けるのが大事だと思うよ。ただし本当に「好き」なことならね。目立ちたい、モテたい、金が欲しいだけじゃあっというまに消えるよ。
人は誰でも最初は真似から学ぶ。そしてそれを続けているうちに自分のレベルを上げて人に誇れる成果を出せるようになる。日本のプロ野球だってメジャーリーグに次々名選手を送り込み、今では大谷翔平が大活躍している。たとえ無理だと思えることでも諦めずに続けるのが大事だと思うよ。ただし本当に「好き」なことならね。目立ちたい、モテたい、金が欲しいだけじゃあっというまに消えるよ。
戦争が始まると、なかなか不景気から抜け出せなかったアメリカ経済は好況になった。沈滞していた消費が戦争により増大し、眠っていた生産力をフル回転できたのだ。だからアメリカ国民は戦争中にも飢えを全く知らなかったらしい。それだから捕虜の暮らしが想像出来ずに、狭い所に集団で閉じ込められて退屈しているはずだとスポーツ用品を送ったのだろう。ある米兵が捕虜収容所でキャベツのシチューを食べていたらその中に煮込まれた芋虫があったという。米兵はその芋虫をスプーンで掬い取り「こいつがもう少し大きけりゃなあ!」と言うとそのまま食べたそうである。芋虫でも貴重なタンパク質という貧しい食事は本国のアメリカ人には想像もつかなかっただろう。当時のアメリカ人にとって「虫を食べる」などとはゾッとするおぞましい行為だった。この逸話が後世に残ったのも、ありえない事が起こるくらい飢えていたと知らしめるためだろう。
正常な人でも想像力が働かず馬鹿なことをする。最も大事な時さえそうである。映画「遠すぎた橋」でドイツ軍に包囲され絶望的な状況にある英軍空挺部隊に味方から救援物資が空中投下された。一人の兵士が危険を顧みずに物資の入った容器を担いで走るのだが、敵に撃たれて戦死してしまう。投げ出された容器から中の物が出て来ると、それはなんと「赤いベレー帽」だった。銃器でも弾薬でも食料でもなくベレー帽である。おそらく戦闘が終わったら重いヘルメットを被らなくていいように、空挺部隊の装備品の中に含まれていたのだろう。でも戦闘の真っ最中にそんな物を投下するか?そんなことさえ考えられない連中がこの世界にはウヨウヨしている。私だってそうである。自分のして来た馬鹿なことなどありすぎて考えたくもない。自分の馬鹿は背中についていて見えないから、人の馬鹿を見たら教えてやるのが親切というものである。
当時の中核派は本多延嘉がトップだが、戦闘部隊は清水丈夫が指揮していたといわれる。本多は立花隆との対談でこの虐殺について聞かれて、いかにも苦しそうに言い訳をしている。上の文章は明らかに本多のものではない。清水に押し切られて開き直りを認めたのだろう。もちろん本多の責任も逃れられる訳もなく、後に革マル派に鉈か斧でスイカのように頭をかち割られたのも自業自得としかいえないだろう。