【甲子園2025】決勝戦 勝敗予想!日大三 14年ぶりか!?沖縄尚学 初優勝か?
第107回全国高校野球決勝戦は県岐阜商を破った日大三高と山梨学院を破った沖縄尚学の決勝戦となりました。東京勢の夏の決勝は昨年の関東第一に続き12度目2年連続は初めて、沖縄勢の夏の決勝進出は10年の春・夏連覇した興南以来15年ぶりの4度目。果たしてどうなるか?とても楽しみのもてる決勝戦となりました。
【甲子園2025】決勝戦 勝敗予想!日大三 14年ぶりか!?沖縄尚学 初優勝か?
第107回全国高校野球決勝戦は県岐阜商を破った日大三高と山梨学院を破った沖縄尚学の決勝戦となりました。東京勢の夏の決勝は昨年の関東第一に続き12度目2年連続は初めて、沖縄勢の夏の決勝進出は10年の春・夏連覇した興南以来15年ぶりの4度目。果たしてどうなるか?とても楽しみのもてる決勝戦となりました。
【江戸時代】185 松平定信と寛政の改革【日本史】
「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」=白河(松平)は清廉潔白すぎて息苦しい少しくらい濁っていても田沼の時代が懐かしいなぁ~。そんな狂歌が世に出回り寛政の改革(天明7年~寛政5年)は一定の成果を収めつつ幕引きとなりました。定信失脚のきっかけとしては「尊号一件」があげられます。「尊号一件」とは当時の調停のことで、光格天皇(119代)が実父の閑院宮典仁親王に対して太上天皇の尊号を奉ろうとしたのを定信が反対した一件です。結局尊号についてはしぶしぶながら取り下げる形になりましたが、定信は徳川家斉(11代)、一橋治済との間に遺恨を残してしまいました。定信にすれば治済は自分を白河藩に追いやった張本人になりました。白河に戻った定信は藩政に邁進し、地元のために庶民と共に「共楽」の精神を勧め「南湖公園」を作るなど勤めました。明治の偉人、渋沢栄一は大の定信公信者でその朱子学に共鳴し自費で定信を祀る南湖神社を創立しその精神を後世につたえようとしました。とにもかくにも私達の郷土の偉人には違いありません。
愛のままで…
昭和100年、歌謡界も平成、令和と時代とともに流れに沿って変わりつつありますが最近また昭和歌謡が人気のようです。我ら昭和の人間にはやはり昭和歌謡が懐かしく情感もあるムードが好きですね。そんな時代にとてもユニーク
な歌手が登場
話題になっております。私もこの歌手の歌を聴いてすっかりフアフアンになりました。
あの秋元順子さんの「愛のままに」を令和風にアレンジしてデビューした女性歌手ゆあさみちるさんです。中低音の魅力ある歌声にすっかり魅了された私です。
これから楽しみな歌手で応援していきます。
それは恋 平幹二郎 太地喜和子
昭和100年を迎えてる今年、昭和人間の私もいろいろな想い出が浮かんできますが、今も鮮烈に残るのがお芝居で「それは恋」です。これは近松門左衛門の世話物人形浄瑠璃「冥途の飛脚」をベースに蜷川幸雄の演出で1979年帝劇で上演されたヒット作。上演回数1000ステージ。1989年にはベルギー・イギリス公演も、平幹二郎、太地喜和子の二人の演技の素晴らしさに感動し帝劇に三回も通いました。最後の心中場面に流れる森進一さんの主題曲「それは恋」の歌声にピッタリ二人の熱い演技に感動の涙でした。
今でも森進一さんの「それは恋」は聴いており当時の二人の熱演を想いだし昭和を懐かしんでおります。
【儒教の祖】 孔子の人生を豊かにする言葉・名言集 | 論語
私達の「古典の会」もいよいよ「論語」を勉強することになりました。古典中の古典、人生も終わりに近い私ですが「論語」には沢山の人生訓が残されております。改めて人生勉強に頑張ろうと思います。
◎論語(陽貨十七より)「性近也、習 相遠也」性相近し習い相遠し。
