廻沢稲荷神社
鎮座地 千歳台5-17
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 9月26日
解説
廻沢村の鎮守。
詳細不明。
「新編武蔵国風土記稿」廻沢村の項にも記載なし。
村内にあった神明社・伊勢宮が合祀されている。
鎮座地 千歳台5-17
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 9月26日
解説
廻沢村の鎮守。
詳細不明。
「新編武蔵国風土記稿」廻沢村の項にも記載なし。
村内にあった神明社・伊勢宮が合祀されている。
三峯神社
鎮座地 砧4-6
祭神 伊奘諾尊(いざなぎのみこと)
伊奘冉尊(いざなみのみこと)
例大祭 10月1日
解説
江戸時代に現埼玉県秩父の三峯神社のご分霊を遷したという。
安政7年(1860)三峯講中によって三峯山へ代参が行われた記録がある。
かつて当地は大蔵村に属し、村民は大蔵氷川神社の氏子であった。
その後の人口増により砧地区独自の鎮守を設置する要望が高まり、
昭和27年(1952)大蔵氷川神社から独立、
昭和37年(1962)社殿を新築し、秩父三峯神社のご分霊を遷した。
昭和46年(1971)正式な神社となった。
鎮座地 砧4-6
祭神 伊奘諾尊(いざなぎのみこと)
伊奘冉尊(いざなみのみこと)
例大祭 10月1日
解説
江戸時代に現埼玉県秩父の三峯神社のご分霊を遷したという。
安政7年(1860)三峯講中によって三峯山へ代参が行われた記録がある。
かつて当地は大蔵村に属し、村民は大蔵氷川神社の氏子であった。
その後の人口増により砧地区独自の鎮守を設置する要望が高まり、
昭和27年(1952)大蔵氷川神社から独立、
昭和37年(1962)社殿を新築し、秩父三峯神社のご分霊を遷した。
昭和46年(1971)正式な神社となった。
給田山稲荷神社
鎮座地 上祖師谷6-31
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)?
例大祭 2月初午?
解説
給田山の東端に当たる位置に鎮座。
詳細不明。
享和年間(1801~03)奉納の石燈篭がある。
鎮座地 上祖師谷6-31
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)?
例大祭 2月初午?
解説
給田山の東端に当たる位置に鎮座。
詳細不明。
享和年間(1801~03)奉納の石燈篭がある。
喜多見氷川神社
鎮座地 喜多見4-26
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 華蔵院
例大祭 10月第二日曜
解説
天平12年(740)創建という。
延文年間(1356~60)多摩川の洪水により社殿を喪失した。
永禄13年(1570)江戸刑部頼忠が江戸よりこの地に移り当社を再建し、
以後喜多見氏を称した。
天和2年(1682)喜多見若狭守勝忠が神領5石2斗を寄進、
慶安2年(1649)別当寺華蔵院が徳川家光より朱印地10石2斗を賜った。
承応3年(1654)喜多見重恒・重勝兄弟が奉納した石鳥居が残る。
宇奈根・大蔵の氷川神社と合わせて三所明神と言われる。
節分には鬼問答と大黒舞からなる神楽が奉納される。
鎮座地 喜多見4-26
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 華蔵院
例大祭 10月第二日曜
解説
天平12年(740)創建という。
延文年間(1356~60)多摩川の洪水により社殿を喪失した。
永禄13年(1570)江戸刑部頼忠が江戸よりこの地に移り当社を再建し、
以後喜多見氏を称した。
天和2年(1682)喜多見若狭守勝忠が神領5石2斗を寄進、
慶安2年(1649)別当寺華蔵院が徳川家光より朱印地10石2斗を賜った。
承応3年(1654)喜多見重恒・重勝兄弟が奉納した石鳥居が残る。
宇奈根・大蔵の氷川神社と合わせて三所明神と言われる。
節分には鬼問答と大黒舞からなる神楽が奉納される。
粕谷八幡神社
鎮座地 粕谷1-23
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 東覚院
例大祭 10月11日
解説
粕谷村の鎮守。
明治14年(1882)社殿を再建。
昭和29年(1953)改築するも、昭和34年(1959)放火により焼失した。
同年鉄筋コンクリートによって現在の社殿が再建された。
当社の南側は明治の文豪徳富蘆花ゆかりの広大な蘆花公園の敷地になっている。
蘆花は自宅を訪れた人を見送る時、
必ず当社前の杉の下まで送ったそうである。
この杉は戦後枯れてしまったが、写真右に見える切株がその跡である。
鎮座地 粕谷1-23
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 東覚院
例大祭 10月11日
解説
粕谷村の鎮守。
明治14年(1882)社殿を再建。
昭和29年(1953)改築するも、昭和34年(1959)放火により焼失した。
同年鉄筋コンクリートによって現在の社殿が再建された。
当社の南側は明治の文豪徳富蘆花ゆかりの広大な蘆花公園の敷地になっている。
蘆花は自宅を訪れた人を見送る時、
必ず当社前の杉の下まで送ったそうである。
この杉は戦後枯れてしまったが、写真右に見える切株がその跡である。
笠森稲荷神社
鎮座地 砧2-19
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)?
