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病におかされた今の私の体は否応なくむしばみ進んで行き、心も体も弱りきって、孤独に耐え抜いた今も、何かが足りなくて、どこかに何かを、置き忘れて来た気がする、まだやり残した事がある、そんな思いと、もう充分に頑張って生きた満足感がせめぎ合いながらも
「素晴らしい人生だったとも思える」
少しだけ混乱している私の気持ちは、はっきりとした、私の病気の観念がないような、病院を出てからは記憶と時に起きてくる激しい痛みが、久美子自身の今を思い出させて、こんな感情が、私を試しているのだわ?
これからの久美子のなすべき行動を現実に実行出来るのかと!
何かに問われている、そんな気もした!
「自分ではもうこれ以上の何の未練などない!」
「もう誰にも、迷惑をかけられない!」
そうかたく決心しての旅立ちだったはずなのに、このあまりに、美しい風景に、私は、なぜか、まだ、全てが終わったわけではなく、他のちからが、方法があり「生きる目的が出来るような気がした」
私には、特別なエネルギーが授かる方法が残されているように思えて、微かな、生きる望み、欲望が、この脳裏をかすめはじめている事に、久美子自身が驚いていた。
もう、この地には、会いたいと思う人もいない、久美子を暖かく迎えてくれる家族も、身内といえる人も、誰も住んではいない、父と母の眠るお墓を守ってくれる人のいない場所になってしまった。
けれど、こんなにも、久美子の育った、故郷が美しい所だったと、改めて気づいた、今回の旅で!
久しく帰っていなかった、故郷に来て、六十五年の歳月を生きた、自分をみつめている、今、自分の命が終りに近づいている事が真実なのかと、疑いたくなってくるほど、穏やかな時間が過ぎて行く!
久美子は、ここ数年の苦しみと孤独、痛みが、何かの策略にでもあったかのように、夢の中での事のようにも、思えるほど、久美子は安らいだ気持ちと少しだけ心が混乱する気持ちを意識して、遠ざけて、見ていたかった!
今、自分の中で起きている事を、そのすべてを受入れられるのだろうかと、再び問いかけていた。
「短く、儚い時間」
「人間、ひとりの人生は大自然の中では、一瞬の輝き!」
すべてが浄化された自分が、ここにいるのだと思いたかった。
思えば、ながく、ひとりで生きてきた久美子には、家族という存在はないに等しい、久美子自身の心の不安定さを、仕事に打ち込み、夢中で頑張っていた時期は、寂しさもさほど、気にする事もなかった。
時折、わけもなく感じた孤独感も、いつしか気づかないうちに忘れてしまうほど、日々の忙しさが久美子には喜びにさえ思えてしまうほど、偽りの自由に生きる事が、あたりまえの事のようにすごせていた。
四十歳を過ぎた頃から、時折、体調を整える事に時間が少しずつ長くなって行った事が、かすかな気がかりではあったけれど、いつしか、そんな事も、あたりまえの事と自分の中で消化して行った。
少なくても、あの突然の痛みが全身に走り、意識が遠のいて行く、あの日までは!
天と地の揺れ動く不快さと耐え切れない激しい痛み、引き裂かれ、砕けてしまいそうな体はやがて、すべて、闇の中で、私は消えてしまった。
「意識を取り戻した時は病院のベットの中だった」
それからの数日はまるで、私の体は次々とおこなわれた検査で全身が壊れかけて行く、そんな感覚で、ベットから起き上がれないほど、体調が悪く、完全に病人に変身させられてしまった!
少なくとも、私は、あの日までは元気で、日常生活の出来る体だったはずだ、仕事に支障をきたすほどの不健康な状態ではなかったと、心の中で、久美子は自分の体の変調に抵抗していた。
久美子は仕事をする時は、ひとりの社会人として、最大限、力を注いでいた。
ところが今はどうだろう、自分の気持ちとは推し量れない、不自由さが、私を支配している。
久美子自身、体調の変化を受入れられずに、もがき、苦しむ事も出来ない、不快感と気力の低下をいやおうなく実感して、落ち込んでいる。
つづく
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気ばかりが焦って、痛む眼がよく見えないけど、更新出来て、少し安心、絵も描きたいけど描けない、不自由さを愚痴っても、出来る事に感謝だ!