久富稲荷神社
鎮座地 新町2-17
祭神 大宮女命(おおみやめのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
旧格式 村社?
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月第一日曜
解説
新町村の鎮守。
創建は400年以上前という。
昭和初期までは境内の巨木にふくろうが営巣していたため、
お守りや絵馬の意匠はふくろうとなっている。
ホームページ http://www1.speednet.ne.jp/~hisatomiinari/
鎮座地 新町2-17
祭神 大宮女命(おおみやめのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
旧格式 村社?
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月第一日曜
解説
新町村の鎮守。
創建は400年以上前という。
昭和初期までは境内の巨木にふくろうが営巣していたため、
お守りや絵馬の意匠はふくろうとなっている。
ホームページ http://www1.speednet.ne.jp/~hisatomiinari/
東玉川神社
鎮座地 東玉川1-32
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 諏訪神社は西光寺
例大祭 8月25日前後の日曜
解説
等々力村飛び地諏訪分地区の鎮守。
当地には信濃国諏訪大社のご分霊を遷した諏訪神社が鎮座しており
通称「おすわさん」といわれた。
この神社は明治41年(1908)玉川神社に合祀された。
その後、人口増加などにより諏訪神社の復帰が求められたが東京府の許可が出ず、
代わりに野毛村の日枝神社が遷され、昭和16年(1941)東玉川神社と改められた。
日枝神社は寛永年間(1624~44)野毛村を領していた彦根藩主井伊直孝が
近江国日吉神社のご分霊を遷したものである。
本殿は慶長10年(1605)築で昭和14年(1939)渋谷区の氷川神社より移築したもので、
向拝の天井には弘化元年(1844)に描かれた「火焔龍神」の水墨画がある。
鎮座地 東玉川1-32
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 諏訪神社は西光寺
例大祭 8月25日前後の日曜
解説
等々力村飛び地諏訪分地区の鎮守。
当地には信濃国諏訪大社のご分霊を遷した諏訪神社が鎮座しており
通称「おすわさん」といわれた。
この神社は明治41年(1908)玉川神社に合祀された。
その後、人口増加などにより諏訪神社の復帰が求められたが東京府の許可が出ず、
代わりに野毛村の日枝神社が遷され、昭和16年(1941)東玉川神社と改められた。
日枝神社は寛永年間(1624~44)野毛村を領していた彦根藩主井伊直孝が
近江国日吉神社のご分霊を遷したものである。
本殿は慶長10年(1605)築で昭和14年(1939)渋谷区の氷川神社より移築したもので、
向拝の天井には弘化元年(1844)に描かれた「火焔龍神」の水墨画がある。
八幡社
鎮座地 鶴巻4-33
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 なし
別当寺 村民持ち
例大祭 ?
解説
弦巻村の人々によって祀られた祠。
明治41年(1908)稲荷社(現弦巻神社)に合祀された跡宮と思われる。
鎮座地 鶴巻4-33
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 なし
別当寺 村民持ち
例大祭 ?
解説
弦巻村の人々によって祀られた祠。
明治41年(1908)稲荷社(現弦巻神社)に合祀された跡宮と思われる。
深沢神社
鎮座地 深沢5-11
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
大山都見尊(おおやまつみのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
八幡大神(はちまんおおかみ)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月体育の日頃
解説
深沢村の鎮守で三島神社といわれた。
永禄7年(1564)小田原北条氏の家臣で深沢村免々呂城主、
小谷岡重頼が伊豆国三島神社のご分霊を遷して城の守護神とした。
大正4年(1915)村内の天祖神社2社・稲荷神社2社・八幡神社・御嶽神社
・山際神社を合祀して祭神が現在のようになり、社名も深沢神社と改めた。
鎮座地 深沢5-11
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
大山都見尊(おおやまつみのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
八幡大神(はちまんおおかみ)
旧格式 村社
別当寺 不明(新編武蔵国風土記稿に記載なし)
例大祭 10月体育の日頃
解説
深沢村の鎮守で三島神社といわれた。
永禄7年(1564)小田原北条氏の家臣で深沢村免々呂城主、
小谷岡重頼が伊豆国三島神社のご分霊を遷して城の守護神とした。
大正4年(1915)村内の天祖神社2社・稲荷神社2社・八幡神社・御嶽神社
・山際神社を合祀して祭神が現在のようになり、社名も深沢神社と改めた。