例大祭 2月初午。
解説
詳細不明。
かさもり(瘡守・笠森など)と称する稲荷社は、
下の病気や腫物治療に霊験があり、
現茨城県の笠間稲荷のご分霊を遷した場合が多い。
鎮座地 砧2-19
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)?
例大祭 2月初午。
解説
詳細不明。
かさもり(瘡守・笠森など)と称する稲荷社は、
下の病気や腫物治療に霊験があり、
現茨城県の笠間稲荷のご分霊を遷した場合が多い。
烏山神社
鎮座地 南烏山2-21
祭神 白山比大神(しらやまひめのおおかみ)
旧格式 村社 別当寺 医王寺
例大祭 9月24日
解説
烏山村の鎮守。
かつては白山御嶽神社といわれた。
本来当村の鎮守は御嶽神社であったと伝えられているが、
元禄年間(1688~1704)の検地帳に白山権現社の記載があり、
白山神社も古くから鎮座していたことが分かる。
嘉永3年(1850)御嶽神社が合祀され村の鎮守となった。
昭和37年(1962)町内の神明社・稲荷社・天神社が合祀され、
烏山神社と改められた。
鎮座地 南烏山2-21
祭神 白山比大神(しらやまひめのおおかみ)
旧格式 村社 別当寺 医王寺
例大祭 9月24日
解説
烏山村の鎮守。
かつては白山御嶽神社といわれた。
本来当村の鎮守は御嶽神社であったと伝えられているが、
元禄年間(1688~1704)の検地帳に白山権現社の記載があり、
白山神社も古くから鎮座していたことが分かる。
嘉永3年(1850)御嶽神社が合祀され村の鎮守となった。
昭和37年(1962)町内の神明社・稲荷社・天神社が合祀され、
烏山神社と改められた。
上祖師谷神明社
鎮座地 上祖師谷3-19
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 安穏寺
例大祭 10月1日
解説
上祖師谷村の鎮守。
江戸時代の除地は1段8畝10歩。かつては単に神明宮といわれた。
鎮座地 上祖師谷3-19
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 安穏寺
例大祭 10月1日
解説
上祖師谷村の鎮守。
江戸時代の除地は1段8畝10歩。かつては単に神明宮といわれた。
稲荷森稲荷神社
鎮座地 船橋1-29
祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 10月第一土日
解説
創建など詳細不明。
江戸時代以前には菅刈社といわれた。
稲荷森は「とうかもり」とも言われるが、
東関森と称する神社は杉並区の東関森稲荷神社などがあり、
現文京区湯島の妻恋稲荷に関連する社か?
