諏訪神社
鎮座地 諏訪町1
祭神 建御名方命 (たけみなかたのみこと)
八坂刀売命 (やさかとめのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 8月26日27日
解説
大治元年(1126)信濃国諏訪大社、上社下社のご分霊を遷した。
元亀年間(1570~73)に、北条氏照が社殿を再建。
元和9年(16)には代官、高室金兵衛が社殿を再建している。
かつては「お諏訪の社」と言われ、大樹が多数あったが、
昭和41年(1966)の台風26号により社殿とともに多くの樹木が失われてしまった。
社宝として、寛政17年(1791)加藤鋳物師甚右衛門智義鋳造のご神鏡が伝わる。
例大祭は饅頭祭といわれるが、
これは氏子が饅頭を作って奉納する事による。
また、四谷の人々によって「龍頭の舞」が奉納される。
諏訪神社の狛犬


・奉納年 昭和15年(1940)
・石工 八王子 石鎌 刻
・願主 川口村字荒井 橋本?八 同タメ他
・右 吽形 玉取り
・左 阿形 子取り
・記事 皇紀2600年記念の奉納とある。
鎮座地 諏訪町1
祭神 建御名方命 (たけみなかたのみこと)
八坂刀売命 (やさかとめのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 8月26日27日
解説
大治元年(1126)信濃国諏訪大社、上社下社のご分霊を遷した。
元亀年間(1570~73)に、北条氏照が社殿を再建。
元和9年(16)には代官、高室金兵衛が社殿を再建している。
かつては「お諏訪の社」と言われ、大樹が多数あったが、
昭和41年(1966)の台風26号により社殿とともに多くの樹木が失われてしまった。
社宝として、寛政17年(1791)加藤鋳物師甚右衛門智義鋳造のご神鏡が伝わる。
例大祭は饅頭祭といわれるが、
これは氏子が饅頭を作って奉納する事による。
また、四谷の人々によって「龍頭の舞」が奉納される。
諏訪神社の狛犬


・奉納年 昭和15年(1940)
・石工 八王子 石鎌 刻
・願主 川口村字荒井 橋本?八 同タメ他
・右 吽形 玉取り
・左 阿形 子取り
・記事 皇紀2600年記念の奉納とある。
住吉神社
鎮座地 叶谷町1072
祭神 上筒男命 (うわつつのおのみこと)
中筒男命 (なかつつのおのみこと)
底筒男命 (そこつつのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 6月3日 9月19日
解説
永承6年(1051)源頼義が三田源五広綱に命じて摂津住吉大社のご分霊を遷したのが創建という。
天正10年 (1582)北条氏照によって再建された。
天正18年(1590)八王子城の落城によって焼失したが、
翌年徳川家康より朱印地10石を賜った。
社殿の背後には泉があるが、かつて社叢に鵜が営巣しており、
鵜森神社とも言われた。
社宝に永禄3年(1560)造の鰐口が伝わる。
本殿
弘化元年(1844)築で壁面に彫刻が施されている。
鎮座地 叶谷町1072
祭神 上筒男命 (うわつつのおのみこと)
中筒男命 (なかつつのおのみこと)
底筒男命 (そこつつのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 6月3日 9月19日
解説
永承6年(1051)源頼義が三田源五広綱に命じて摂津住吉大社のご分霊を遷したのが創建という。
天正10年 (1582)北条氏照によって再建された。
天正18年(1590)八王子城の落城によって焼失したが、
翌年徳川家康より朱印地10石を賜った。
社殿の背後には泉があるが、かつて社叢に鵜が営巣しており、
鵜森神社とも言われた。
社宝に永禄3年(1560)造の鰐口が伝わる。
本殿
弘化元年(1844)築で壁面に彫刻が施されている。

