濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

「真理省のムジナ」気分さんよ、このブログを消してみろよ!

2018-05-31 14:19:16 | エッセイ


 前回のブログを書いた後で、文章を確認しようとネットを調べて驚いた。なんと私のブログが読めなくなっていた。題名を入れたら一瞬現れるのだが、すぐに消えて大きな宣伝写真が現れる。画面の上を見ると左の丸い矢印がぐるぐる回っている。それが延々と続いて文章が現れないのである。私自身のブログのページでさえそうだった。これは明らかに意図的なものである。ネットに入り込んでいる誰かが私の文章を人々に読ませないように企んだのだ。それはやがて終わり読めるようになったのだが、本当に驚いた。
 現在の日本で、自分勝手に情報を統制しようとする真理省気分のムジナがいるとは知らなかった。大変に興味深い事実である。面白いじゃあないの。私は喧嘩が大好きでね、古い木造アパートを買った家主が立ち退きを要求した時に、たった一人で断固拒否して簡易裁判所で敗けて控訴して地方裁判所で敗けて上告して東京高等裁判所が和解を勧めたので、しぶしぶ受けた男だよ。ぼろぼろのアパートをそのまま経営しろなんて無理筋なのは分かっていたからね。ただ家主と不動産屋の態度があまりに酷かったので売られた喧嘩をとことん買ったのさ。相手が「新家主」という判例上不利な立場なのを調べていたしね。家主は弁護士を雇ったから大金を使っただろうし、不動産屋は今では潰れて消えちゃったよ。私は飲んだくれの怠け者だけど、攻撃されると闘争心が沸き上がって別人のように戦い続けるのだとは自分でも知らなかった。頭も冴えるしね。控訴も上告も自分でやったんだよ。もちろん弁護士さんに相談して、教えてもらいながらだけどね。今あんなことをやれと言われても無理だろうなあ。カッとなったからやれたんだ。真珠湾攻撃に怒ったアメリカ人と一緒だよ。だからネットを自分の都合よく変えようとしている真理省気分のムジナさんよ、このブログも消してくれよ。それもヘタレずに消し続けろよ。そうなれば私に昔のパワーが蘇るかと思うとゾクゾクして待ち遠しいよ。


日本はアメリカ「国民」を怒らせて団結させてしまったが、ベトナムは分裂させるのに成功した

2018-05-24 14:17:48 | 歴史談話

 真珠湾攻撃は政治的大失敗であった。これによってアメリカ国民は日本に騙し討ちにされたと激怒して、一致団結して戦争に突入したからである。これは明白な事実であるのに、これを認めずにルーズベルトが悪いなどとピーピー泣き言を並べるのは見っともないからもうやめろ。ルーズベルトはアメリカの大統領であり、アメリカの国益と自分の利益を優先させるのは当然である。なんで日本の事など考えるんだ?利用しようとしか思いっこない。日本はルーズべルトに利用されて戦争に引きずり込まれた。利用される奴が馬鹿なんだよ。戦前の大日本帝国は馬鹿ばっかりが指導者になって滅びた。日本人はこの悲しくて辛い現実を嚙みしめて、二度と馬鹿に権力を持たせないようにせねばならないのに、ルーピーやゴミカンを総理大臣にしてしまった。日本社会は平和が続くと組織が腐りやすいようである。今日の日大を見ても分かる。見るも無残な権力者はかつての自民党都議連親父とそっくりである。狭いムラの中でとぐろを巻いているうちに、世間の常識とかけ離れた薄汚いムジナ親父が出来上がってしまった。ムジナが尻尾を掴まれて穴から引きずり出されたら、その姿は目もあてられない。哀れなものである。問題はそんなムジナを生み出した「穴」にある。ムラと言ってもいい。戦前の日本も陸軍ムラ、海軍ムラ、外務省ムラが国益を無視して自分勝手に動いて、国を破滅に導いたのである。日本人はそれを忘れてはならない。真珠湾攻撃をアメリカ人が怒ったのは、日米が外交的に対立していた事を何も知らなかったからである。ルーズベルトは国民に知らせようとしなかった。そのほうが得だったからである。それなら日本政府、外務省がアメリカ「国民」に知らせるべきであった。日本の国益になるからである。ところが何にもしなかった。やろうとする意識すらなかった。蒋介石は宋美齢を使って中国の立場をさんざん宣伝していたのに。日本の外務官僚には国益を守ろうという意識は全く無く、外務省内の出世しか考えていなかったからだろう。外務省ムラの親分達がアメリカ国民への宣伝に価値を認めなければ、それを主張しても出世に有利にならない。外務省ムラは特権に胡坐をかき、自分達の世界に閉じこもったムジナ親父達に支配されていた。陸軍ムラ、海軍ムラも同じである。それらを指揮するリーダーはいなかった。平和で安定すると日本人のムラはリーダーを忌み嫌うのである。裏でこそこそ動くムジナのような権力者ばっかりになるのである。公然たるリーダーは責任感を持ち堂々と振舞う。ムジナにとっては劣等感を感じさせる不愉快極まりない存在である。
 吉田茂が総理大臣の時にどれほど非難され、悪口雑言を浴びたか想像もつかぬほどである。私はもちろんまだ生まれていなかったが、山本夏彦さんが怒りを込めて書いていた。マスコミや野党から総攻撃を受けたのだ。与党内からもである。それに比べれば安倍総理への批判はまだまだ軽い。批判するマスコミの力が完全に衰えたからである。マスコミもかつては巨大なタイタニック号のような威風堂々たる存在だった。しかし今ではネットという氷山に大穴をあけられて浸水して傾いている。沈むのも時間の問題だろう。