訳= 人の生まれつきというものは誰も似たりよったりで大きな差はないものだ。生まれた後の習慣や学習の違いによりその差が大きくなってしまうのだ。「性」とは人が生まれつき持ってるもののことです。「相近し」は皆ほとんど同じということです。孔子は人は皆いい資質を沢山もって生まれてくるもの、優しい心も、正しいことをする力も皆同じである。では大人になった時、残念ながら人をだましたり、自分さえ良ければいいと思う人がいます。これは良い習慣を身につけてる人と身についていない人とでは大きな差がついてしまいます。
「おはよう」と声をかけても、だまでっている「いただきます」と言えないでいきなり食べ始める、そんな人は友達になりませんね。勉強も大切ですが、良い習慣を身につけましょう。
孔子さんも喜ぶことでしょう。
初秋 浜田省吾
猛暑のつづく今日この頃ですがお盆も終わりいよいよ季節は秋を迎えます。私の家の庭にあるすすきも若い穂がでてきました。やはり季節の移りゆくのを感じますね。季節の移り変わりは人の心を揺るがせます。
古人も歌に詠んでおります。
◎=うたた寝の朝けの袖に変わるなりならす扇の秋の初風。式子内親王
夏の間あおいですませ使い慣れた扇の風にそろそろ飽きてきたところでした。式子内親王は後白河天皇の皇女。「新古今和歌集」より
◎=おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風 西行
鈍感な出家の私でさえ最初の秋風に吹かれると、もの思いに耽ってしまう。世を捨てることは美への執着も捨て、「もの思はぬ人」になることだった。 西行は出家したものの、花に月に秋風に心をゆさぶられたようです。「新古今和歌集」より。
もうすぐ秋ですね。日本の秋を・・・
。
【訃報】千玄室さん死去 裏千家の前家元(2025年8月14日)
茶道裏千家の前家元千玄室さんが102歳の長寿を全うされました。私も千玄室さんが日本青年会議所の会頭をなされておられたころ私の田舎の青年会議所の創立記念にご出席いただきお話をお聞きした思い出があります。学徒出陣で海軍に入り家を離れる前夜、当時の家元である父に茶室に呼ばれ「粟田口吉光」の脇差しを初めて見せられ、豊臣秀吉の命で千利休が自ら腹を切った刀。流派の祖の存在を生生しく感じたと言い必ず生きて帰って茶の道を受け継ぐのだと父は言いたかったのでしょう。と話しをされたのを今でもはっきり覚えております。以来、千玄室さんは世界に茶道を広めるため各国を巡り、茶室にいるのは亭主と客だけで、勝者も敗者もない平等に慎み深い態度で茶を楽しむ心の平等を得る行いが利休以来の茶道・・・多分今頃は天上で待ってましたと当時の特攻隊員の仲間たちでお茶会が開かれていることでしょう世界平和を願いながら。安寧。
宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開
時は昭和20年(1945年)8月15日昭和天皇が玉音放送により「大東亜戦争終結の詔書を発せられ、昭和16年(1941年)12月8日から3年半以上にわたる「大東亜戦争」が終結しました。私が14歳の夏でした。連合国が発した「日本軍への降伏要求の最終宣言を8月14日に大日本帝国が受託、その旨を日本国民へ知らしめてものです。宣言された地名から「ポッダム宣言」と呼ばれ、その中に領土問題も第8条に示されています。「日本国ノ主体ハ本州・北海道・九州・四国ナラビ二吾ラノ決定スル諸小島二限局セラルベシ」とあります。これで日本領土の分割案はハッキリと取り消されました。当時ソ連と中国が日本領土の分割案を出していました。ドイツが東西に分割され、朝鮮半島も38度線を境に分割されいまだに戦争の危険を感じさせております。当時連合軍総司令官のマッカーサー元帥は昭和天皇に面会し天皇の責任感に感動し、昭和天皇の戦争犯罪人と日本の分割にたいしてソ連のスターリン、中国の蒋介石に猛反対してこれを押さえました。現在の日本が国の分割を免れ平和の世界のリーダーとしてることにはこの終戦秘話は忘れられません。これからも世界の平和に尽くすように願います。