千歳・砧地区の神社概略
この地区はかつての北多摩郡であり、
烏山・祖師谷などの旧千歳村、喜多見・大蔵・岡本などの旧砧村に相当する。
喜多見村は江戸時代前期喜多見氏の領地であった。
喜多見重政は五代将軍徳川綱吉の時代側用人として2万石に加増され大名となった。
多摩地区に本拠地を置く唯一の藩であったが、
元禄2年(1689)に改易となり消滅した。
なお喜多見氷川神社は喜多見氏ゆかりの神社で、一族の奉納物などが伝わる。
これにて千歳・砧地区は終了。
旧多摩郡の神社は全て紹介した事になるが、
ついでなので世田谷区の他の神社についても紹介する。
この地区はかつての北多摩郡であり、
烏山・祖師谷などの旧千歳村、喜多見・大蔵・岡本などの旧砧村に相当する。
喜多見村は江戸時代前期喜多見氏の領地であった。
喜多見重政は五代将軍徳川綱吉の時代側用人として2万石に加増され大名となった。
多摩地区に本拠地を置く唯一の藩であったが、
元禄2年(1689)に改易となり消滅した。
なお喜多見氷川神社は喜多見氏ゆかりの神社で、一族の奉納物などが伝わる。
これにて千歳・砧地区は終了。
旧多摩郡の神社は全て紹介した事になるが、
ついでなので世田谷区の他の神社についても紹介する。
吉沢諏訪神社
鎮座地 玉川3-26
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 吉祥院
例大祭 8月27日
解説
吉沢地区の人々によって祀られた祠。
世田谷城主吉良氏の家臣で川辺某が、
多摩川の洪水により漂着したご神体を祀ったという。
その際流れてきた西側に向けて社殿を建て諏訪明神とした。
昭和47年(1972)国道246号線拡張のため境内の一部を失い一部を買い足した。
鎮座地 玉川3-26
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 吉祥院
例大祭 8月27日
解説
吉沢地区の人々によって祀られた祠。
世田谷城主吉良氏の家臣で川辺某が、
多摩川の洪水により漂着したご神体を祀ったという。
その際流れてきた西側に向けて社殿を建て諏訪明神とした。
昭和47年(1972)国道246号線拡張のため境内の一部を失い一部を買い足した。
宇奈根氷川神社
鎮座地 宇奈根2-13
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 観音寺
例大祭 10月10日
解説
宇奈根村の鎮守。
喜多見・大蔵の氷川神社とあわせて三所明神と言われる。
昭和20年(1945)火災により社殿を焼失。
昭和37年(1962)と平成11年(1999)に改築。
鎮座地 宇奈根2-13
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 観音寺
例大祭 10月10日
解説
宇奈根村の鎮守。
喜多見・大蔵の氷川神社とあわせて三所明神と言われる。
昭和20年(1945)火災により社殿を焼失。
昭和37年(1962)と平成11年(1999)に改築。
天神社
鎮座地 鎌田4-10
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 吉祥院
例大祭 10月10日
解説
鎌田村の鎮守。
江戸時代の除地は1反2畝。
かつては別当寺吉祥院の境内であった。
能筆の霊験があり、かつては社殿の扉に筆をさげて祈る信仰があった。
鎮座地 鎌田4-10
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 村社
別当寺 吉祥院
例大祭 10月10日
解説
鎌田村の鎮守。
江戸時代の除地は1反2畝。
かつては別当寺吉祥院の境内であった。
能筆の霊験があり、かつては社殿の扉に筆をさげて祈る信仰があった。
須賀神社
鎮座地 喜多見4-3
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 無格社
例大祭 8月2日
解説
古墳と思われる土盛の上に鎮座する小祠。
かつては天王様といわれていた。
承応年間(1652~54)喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したという。
重勝は歌枕天神を相殿に祀ったため、天神社も合祀されている。
元治元年(1864)奉納の手洗鉢が残る。
また、例大祭では世田谷区の民俗文化財に指定されている「湯花神事」が行われる。
鎮座地 喜多見4-3
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
旧格式 無格社
例大祭 8月2日
解説
古墳と思われる土盛の上に鎮座する小祠。
かつては天王様といわれていた。
承応年間(1652~54)喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したという。
重勝は歌枕天神を相殿に祀ったため、天神社も合祀されている。
元治元年(1864)奉納の手洗鉢が残る。
また、例大祭では世田谷区の民俗文化財に指定されている「湯花神事」が行われる。
下祖師谷神明社
祖師谷5-1
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 安穏寺
例大祭 10月7日
解説
下祖師谷村の鎮守。
「新編武蔵国風土記稿」にある神明八幡合社の事か?
