濁泥水の岡目八目

中国史、世界史、政治風刺その他イラストと音楽

マツコ・デラックスは、なぜテレビで引っ張りだこなのか?

2015-07-30 10:05:34 | エッセイ

 最近、テレビでマツコ・デラックスの姿を見ない日はない。各民放はおろかNHKでさえ「彼女」を出している。CMも多い。なぜ彼女はそれほどテレビに出るのか。
本人の言葉によれば、自分のファンなどいないと思っているらしい。私はそれをテレビ局の都合によるものだと思っている。テレビ局はマツコのファンはいなくても、マツコが出ると視聴者が喜ぶ事を知ったのだ。そして、それが自分達が欲しがっていたのに適当な人材がいない為に空いていた「枠」だという事に気付いたのである。

 それは「恐いおばさん枠」である。「恐いおばさん枠」とは何か?

文字通り「恐いおばさん」がテレビ番組に出て世間の出来事を斬りまくったり、回りの人々を叱り付けたりするバラエティーの一部である。テレビ局はマツコ・デラックスがその「恐いおばさん枠」にぴったりはまるのに気付いて、大喜びで彼女を使い出したのである。彼女といっても本当は「おばさん」ではなく「おじさん」なのであるが、そんな事はどうでもよいのである。今までにテレビに出た「恐いおばさん」の例を挙げる。もちろん怖いから本名は出せない。

   フェミの国からやって来て、ひたすら噛み付きわめく。「フェミガッパ

   ドーベルマンにはとても見えない。         「ブタドッグ

   砂のかわりに呪いをかける。            「呪いかけ婆あ

   家柄のとても良い。              「越後の博労くずれの孫娘

   操縦を間違えると暴れて危険な。          「御夫人3号

   などである。

テレビ局が、どれほど「恐いおばさん」を使ってきたかがわかるであろう。テレビ局が「恐いおばさん枠」を埋めたがっていたのに、なぜ今まで空いていたのか。それは恐いおばさん達を見ればわかる。今ではほとんどテレビに出ていない。御夫人3号がたまに顔を出すぐらいである。

 彼女達は凶暴すぎるしトラブルメーカーでもあって、非常に扱いにくい。公私共に敵も多すぎる。その強烈な個性が恐いもの見たさの視聴者に面白がられるのと同時に、あちこちから糾弾されてテレビで使いにくくなってしまうのである。

 そうして空いていた「恐いおばさん枠」に、マツコ・デラックスが現れてぴったりはまり込んだのである。マツコ・デラックスは、異様に見える外見に似合わず案外常識人である。差別されて辛い目に会って来たらしいから、世の中の不条理もよく分かっている。私生活は「引き篭りのおじさん」だそうである。肉食系というよりも猛獣系で、敵に噛みつき暴れまくって生きてきた本物の恐いおばさん達とは明らかに違うのである。だからこそ、テレビ局も安心して使えるのであろう。弁当の質と量に気を使い、ガテン系のスタッフへのセクハラさえ大目に見てやればいいのだから。

 テレビ局にとって使いやすいマツコ・デラックスの出番は当分続くと思う。


Hepburnの枝分かれ

2015-07-23 10:00:37 | 川柳

ヘボンさん! あたしは違う ヘプバーン

ドリトルは 子供向けだと ドゥーリトル

モウタクトウ 俺の事かと マオツートン

日本語は 呼び名が変わり 面白い

ウチだけは 変えるのイヤと 駄々をこね

                  駄句泥酔


安部さん、なぜ森さんに会うの?

2015-07-17 11:10:50 | 川柳
駄句泥酔の雅号で、川柳をつくってみました。

            ザハのザル 森のタヌキが 垂れ流す

            モリが出て 払いがザルじゃ 皆怒る

            無駄使い 他山のギリシャ 見ない馬鹿

            呆けちゃった 恩人切るの 辛いよね

                            駄句泥酔

ヒトラーはなぜ馬を嫌ったのか? 