も
最近テレビ報道などで話題になってるある地方都市の市長さんの学歴詐称問題などでいまだに本人の謝罪はありません。最近、日本でもどう考えても本人に非があるのに「すみません」の一言も言わない人が増えています。苦しい言い訳をして誤魔化そうとする「すみません」と謝罪の言葉を口にすれば物事はスムーズに進むはずなのに自己正当化しようとして周りとの関係がギスギスしてしまうことになってしまいます。
今までの日本人にはみられませんでした。これも時代がグローバル化して障壁が無くなるなか日本の伝統文化である「おもてなし」が消え去ろうとしてるのがとても残念でなりません。欧米、特にアメリカは「謝る」という文化はありません。ある日本の学者さんがその差を欧米の自己主張文化と日本の間柄文化として紹介しております。欧米の場合、誠意ではなく強さなんです。力が全てだからうまくいったら褒めるだめならすぐにクビにされます。アメリカのトランプさんがその例だと思いますね。あの人には「謝罪」の言葉がありません。
人に謝る文化は素晴らしい日本の文化でありますが、最近の事情はその文化が壊れていくようで心配になってる最近の私であります。
THE BOOM「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」OFFICIAL MUSIC VIDEO
今年の8月15日は例年以上の重み、そして緊張感を伴う終戦記念日になりそうです。節目を迎えるにあたり世界は残念ながら恒久的平和などほど遠い現実に直面しております。そんななか人は歌により平和を呼び掛けています。そんな意味を含めて私の平和を呼び掛けるお勧めの歌は「島唄」です。THE BOOMが1992年にリリースしたこの歌は三味線の音色が美しい沖縄のリズムにのり響きわたり、沖縄独特の雰囲気を出してとても心に響く曲です。その沖縄が戦場と化し、日米合わせ20万人以上の死者を出す激戦で唯一の日本領土内での戦場でもあり、特に十代の女性部隊ひめゆりの皆さんが日本軍と一緒に自決するという悲惨なこともあり、この歌はそのひめゆり隊の若き女性を忍び弔い安寧を歌った歌でもあります。戦争は無残なもの・・・敵味方ともども悲惨が残ります。世界平和をこの「島唄」を聴きながら願うものです。
渋谷でダンシングヒーロー 渋谷盆踊り 2025 / Dancing Bon Odori with Eat You Up in Shibuya, Tokyo. 2025 [4K]🇯🇵
日本の夏夏といえば「盆踊り」
その「盆踊り」の時期になり全国各地で地方独特の「盆踊り」が開かれています。
「盆踊り」の原型は鎌倉時代に時宗の一遍上人が広めた念仏踊りと先祖の供養が結びついたのが始まりとされています。江戸時代になると歌や三味線も入り一層娯楽性の強い行事となりました。「盆踊り」には行列踊りという代表的な「阿波踊り」があります。
また、櫓を中心にその周りを踊る「輪踊り」が一般的ですが、最近は「ダンシングヒーロー踊り」や「アニソン盆踊り」など多様化され、老若男女が楽しく踊る姿はとても日本の夏の風物詩として人気があります。
「あの日、私は御巣鷹にいました」日本航空123便墜落事故の発生直後を取材した撮影スタッフが語るあの日のこと
