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卯月の手鏡

小さな手鏡でも、広い世界が映る。

Sala 初詣に行く

2008年01月09日 | 七カ国語で話す日常がある
年が明けてすぐにSalaを含む家族で、近所の神社に初詣に行った。
気温はそんなに低くなかったけど、冷たい強い風邪が吹いていた。
Salaは寒がりなんだよね~。
いっぱい着込んで、頭にはトレーナーのフードをかぶって、その上からニットの帽子をかぶって、完全防備で出かけた。


近所の神社。
まだ人出は少ないけど、この後続々と地元の人がやってきた。




参拝をした後に名前を記帳したんだけど、Salaは「沙羅」と漢字で書いて、私は教えてもらったばかりのペルシャ文字で書いた。
自分で書いても落書きにしか見えなかった・・・。
神主さんとかはわからなくても、神様ならわかってくれるかな?


毎年、厄年の人達がおでんやお酒を振る舞ってくれる。
これまで、会の名前は自分たちの干支にちなんで、子丑会とか丑寅会と命名するのが常だったけど、今年は「滝のぼり会」。
辰年の人ばかりだったのかな。法被の登り龍がかっこいいね~。








火の番は来年厄年の人が担当する事になっている。
風が強かったのでたき火は控えめ、井桁に組んだ松の木にしきりと水をかけていた。
寒がりSalaはたき火の側を離れなかった。
おでんも気に入ったようだし、甘酒もお代わりをしていた。
年末年始にホームステイした人は、おでんと甘酒を味わうんだけど、甘酒を美味しいと言ったのはSalaが初めて。






Sala ホレシテバデンジャン

2008年01月08日 | 七カ国語で話す日常がある
ホレシテバデンジャンってな~んだ?

競馬ウマの名前みたいなこの言葉、ペルシャ料理の名前だって。
そのホレシテバデンジャンをSalaが作ってくれた。

必要な材料を買いに行くのにSalaが作った買い物メモ。
うひゃ~~~、これがペルシャ文字~~~。
右から左に読み書きする言語はアラビア語だけかと思ってたけど、ペルシャ語もそうだったんだ~。
きっと知らないだけで他にもあるんだろうな。









ペルシャ料理の特徴は酸味で、まだ若い葡萄の実から抽出する特別な調味料が酸味の要だとか。
日本でいう醤油のポジションにあるらしいけど、その調味料と羊の肉が手に入らなかったので、レモン果汁と牛肉で代用した。



ホレシテはおかず、バデンジャンは茄子って意味だって。


先ず牛肉(シチュー用)を圧力鍋に水と一緒に入れて加熱。
輪切りにした茄子を両面こんがり焼いて、塩コショウしてお皿に取る。
ジャガイモをモスのフライドポテトみたいにして、お皿に取る。
タマネギ、生しいたけ、ピーマンを炒めてカットトマト、ブロッコリー、にんじん、すりつぶしたニンニクを入れる。
そこにレモンの絞り汁3個分を入れる。
しばらく煮詰めて水分が減ってきたら、フライドポテトを入れる。
Salaは、野菜などをフライパンの中央に集めて、周りの煮汁に浸すようにポテトを並べていた。
その後、圧力鍋で調理した牛肉を加え、水分がなくなったら茄子を入れて出来上がり。




Sala作ホレシテバデンジャン





要の酸味調味料をレモンで代用した分、本場の味とはかなり違ったらしいけど、これはこれですご~く美味しかったよ。

食材が揃わない中、試行錯誤して作ってくれたせいか所要時間3時間~~@@

「ずっと立ちっぱなしで疲れなかった?」
って聞いたら
「久しぶりにペルシャの料理を作って楽しかったです。」
と明るく答えてくれた。

「これはペルシャ風料理です。いつかイランに本当のペルシャ料理を食べにいらしてください。」
って、食事をしながら言ってくれた。


卯「うん、いつか行ってみたい。」
S「本当ですか?それはいつですか?」
卯「今年はオーストラリアに行って、来年はニューヨークに行くから2年後かな。」
            (あくまでも希望・・・)
S「わかりました。その時は是非私の家にホームステイして下さい。」

