今日は茶道教室でした。よく茶席の掛物に見られる言葉の中に
「和敬清寂」という四文字がありますが、
「和」は調和の和、平和の和です。聖徳太子は「17条憲法」の冒頭で、
の
「和を以て貴しとなす」と唱えました。利休も同じ考えでした。
「敬」は尊敬の敬です。好き嫌い、相性の良し悪しを超えて他人を心から
尊ぶことです。
「清」は自浄の大切さを説いています。
「寂」は「寂然不動」の「寂」で、何があっても動じない心を表します。
利休は「和敬清寂」という語を用い、他人と和し、敬い合い、自浄の志と
揺るぎない信念を持つ、それが、茶の湯に親しむ者の理想の姿なのだと。
なるほど、といつも思いながら茶を点てている凡人の私です。
最近、国内外とも騒々しい話題が多い中にあって、私たちが学ばなければ
ならない哲学であり、個人個人が身につけなければならない思想が
この「和敬清寂」ではないでしょうか。
「和敬清寂」という四文字がありますが、
「和」は調和の和、平和の和です。聖徳太子は「17条憲法」の冒頭で、
の
「和を以て貴しとなす」と唱えました。利休も同じ考えでした。
「敬」は尊敬の敬です。好き嫌い、相性の良し悪しを超えて他人を心から
尊ぶことです。
「清」は自浄の大切さを説いています。
「寂」は「寂然不動」の「寂」で、何があっても動じない心を表します。
利休は「和敬清寂」という語を用い、他人と和し、敬い合い、自浄の志と
揺るぎない信念を持つ、それが、茶の湯に親しむ者の理想の姿なのだと。
なるほど、といつも思いながら茶を点てている凡人の私です。
最近、国内外とも騒々しい話題が多い中にあって、私たちが学ばなければ
ならない哲学であり、個人個人が身につけなければならない思想が
この「和敬清寂」ではないでしょうか。