最近の私は、どうしたことか、昔の事ばかり思い出す。
あれはもう50年以上前の事だけれど、私は18歳で東京に出てきて、働き出した、私の故郷は福島県の山奥の村だった。
ある日、どうゆういきさつであの本を手に入れたのかはもすれてしまったけれど、ある週刊誌だったと思うが、あの時代に田舎でこと、週刊誌など見る事さへ珍しい体験だった。
今、考えてみると、あのことが私の運命の分岐点だった。
その週刊誌の中の一枚の絵「北川民治」の絵に心が釘づけになって、頭から離れなくなった。
確かに絵を描くのは好きだったけれど、その時の感情が理解できなかった、ただ、何故か、東京に出たい、行かなくてはと、強い思いになって、思い切って家族に「東京で就職したい!」
東京に行かせてほしいと言った事を覚えている。
四女の私はこのまま田舎で暮らす必要もないので、家族はむしろ私の申し出を喜んでくれて、ただし、就職先は限定された。
それまで、東京に親戚がいたことなど知らなかったが、なんでも遠い親戚なんだとか、確かなことはもう忘れてしまったが、従業員が数名の小さな印刷会社だった。
東京に出てしばらくは社長の家に住み込みで、印刷の仕事以外にも家事を手伝いして、自由になる時間はほとんどなく、私自身が思い描いてた東京ぐらしとはほど遠いものだった。
そんな中で不思議に思うことがあった!月に一度くらいの割合で会社に訪ねてくる人がいて、30分くらい社長と話しては、社長から封筒を受け取りながら、何となく違和感を感じる空間が不思議だった!
何度かそんな光景を見ていて、不思議に思い、思い切って社長の奥さんに聞いてみた「あの人は誰ですかと!」
かえってきた答えが!「あの人は毎月来る社長の友人で学友だと」帝大(今の東大)卒業のエリートで終戦までは満州で成功した人だそうだ!だが、戦争が終わって18年も過ぎてるけどいまだに仕事もなく学友や知人をたより歩いてお金を受け取ってるそうだ!と、奥さんは苦笑いの顔で答えてくれた、
私はふと、父を思い出した、私の父も戦時中は軍属で朝鮮にわたり仕事に成功して羽振りが良かったとか、私は朝鮮で生まれている、昭和20年に引き上げてくるときには財産のほとんどを置いてきたことで、父は死ぬまで酒に溺れた、荒れた生き方しかできなかった人だった!
今、思い出すに、このエリート満州帰りの人と私の父も、世渡りのへたな、負け組の人生を歩いたのだろうと、複雑な心境になる・・・