そんな会話をしたんだけど、私は言葉に魂を込めたかな?
社交辞令だけだったかな。
正直、今の私にはイランに行っている自分がイメージできない。

Salaは今年10月まで名大留学生として日本に滞在する。
その間、Salaとどんな付き合いをするかによって、2年後のことが変わってくるのかもしれない。
まあ、それはなるようになるとして、日本にいる間、困ったことがあったらいつでも相談してね。
国費で留学しているSalaには膨大なレポートが課せられているようで、休日もとても忙しいらしい。
でも、折角出会えたんだから時間を作って、また遊びに来てね。
松の名古屋ライブも一緒に行こうね。←これ約束したんだ~。


Sala が我が家にやってきた

2007年12月30日 | 七カ国語で話す日常がある



今日から4日間ホームステイをするSalaがやってきました~。

写真で見た時、南海キャンディーズのしずちゃんみたいな体格の子をイメージしてたんだけど、
全然違って、背は私よりちょっと高いけどスレンダーでかわいい女の子。

今年10月に名大の留学生として日本に来たんだけど、イランで3年間日本語を勉強していたそうで、日本語は完璧。
敬語も謙譲語、丁寧語を的確に使い分けてて、今時の日本人よりきれいな日本語が話せるの。
私が夕食の準備をしていると、「見ていても構いませんか?」と側に来たり、用があって側を離れる時は、「また後で参ります。」って~~。


今回も短い期間だけど、年末年始の日本独特なモロモロを一緒に楽しみたいと思います。

Maurizioと過ごした時間

2007年12月27日 | 七カ国語で話す日常がある
Maurizioとは19時からのコンサートの前、17時に会う約束をしていた。
KBSホールのHPに、地下鉄丸太町駅から徒歩8分とあったけど、迷うといけないので早めに向かった。
でも、さすがは道路が碁盤の目の京都、丸太町駅から一直線で迷いようもなく、約束の20分前に着いた。
17時になったら、教えられていたスタッフのケータイ番号に電話しようと、しばらく待つつもりでいた。
すると、5分もしないうちにケータイがなった。

お~~~~、Maurizioからだ!

気が付かなかったけど、2回の不在着信、留守電メッセージが入っていた。
すぐに9月に会った時と同じ優しい笑顔でMaurizioが降りてきた。

「ずっと待ってたの?」
「ううん、丁度来たところ。もしかして見てたの?」

なんて話しながら、Maurizioに促されるように歩き出した。

「ねえ、私達どこに行くの?」
「分からない・・。」

オイオイ、Mauさん。
そう言えばLorenzoも、英語訛りの日本語で「シラナ~イ。」ってよく答えてたっけ。
Lorenzo自身の事を聞いてるのに・・・。
何だかよく似た父子だね。

「ちょっと散歩をするか、お茶するか・・・。」
「今日は十分歩いたよ、私。」

って事で、近くにあった喫茶店で1時間半くらいお茶しながら色んな話をした。


ず~~っと、この優しい笑顔で私の拙い英語に付き合ってくれた。




Maurizioは演奏家作曲家として以外にも、ピアノの先生、スペイン語の先生、教会でのオルガン奏者、それからどう訳せばいいか分からないけどMedical spanishの先生をしているって。
休みはほとんど無いんだって~。
でも、今回みたいなツアーが休みみたいな物だって言ってた。
ツアーって、結構タイトなスケジュールで大変そうだけどね。

意外だったのがLorenzoの事!
彼は、家ではほとんど話さないんだって~。何か聞いても「うん。」とか「ううん。」とか「別に。」と答えるだけ。
思春期だからって言ってたけど、そんなLorenzoはちょっと想像できな~い。
でも、Maurizioが持ってたこの写真見て~。
日本から帰ってすぐに撮った写真らしいけど、すご~~くリラックスしてるのが分かる。





それにしても、8月なのに何で一人だけセーター着てるの?

となりのおチビちゃん達は、異母姉妹のstellaとrosa。可愛い~。
リラックスした表情のLorenzoも可愛い~~。

「Lorenzoに会いたいなぁ。」って言ったら、「ニューヨークに来る?」って。

もちろん行きたいよ~。

「ホームステイさせてくれる?」
「いいよ、ボクのアパートは広いから大丈夫。」

それともう一つ。
会話の中で、当然ながら???松の事が出てくるんだけど、

「いつか松ライブに一緒に行きたいと思ってるんだ~。」って言ったら
「Ok~。」って答えてくれた。

この二つは必ず実現する!!