西郷隆盛をビスマルクに会わせたかったなぁ

2018-05-17 14:19:02 | 歴史談話


 明治4年(1871年)に岩倉使節団がアメリカから欧州へ歴訪の旅に出た。私はこの一行に、西郷隆盛を何が何でも加えるべきだったと思う。本人が嫌がっても首に縄を付けてでも引っ張っていくべきだった。そうすれば西南戦争などという日本人同士が殺し合う愚劣な戦いは起こらなかっただろう。西郷隆盛は確かに有能な人物であったが、視野が狭かった。日本国内の謀略や戦争で抜群の働きをして明治政府を創った功績は素晴らしかったが、平和になり国内を治める仕事には向かなかったようである。斬った張ったは得意でも、身内同士の時間をかけたネチネチした権力闘争は嫌だったのだろう。だから故郷に帰ってしまった。龍が井の中の蛙に成り果てた。馬鹿な蛙たちの王様になって馬鹿な戦争を初めてしまった。 西郷隆盛を欧米に連れて行けば、彼の目は開いたはずである。大海には数多くの龍や化け物たちがひしめき合ってしのぎを削っていたのだ。いざとなったら「龍虎の戦い」である。当時の日本がそれに巻き込まれたら悲惨な目に合うのは明らかであった。侍の既得権益がどうのこうのと国内で争っている場合ではないことは理解出来たはずだ。
 私は特に西郷がビスマルクに会っていればと惜しくてならない。ビスマルクは謀略と戦争の達人だった。私の高校時代に世界史の先生が「ドイツ帝国を創ったのはビスマルクで、信長、秀吉、家康を合わせたぐらい凄い人物だ。」と述べていたのを今でも覚えている。そのビスマルクが岩倉使節団に会って、国際政治の厳しさを親切に教えてくれたのである。大国がもっともらしく掲げる国際法などは全く当てにならず、武力が無かったら踏みにじられるだけだよ、と本音を言ってくれたのである。ドイツ帝国に利害関係のない東方の小国に同情したのだろう。西郷がその言葉を聞いていれば、心から納得したはずである。西郷は欧米の植民地支配を批判していたのだから。でもいくら列強が横暴でも彼等が世界を支配している以上、彼等と付き合わなけらば日本は生きていけない。欧米を旅行してビスマルクに会えたら、西郷隆盛の目は開かれたと思う。中央政府が気に食わないと駄々をこねている蛙共を教えて諭しただろう。
 ビスマルクが日本人に親切だったのは例外であり、彼は傲慢不遜で意地悪な親父だった。君主にも無礼な態度を取ったらしいのが、ヴィルヘルム一世の言葉から覗われる。島津久光に無礼千万な言葉を投げつけた西郷隆盛とは気が合ったかもしれない。