古くから小祠があり、
正平年間(1346~69)新田義興・義宗が足利尊氏を破った際、
甲冑を奉納したという。
祖師谷5-1
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 村社
別当寺 安穏寺
例大祭 10月7日
解説
下祖師谷村の鎮守。
「新編武蔵国風土記稿」にある神明八幡合社の事か?
古くから小祠があり、
正平年間(1346~69)新田義興・義宗が足利尊氏を破った際、
甲冑を奉納したという。
六所神社
鎮座地 給田1-3
祭神 大国魂神(おおくにたまのかみ)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 10月6日
解説
給田村の鎮守。
天文年間(1532~54)に武蔵国総社六所宮(現大国魂神社)のご分霊を遷した。
明治42年(1909)村内の神明社が合祀された。
社宝に当地の領主であった三浦義方奉納の神号額や、宍戸平重郎奉納の太刀がある。
鎮座地 給田1-3
祭神 大国魂神(おおくにたまのかみ)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 10月6日
解説
給田村の鎮守。
天文年間(1532~54)に武蔵国総社六所宮(現大国魂神社)のご分霊を遷した。
明治42年(1909)村内の神明社が合祀された。
社宝に当地の領主であった三浦義方奉納の神号額や、宍戸平重郎奉納の太刀がある。
大蔵氷川神社
鎮座地 大蔵6-6
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 永安寺
例大祭 10月2日
解説
大蔵村の鎮守。
暦仁元年(1238)江戸氏が武蔵一宮氷川神社のご分霊を遷したのが創建という。
天文年間(1532~55)には松井坊なる山伏が奉祀し修験道の道場になった。
永禄8年(1564)の棟札が伝わり
「武蔵国荏原郡石井土郷大蔵村氷川大明神第四ノ宮」と記されている。
明暦2年(1656)再建。
本殿は文政7年(1825)の築で、
現川崎市の上平間村の大工、渡辺喜右衛門源暁の作。
彫刻は渡辺徳次郎源棟績の作である。
数点伝わる棟札とともに、世田谷区の有形文化財に指定されている。
また社宝として幕末頃の当社周辺を画いた「板絵着色大蔵氷川神社奉納絵図」が伝わる。
喜多見・宇奈根の氷川神社とともに三所明神と言われる。
鎮座地 大蔵6-6
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 永安寺
例大祭 10月2日
解説
大蔵村の鎮守。
暦仁元年(1238)江戸氏が武蔵一宮氷川神社のご分霊を遷したのが創建という。
天文年間(1532~55)には松井坊なる山伏が奉祀し修験道の道場になった。
永禄8年(1564)の棟札が伝わり
「武蔵国荏原郡石井土郷大蔵村氷川大明神第四ノ宮」と記されている。
明暦2年(1656)再建。
本殿は文政7年(1825)の築で、
現川崎市の上平間村の大工、渡辺喜右衛門源暁の作。
彫刻は渡辺徳次郎源棟績の作である。
数点伝わる棟札とともに、世田谷区の有形文化財に指定されている。
また社宝として幕末頃の当社周辺を画いた「板絵着色大蔵氷川神社奉納絵図」が伝わる。
喜多見・宇奈根の氷川神社とともに三所明神と言われる。
岡本八幡神社
鎮座地 岡本2-21
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 長円寺
例大祭 10月第一日曜
解説
岡本村の鎮守。
大正11年(1922)再建。
天保5年(1834)奉納の手洗鉢がある。
鎮座地 岡本2-21
祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社
別当寺 長円寺
例大祭 10月第一日曜
解説
岡本村の鎮守。
大正11年(1922)再建。
天保5年(1834)奉納の手洗鉢がある。
西山野稲荷神社
鎮座地 砧6-3
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
例大祭 2月初午?
解説
西山野地区の人々によって祀られた祠。
石井家の屋敷神であった。
樹齢200年以上という樹高20メートルの藪ツバキがあり、
世田谷区の保存樹木に指定されている。
鎮座地 砧6-3
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
例大祭 2月初午?
解説
西山野地区の人々によって祀られた祠。
石井家の屋敷神であった。
樹齢200年以上という樹高20メートルの藪ツバキがあり、
世田谷区の保存樹木に指定されている。