言葉は言霊、魂を持つ。言葉にした時点でその思いは歩き出す。
六条御息所じゃないけど、千年も昔から人の思いの強さは言われている。
光源氏の愛人となった御息所が、正妻葵の君を生き霊となってとり殺すくだりがある。
ちょっとこれはネガティブな思い過ぎるけど・・・。
私がニューヨークに行く事と、一緒に松ライブに行く事、その思いを共有した。
思いが二人分となったら、そのエネルギーも二倍!
だから絶対実現する!!

松ライブは、多分東京。そこまでイメージできてるんだ~。


杏奈さんは、来年早々からロシア、韓国、ドイツなどをまわって6月に日本でコンサートをするとMCで言っていた。
きっとその時にまた会えるね、Maurizio!

今年最後の受け入れ

2007年12月20日 | 七カ国語で話す日常がある


名古屋大学の留学生が今月30日から来年1月2日まで、4日間ホームステイに来る。
今度はイランのSara Jalali(サラ ジャラリ)、21歳の綺麗なお姉さん。
ペルシャ語、英語、日本語が話せるんだって。

ヒッポのキャッチフレーズは「7ヶ国語で話す日常がある」。
ちょっと前までは「7ヶ国語で話そう」だったので、そっちの方が聞いた事ある人が多いかな。
「7ヶ国語」って謳ってはいるけど、実際には19ヶ国語。でも、その中にペルシャ語は入ってないんだよね。
どんな音の言葉かな~。楽しみ、楽しみ♪

Yew Kuan またね!

2007年12月16日 | 七カ国語で話す日常がある
みんなでお餅つきをした後、19時に名古屋国際センターに集合して、そこから夜行バスで東京に向かう。
17日の朝東京について二泊して、その間ディズニーランドへ行ったり都内観光をする事になっていた。私達とはここでお別れ。

12日、Yew Kuanと初めて会った時、ヒッポのスタッフに15日土曜日に彼の荷物を東京に送るように言われた。
渡された封筒の中には、送り状と送料が入っていた。

「荷物を送るからパッキングしてね。」
と、Yew Kuanに言うと、きょとんとして言った。
「東京に行くのは明後日だよ。どうしてこんなに早く送るの?」
「えっ?明後日じゃないよ。明日だよ。」
でも、Yew Kuanは17日に東京へ行って、翌日ディズニーランドで遊んで次の日に帰ると言い張る。
そう、その通りだよ。
Yew Kuanは夜行バスで行く事を知らなかった。

とにかく、夜名古屋に送ってバスに乗せた。
留学生が全員乗るのにしばらく時間がかかり、窓越しに彼の笑顔を見ている間は
お別れの実感がなかったけど、いよいよバスが動き出した時、胸がキュンとなった。

バイバイ、Yew Kuan。また会おうね。









Yew Kuan 餅つきをする

2007年12月16日 | 七カ国語で話す日常がある
ヒッポのみんなと餅つきをした。

Yew Kuanと、同じプログラムで来て他のメンバーの家にステイしているアディカとグレグ、名大留学生のユナ(韓国人)、名前を覚えられなかったけど中国人二人も参加してくれた。
餅米が蒸し上がるまで、みんなでゲームをしたりダンスをしたりして過ごした。
Yew Kuanはノリのいい子で、他の人の振りを見ながら踊ったりゲームを楽しんでいた。
中にはちょっと退いちゃう子もいるんだよね。

餅米が蒸し上がって、いよいよ餅つき大会~~。



力が横に逃げちゃってるよ~





マレーシアのお餅とはちょっと違うって言ってたけど、これはこれで美味しいみたいでたくさん食べてた。





お腹が一杯になったら、お喋りタイム。
中国語、マレー語、韓国語、広東語、ロシア語、英語など色~んな言葉が飛び交って面白かった。







みんな揃って、はいチーズ!