明日8月12日は忘れられない日でもあります。あの日から40年、1985年8月12日群馬県上野村御巣鷹の尾根に日本航空123便大阪行きのジャンボ機が墜落し520人の命が奪われました。あれから40年、時は過ぎましたが、私も当時大阪・神戸に二人の弟が居ますので夏休みに行く予定で一日違いの13日の便を予約していました。毎年この日が来ると運命の分かれ道を実感します。この日航123便に異変が起きたのは羽田空港を離陸してわずか12分のことでした。事故の7年前、123便の機体は大阪空港で後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こし機体後部の「ある部分」を損傷しました。その部分とは「圧力隔壁」と呼ばれ気圧の低い機体後部から客室を守るお椀型の壁であります。この圧力隔壁の修理を製造メーカーのボーイング社が行うことになり、修理指示書では壊れた隔壁の下半分を新品と交換し上と下の隔壁の間に一枚の「継板」を挟んで繋ぎ止めることになりました。しかしその「繋ぎ止め」が2つに切断され使用されたため明らかに強度不足でした。520人の命を奪うことに繋がった隔壁の修理ミスは何故起きたのでしょうか当時のアメリカ側のガードが固く40年経った今も解明されていません。いまだに謎とされております。
亡くなられた520人の慰霊のためにもこの謎は明かさねばなりません。安寧。
歎異抄 三國連太郎
「情報の真偽を確認せずに人に伝えてはいけない。自ら他力のかくるのみならず、誤って他を迷わさんとす。」第十二条「学問をしてこそ往生できる」とは間違った考え方です。自分が間違った考え方をしてしまうだけでなく、相手にもその間違いを教えてしまうことになります。最近はSNSで様々な情報が発信されています。そこに書かれていることが全て正しいこととは限りません。自分が正しく理解していないことは他者に知識や情報として教えてはいけません。知識や情報をよく理解せずに伝えると相手を誤解させてしまいます。親鸞は当時の混乱した世の中における人間の生き方について正しい情報の伝え方を教えております。現在にも通じる名言ではないでしょうか。
【戦後80年昭和100年】告知・8.15 英霊に感謝し、靖国神社を敬う国民行進
今年は1926年12月に「昭和」へと元号が変わり100年目。つまり昭和100年に当たります。私も昭和8年生まれの一人として昭和時代、戦争という大きな体験をしてきました。少年時代は軍国主義に徹底した教育を受け、天皇は神であり我々は臣民でありすべて命は天皇に預けてあります。小学生から教育勅語を勉強し、国に一旦緩急あれば一死奉公の義務がありました。そして遂に昭和16年12月8日、アメリカ・ハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を奇襲攻撃し、大東亜戦争が勃発しました。今でもあの朝の大本営発表のラジオ放送ははっきり覚えております。そして昭和20年8月15日。日本の敗戦により節目が大きく変わりました。戦後という新たな年代区分が始まり「改革」と「新生」の到来を歓迎❓して「戦前」は否定的な対極として生まれました。戦前・戦中の暗い昭和と戦後の明るい昭和の対比という二つの昭和の物語が確立されました。そして平成・令和と時代は進んできました。まもなく8月15日がやってきます。私にはこの日も忘れられない日であります。昭和100年私の歩んできた人生です。
立秋 筠子
8月7日は「立秋」を迎えました。日本の四季折々の暮らしに欠かせない歳時記。昔から伝わる季節の行事に合わせた暮らし方には日々の健康や開運、幸せになる知恵が沢山つまっております。太陽が15度に進みこれを「立秋」と称します。夏の「土用」も収まり、季節は秋に入ります。まだまだ残暑が厳しく、秋の気配などどこにといった猛暑が続いています。
まだ、日が長いようですが、さすがに月の下旬には日の短くなるのを実感することでしょう。蝉の声を聴き、トンボが飛び交え晩夏の風情がたっぷりと感じる時期も近くなりました。
◎=立秋の紺落ち付くや伊予かすり=夏目漱石
◎=秋来にけり耳をたづねて枕の風=芭蕉
◎=硝子(ぴいどろ)の魚おどろきぬ今朝の秋=蕪村
◎=立秋や旅止めまくと思うふ間に=一茶
この暑さをしのいでやがて爽やかな秋がもうすぐやってきます。