弐分方八坂神社
鎮座地 弐分方町263
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
解説
京都八坂神社のご分霊を遷したというが本地仏は薬師如来である。
戦前には兵役逃れに霊験がありとの事で遠方より祈願に来る人があったという。
鎮座地 弐分方町263
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
解説
京都八坂神社のご分霊を遷したというが本地仏は薬師如来である。
戦前には兵役逃れに霊験がありとの事で遠方より祈願に来る人があったという。
御嶽神社
鎮座地 元八王子町2-1455
祭神 蔵王権現=日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 なし
別当寺 西光院
例大祭 ?
解説
天正12年(1584)北条氏照が滝山城より八王子城へ居城を移した際に、
丹木町の御嶽神社のご分霊を遷したという。
北条氏滅亡後は慶長5年(1600)に開山した西光院の管理下に入った。
火伏せに霊験あらたかで、
創建より400年間当地には大きな火災が無かったとのこと。
鎮座地 元八王子町2-1455
祭神 蔵王権現=日本武尊(やまとたけるのみこと)
旧格式 なし
別当寺 西光院
例大祭 ?
解説
天正12年(1584)北条氏照が滝山城より八王子城へ居城を移した際に、
丹木町の御嶽神社のご分霊を遷したという。
北条氏滅亡後は慶長5年(1600)に開山した西光院の管理下に入った。
火伏せに霊験あらたかで、
創建より400年間当地には大きな火災が無かったとのこと。
金比羅神社
鎮座地 大楽寺町84
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 なし
別当寺 法泉寺
解説
詳細不明。
法泉寺の鎮守社と思われる。
法泉寺は天文14年(1545)開山なので当社もその頃の創建か?
鎮座地 大楽寺町84
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 なし
別当寺 法泉寺
解説
詳細不明。
法泉寺の鎮守社と思われる。
法泉寺は天文14年(1545)開山なので当社もその頃の創建か?
川町琴平神社
鎮座地 川町206
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 村社
例大祭 4月第二日曜
解説
川村の鎮守。
明治時代に四国金毘羅宮のご分霊を遷したという。
西側に「おしゃもじさま」といわれる小祠がある。
下の病気や咽喉の病治癒に霊験があり、
杓子を一本持ち帰り、病気が治ると2本奉納する習慣がある。
鎮座地 川町206
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
旧格式 村社
例大祭 4月第二日曜
解説
川村の鎮守。
明治時代に四国金毘羅宮のご分霊を遷したという。
西側に「おしゃもじさま」といわれる小祠がある。
下の病気や咽喉の病治癒に霊験があり、
杓子を一本持ち帰り、病気が治ると2本奉納する習慣がある。
日枝神社
鎮座地 弐分方2
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 4月3日
解説
文武天皇元年(697)に由比牧の守護神として太政官符を発して、
武蔵国造が大己貴命を祀ったという。
別名二十一社といい、江戸時代には山王大権現といわれた。
鎮座地 弐分方2
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 ?
例大祭 4月3日
解説
文武天皇元年(697)に由比牧の守護神として太政官符を発して、
武蔵国造が大己貴命を祀ったという。
別名二十一社といい、江戸時代には山王大権現といわれた。
八王子神社
鎮座地 元八王子町3-2735
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 西明寺
例大祭 4月第三日曜の前日
解説
八王子城本丸付近にあり、
築城の際、北条氏照によって城の守護神として祀られた。
伝説によると、延喜13年(913)深沢山麓の華厳ヶ谷に庵を構えていた、
華厳菩薩妙行が山で修行をしている際、
牛頭天王と八王子権現が現れたのを受けて3年後に蓮華院(現宗閑寺)を建立した。
これを受けて氏照が八王子権現を城の守護神としたものである。
八王子の地名の由来ともなっている。
天正18年(1570)八王子城落城とともに荒廃したが、
元禄年間(1688~1704)鉄山無心によって再建された。
宝永2年(1705)加藤鋳物師次定によって作られた扁額が伝わる。
八王子城跡 (ご主殿付近)

八王子城は天正12年(1584)大石氏の名跡を継いだ北条氏照が領国支配の拠点として築城し
滝山城より当城に移った。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に際し、
上杉景勝・前田利家らの軍に攻められて落城した。
付近には多数関連した史跡が残る。(国指定史跡)
鎮座地 元八王子町3-2735
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 西明寺
例大祭 4月第三日曜の前日
解説
八王子城本丸付近にあり、
築城の際、北条氏照によって城の守護神として祀られた。
伝説によると、延喜13年(913)深沢山麓の華厳ヶ谷に庵を構えていた、
華厳菩薩妙行が山で修行をしている際、
牛頭天王と八王子権現が現れたのを受けて3年後に蓮華院(現宗閑寺)を建立した。
これを受けて氏照が八王子権現を城の守護神としたものである。
八王子の地名の由来ともなっている。
天正18年(1570)八王子城落城とともに荒廃したが、
元禄年間(1688~1704)鉄山無心によって再建された。
宝永2年(1705)加藤鋳物師次定によって作られた扁額が伝わる。
八王子城跡 (ご主殿付近)

八王子城は天正12年(1584)大石氏の名跡を継いだ北条氏照が領国支配の拠点として築城し
滝山城より当城に移った。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に際し、
上杉景勝・前田利家らの軍に攻められて落城した。
付近には多数関連した史跡が残る。(国指定史跡)