2015-07-10 11:48:16 | エッセイ

 ヒトラーが馬を嫌っていた事は、多くの本に書いてある。しかし、なぜ彼が馬を嫌ったのかはどれにも載っていない。少なくとも私は読んだことがない。多くの人が、ヒトラーが馬を嫌っていたと語っているのは、彼がそれを態度にだしたからである。

 たとえば、映画「ヒトラー最後の12日間」で銃殺されている親衛隊少将フェーゲラインは、元々騎手だったのでよく乗馬していたが、ヒトラーはそれについて何も言わなかった。だが、ある日フェーゲラインが乗馬の後で拍車を付けたまま、カチャカチャ音を立ててヒトラーのいる部屋に入ってきた。するとヒトラーは、フェーゲラインにすごく毒のある言葉を吐きつけたので、フェーゲラインはあわてて部屋を出て、二度と拍車を付けてヒトラーに近寄らなかったと言われている。では、なぜヒトラーは馬や乗馬を嫌ったのであろうか?私は、ヒトラーの軍隊時代の経験によるものだと思っている。

 ヒトラーは、第一次世界大戦の四年間にドイツ兵士として西部戦線にいたが、彼の任務は連隊本部付伝令だった。連隊は、百数十人の中隊、五~六百人の大隊の上にある三千人以上の組織で、連隊長は大佐であり、中佐や少佐、大尉がぞろぞろいるのが連隊本部である。ヒトラーの仕事は、後方にあって比較的安全な連隊本部と前線近くの大隊本部などを往復して相互の連絡を付ける事であった。これには馬はあまり関係がない。機関銃と小銃の威力の増大により、乗馬して前線に近づく事が自殺行為になってしまったからである。 しかし、軍隊は常に戦場に留まっているわけではない。小説「西部戦線異状なし」を読めばよくわかるが、主人公の部隊は前線と後方を行ったり来たりしている。あまりに長期間戦場にいると、将兵が肉体的にも精神的にも消耗してしまうからである。又、死傷者が多く出れば後方に戻さざるをえない。

 ヒトラーの連隊も、1914年10月末から戦闘に参加して3,500人の人数が600人になったと言われている。600人になった連隊は戦場にはいられない。後方に移して、新たに2千数百人の将兵を加えて元の数に戻さなければならない。
 数がそろっても、すぐには戦えない。連隊、大隊、中隊そしてそれ以上の小隊や分隊にいたるまで一つのチームとして動ける様になるには訓練が欠かせない。ヒトラーの連隊も後方の演習場で長期の訓練をしたはずである。その時に、連隊本部の高級将校や大隊長と中隊長は馬に乗っていたはずである。当時の軍隊では将校が乗馬するのは当然だった。塹壕戦という思いもよらない戦争の変化で、馬から降りざるをえなくなった将校達も、安全な後方では乗馬していたはずである。

 そして、その場合の連隊付伝令の仕事は、乗馬している高級将校達の側に張り付いて、彼等が大隊長や外の将校に命令や伝言を伝える時に呼び出され、遠くにいるそれらの将校達の所へ駆け出して連絡をとることである。乗馬した将校に呼び付けられ、上から命令されて広大な演習場に点在している将校達の間を走り回って、見上げながら報告する。文字通り「使いっパシリ」である。ヒトラーの様にプライドの高い男にとって、それは屈辱だったはずである。相手の将校を個人的には嫌いではなかったにせよ、その仕事そのものにうんざりしたはずである。
 ヒトラーの前線での伝令任務は、勲章をもらった晴れがましいものだったが、後方でのそれは、みじめで屈辱的だったと思われる。総統になったヒトラーが馬を嫌ったのは、その嫌な過去を思い出したからであろう。拍車を付けた人間を怒ったのも同じ理由であったと考えられる。これが、ヒトラーが馬を嫌ったことに関する私の回答である。

 なお、もしヒトラーの連隊にEdがいたら、ヒトラーの馬嫌いがますます深まったのではないかと想像してマンガを描いてみた。
 AdoはAdolfの愛称で、古参のナチス党員はヒトラーをそう呼んでいたそうである。総統になってからは、こっそりとであろうが。
 EdはアメリカのTVドラマ「ミスター’Ed」で有名になった、人間の言葉を話す馬の名前である。エディ・マーフィの「ドクター・ドリトル」にちらっと出ている。