
十幹森稲荷神社
鎮座地 東和泉2-16
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
解説
文化年間(1818~30)当地の住民が京都伏見稲荷のご分霊を小丘上に勧進した。
かつてこのあたりには当社の他、諏訪神社・熊野神社があり、三山の神として祀られていた。
明治時代、諏訪・熊野は伊豆美神社に合祀され、当社は大正年間に多摩川の堤防工事のため丘の土を使用する事となり、熊野神社の故地に遷された。
なお「十幹森」の読みは「とうかもり」であろうと思われる。
杉並区・品川区などに同じ読みで「東関森」と書く稲荷社もある。
意味は不明のため調査中!
鎮座地 東和泉2-16
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
解説
文化年間(1818~30)当地の住民が京都伏見稲荷のご分霊を小丘上に勧進した。
かつてこのあたりには当社の他、諏訪神社・熊野神社があり、三山の神として祀られていた。
明治時代、諏訪・熊野は伊豆美神社に合祀され、当社は大正年間に多摩川の堤防工事のため丘の土を使用する事となり、熊野神社の故地に遷された。
なお「十幹森」の読みは「とうかもり」であろうと思われる。
杉並区・品川区などに同じ読みで「東関森」と書く稲荷社もある。
意味は不明のため調査中!