例大祭では「安宅囃子」が奉納される。
また地元の親睦団体「横根睦」による神輿渡御・大太鼓巡行が行われる。
ホームページ
http://www.h4.dion.ne.jp/~inari/
鎮座地 船橋1-29
祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 10月第一土日
解説
創建など詳細不明。
江戸時代以前には菅刈社といわれた。
稲荷森は「とうかもり」とも言われるが、
東関森と称する神社は杉並区の東関森稲荷神社などがあり、
現文京区湯島の妻恋稲荷に関連する社か?
例大祭では「安宅囃子」が奉納される。
また地元の親睦団体「横根睦」による神輿渡御・大太鼓巡行が行われる。
ホームページ
http://www.h4.dion.ne.jp/~inari/
八幡山八幡社
鎮座地 八幡山1-12
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
旧格式 村社
別当寺 東覚院
例大祭 9月22日
解説
八幡山村の鎮守。
明治42年(1909)村内の稲荷社を合祀した。
新殿に奉斉されている奥宮には文化7年(1810)の銘がある。
鎮座地 八幡山1-12
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
旧格式 村社
別当寺 東覚院
例大祭 9月22日
解説
八幡山村の鎮守。
明治42年(1909)村内の稲荷社を合祀した。
新殿に奉斉されている奥宮には文化7年(1810)の銘がある。
船橋神明神社
鎮座地 船橋4-40
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 宝性寺
例大祭 9月最終日曜
解説
船橋村の鎮守。
江戸時代の除地は1町4段であった。
天保10年(1839)造の鳥居がある。
平成2年(1990)放火によって社殿を焼失、2年後に再建された。
鎮座地 船橋4-40
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 宝性寺
例大祭 9月最終日曜
解説
船橋村の鎮守。
江戸時代の除地は1町4段であった。
天保10年(1839)造の鳥居がある。
平成2年(1990)放火によって社殿を焼失、2年後に再建された。
大六天神社
鎮座地 大蔵6-13
祭神 面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)?
例大祭 3月3日
解説
天文6年(1537)小田原の北条氏綱との戦いに敗れた当地の石井良寛を祀ったという。
例大祭では水神の祭りも行われるが、
付近を流れる六郷用水で子供の水死が相次ぎ、
その供養のためである。
鎮座地 大蔵6-13
祭神 面足尊(おもだるのみこと)
惶根尊(かしこねのみこと)?
例大祭 3月3日
解説
天文6年(1537)小田原の北条氏綱との戦いに敗れた当地の石井良寛を祀ったという。
例大祭では水神の祭りも行われるが、
付近を流れる六郷用水で子供の水死が相次ぎ、
その供養のためである。
中野区の神社概略
中野区は江戸時代の中野・本郷・本郷新田・雑色・上高田・新井
・片山・江古田・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の各村からなる。
元禄8年(1695)徳川綱吉の世には、「生類憐みの令」により犬屋敷が設置され、
宝仙寺には、徳川吉宗に献上された象の骨が伝わる。
まさに、「江戸近郊」といった地域である。
戦国時代には江戸城主太田道灌と、石神井・練馬の領主、
豊島氏との合戦「江古田原・沼袋合戦」の戦場となり、
村社級の神社には、ほとんど道灌に関する伝承がある。
これにて中野区は終了。
次回(新年)より世田谷区の神社を紹介予定!
なお世田谷は西半分のみが旧多摩郡であったが、
東部も紹介予定!
中野区は江戸時代の中野・本郷・本郷新田・雑色・上高田・新井
・片山・江古田・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の各村からなる。
元禄8年(1695)徳川綱吉の世には、「生類憐みの令」により犬屋敷が設置され、
宝仙寺には、徳川吉宗に献上された象の骨が伝わる。
まさに、「江戸近郊」といった地域である。
戦国時代には江戸城主太田道灌と、石神井・練馬の領主、
豊島氏との合戦「江古田原・沼袋合戦」の戦場となり、
村社級の神社には、ほとんど道灌に関する伝承がある。
これにて中野区は終了。
次回(新年)より世田谷区の神社を紹介予定!
なお世田谷は西半分のみが旧多摩郡であったが、
東部も紹介予定!