Yew Kuan  ナシゴレンを作る

2007年12月15日 | 七カ国語で話す日常がある
我が家に来たゲストが免れられない事はクッキング。

Yew Kuanはお母さんが料理をしているところさえ見た事がなくて、もちろん自分がした事も無い。

でもそんなの関係ない、でもそんなの関係ない!(←ちょっとポーズが違う・・・。)

おっかなびっくりナシゴレンを作ってもらう事になった。

必要な材料を一緒い買いながら、もしかしたら日本にない物がいるのかもって思ったけど、大丈夫~。
中に入れる野菜も、彼が求める物は全部普通に揃った。


先ずはインゲン、タマネギ、キャベツを切る。
うは~~~、見ていられない~~~。
小学生が初めて包丁を持った時みたいだ~~~。
実際初めてなんだからしょうがないよね。野菜の切り方から教えた。



野菜類、卵、鶏ミンチ、合い挽きミンチをそれぞれ別々に炒めてお皿に取る。
鶏ミンチと合い挽きミンチは一緒に炒めてもいいような気がするけど、別々に炒めて後で混ぜると言っていた。
私だったら卵以外は全部一度にやっちゃいそう・・・。
でも、べつべつに炒めるところに味の秘訣があるのかも。

 





炒めながら何度も何度も「食べられる物ができるかどうか心配だ~~。」って言ってたけど、いい具合に仕上がってるよ。




ご飯に炒めた具を混ぜ合わせて、塩と醤油で味付け。
この時点でもYew Kuanはうまくできるかどうか心配していた。






お皿に盛ってから冷蔵庫の中をのぞいているので、「何がいるの?」と聞くと、
「何か飾り付けをする物・・。」と言うので「トマトは?」と、こんな仕上がりになった。
家の冷蔵庫、基本的に空っぽに近いからね。トマトくらいしかないのよ。
トマトがあっただけマシ。
はい、出来上がり~。




これがすご~~~く美味しいの!

マレー語でnasi(ナシ)はご飯、goreng(ゴレン)は油の事で、ナシゴレンは油ご飯って事になる。
確かにお店で食べるナシゴレンは、ご飯粒の一つ一つが油でコーティングされている。
でも、Yew Kuanスタイルナシゴレンは、全然油ギッシュじゃなくてさっぱりして美味しい~。
初めて作ったとは思えない美味しさ。本人もご満悦な様子。

マレーシアに帰ったら家族に作って食べさせてあげて。お父さんもお母さんもびっくりするよ!

Yew Kuan、ごちそうさまでした。ありがとう。

Yew Kuan  小学校へ行く

2007年12月14日 | 七カ国語で話す日常がある
松バースデイライブの翌日であるこの日、Yew Kuanは午前中だけ近くの小学校へ行く事になっていた。 

朝、教室で出迎えてくれた担任の先生に、「ワタシハ Yew Kuan デス。」
と、挨拶をした。
先生は「はっ?」と聞き返してきた。
彼の名前って、日本人には馴染みのない音なのよね。
それを見てYew Kuanは固まったようだったので、「イェウクァンです。」と代わりに答えた。
先生は笑顔で「あ~、はい。」と言ってくれたけど、Yew Kuanは少し不安になったみたいだった。
「僕は何をすればいいの?」と、心細げに聞くYew Kuanに「先生が教えてくれるよ。」と答えて家に急いだ。(ごめんね~。)


山形からライブ遠征して家に泊まったchamaを、セントレアへ見送りに行く時間が迫っていた。
本当なら、もうちょっと時間に余裕があるはずだったのに、学校について会議室で待っていると火災報知器が鳴って、先生達がバタバタしてして20分くらい待たされてしまった。
結局、子どものいたずらだったみたい・・・。


家に帰って、chamaと岐阜から泊まりに来たmayunと3人でセントレアに行って、
chamaの飛行機を見送り、mayunとはそこでまったりお茶をしてから別れた。

12時過ぎに学校へ行ってみたら、ちょうど給食が終わってごちそうさまをする所だった。






高校生だけど小学生(5年生)に混じっていても違和感がない。
身長も私より少し高いくらい。(私、161センチ)





