私、介護保険制度を国が定めた時期(2001年)に介護ヘルパーさんの経験をしています。
その頃の私の本業(印刷の版下作成)も急激なデジタル化(コンピューター?)によって仕事が少しづつ無くなっていて、私の体も山へ向かう事
の体力の限界を感じ始めていた時期でもあって、いずれ私も介護ヘルパーさんにお世話になる身だから、今、元気で動けるうちに、誰かのお役に立ちたいと考えて、ヘルパー身体介護が出来る資格を取り、いざ、ある組織(けっして、怪しい結社ではない)が運営するデイサービス施設に面接を受けて合格、そこまでは本当に良かったのですが、その頃デイサービスを利用する方が少なくて、その施設のトップの方の言葉「少し元気そうで、お金のありそうな人を連れて来て」この言葉が、今も私は忘れられない、そして、数か月後、施設のトップが入れ替わりました、その方は音楽の何とかを勉強されて施設のトップになる資格を持っているとかで、本部から派遣されてきました、相変わらず、デイサービス利用者は少なくて、ヘルパーの数の方が多かったように覚えています、
デイサービスの一日はお向かいして、まずお茶を入れて、そして「北国の春」など数曲をみんなで歌い、あとは何をするでもなく昼食を食べて、ちょっと、お昼寝?、あとはお帰りの時間になる、そん風に一日が過ぎて行きます。
そんな中で、私自身も多いに反省するべき点は有ることを承知していますが、とても、気になる利用者さんがいて、私は家にあった書道の道具を持ち込んで、その方に「春の日」という文字を書いてみせて、筆を渡しました、そしたら見事にまで生き生きと、さっと、とても達筆な春の日が書かれていて、周りにいた方々が大歓声を上げていた、この利用者さんは認知症が進んでいて、殆ど話すこともなく、おトイレも忘れるほど、一日をただ座って過ごされていましたので、私はどうしても気になってしまい、トップさんに相談なしで、行動したことが、どうも、その後の私の行く道をふさがれて、ことごとく、私に、いまでいう「パワハラ」だったのでしょうか、スリッパで私の手を叩き、最後には日程表から私の名前が消えていましたので、これは退職しなさいと言うことなのかと、トップの方の言いましたら「あぁ~やめるのねで」介護という仕事を離れました。
今、コロナワクチン騒動を報道でみていて、つくづく、お国の政策は、作ったから、その先は下々の者が勝手にやってくれ的な事なのだろうか、政じ家さんは、今、頭の中は選挙の事で浮足立ってるようで、与党も野党もたぶん同じだろう、年金生活者ですから、お国からの頂く生活費を切り詰めていくしか生きては行けない、けれど、元気で働けたときはしっかりと税金払いましたから・・・寝ずに働き、頑張ったけれど、1億5000万円は稼げてないし、使ってもいません・・・
後の世が
多いに気にし
されど手の
打つ手なしかな
不安つのりし
(写真は近藤謙司さんからお借りしたものです、たぶん、エベレスト登山中のものかと)