みんなに「さようなら」をするYew Kuan。
教室を出る時は「バイバ~イ!」と賑やかに送ってくれた。





 
「どうだった?」と聞くと「楽しかった。」と答えてくれた。
朝、別れる時は不安そうだったので、心配だったけど良かった~。
小学生くらいの方が、変に身構えたりせず興味や親しみを持って接してくれる。
英語を勉強した中高生くらいになると、「何て言おう・・・。」って頭の中で英語を考えちゃったりするんだよね。
そうして、結局何も話せなかったり・・・。

算数、国語、音楽、体育の授業を一緒に受けたらしい。
言葉は関係ない体育で、ドッヂボールをしたのが一番楽しかったみたい。

「子ども達は英語が話せないから、コミュニケーションが難しかった~~。」
って言ってたけど、きっとあの子達はお構いなしの日本語で、一杯話しかけたんだろうな。

でも、人と人ってそれが大事だと思う。
共通のコミュニケーションツールが無いからと言って話しかけないのは、無視してると同じ事。
無視される事って一番寂しい事だと思う。
コミュニケーションは自分と相手との共同作業、一生懸命伝えようとする気持ちと分かろうとする気持ちが大切。
その作業を通して、お互いの信頼関係が育っていくんだよね。

Yew Kuanにとってもいい経験になったかな。





Yew Kuan ヒッポマレーシアデイ参加

2007年12月13日 | 七カ国語で話す日常がある
永らくのご無沙汰でした・・・。
Yew Kuanは5日間の短い滞在を終えて、他のマレーシア高校生と共に東京へ行ってしまいました。
今日はTDLで遊んで明日、成田から帰国する事になっています。

Yew Kuanとどんな風に過ごしたのか、順にアップしていこうと思っています。



我が家に来た翌日は、午前中、名古屋安保ホールでヒッポの企画「マレーシアデイ」に行って来た。
駐車場がなかなか見つからなくて少し遅れて行くと、部屋の中は今回の受け入れ家族とゲストでいっぱ~~~い
でも、活気に溢れて楽しそう~。

みんなでゲームをしたり、幾つかのグループに分かれてお互いの文化を紹介しあったりしてすごした。





マレーのダンスを披露する留学生達。
右から二番目がYew Kuan。ちょっと照れくさそうに踊ってた。






質問タ~イム。
幾つかの質問に、yes no のプラカードで答えるもの。
「彼氏、彼女はいますか?」とか「日本の芸能人で好きな人がいますか?」とか
「日本に来てびっくりしたことがありますか?」などの質問があった。

彼氏、彼女がいますかの質問に対しては、殆どの子が no。ホントかな?
一人だけyesを出した女の子がいて、その子は来年結婚するんだって。
早い~~~@@
日本に来てびっくりした事は、殆どの子が yes。
後でYew Kuanにどんな事に驚いたのか聞いてみたら、トイレがすご~~く綺麗な事と、布団がデカイ事だと言ってた。
日本でも公衆トイレなど、綺麗じゃないところもあるんだけどね。
布団がデカイのは冬仕様だからね~。



その後グループに分かれて日本の伝承遊びを教えたり、マレーシアの歌や伝承遊びを教えてもらったりした。
そのグループタイムの後、それぞれグループが何をしたのか順に発表していった。
Yew Kuanのグループでは早口言葉を教えてもらったようで、Yew Kuanが代表して
「ナマムギナマゴメナマタマゴ。」をゆっくりゆっくり発表した。
私のグループではマレーシアのリズム遊びを教えてもらった。
手拍子をしながらリズムに合わせて六ヶ国語で「ありがとう」を言っていくものなんだけど、なんだかヒッポっぽ~い。





終わった後もいつまでもそこに残って、みんなで写真を撮ったりしてワイワイと過ごした。







実はこの日、12月13日はマツの誕生日で「ハッピーバースデイ☆俺」ライブが名古屋であったの~~~。
で、山形からセントレア着で遠征してくる友達がいて、迎えに行く事になっていた。
午後からは、アディカのホストにYew Kuanの事を頼んで、一旦セントレアに戻って松ライブに出かけた。
このライブ、すご~~~くいいライブだったんだよ~~~。
それについては、また改めて・・・。